その647 『影の力』
「センは無事?」
真っ先に聞いたが、刹那には声を返す余裕はないようであった。すぐに視界から消えた刹那に驚いたイユは、遅ればせながら身体を起こす。そこで、刹那が駆け寄ってきた手へと一閃するところを捉えた。もう迎え撃っているのだ。
おちおち土だらけの自分の体を確認している余裕もない。すぐにイユはセンの状態を確認する。ずり落ちるように地面へと転がったセンの顔色は酷い。まずはと、センの手首に触れる。とくんとくんと音がして、ひとまず脈があることにほっとする。呼吸も浅いが、あった。傷は見た限りでは酷かったが、驚いたことに血は既に固まっている。
ただ、何度呼びかけても目を覚まさない。いくら揺すっても駄目だ。生気を吸われるとどうなるのか、イユにはよく分からない。生きてはいるのだから安心してよいのか、それとも本当は深刻な状態で、もっと心配しないといけないのか。
考えていても埒が明かない。それに、そもそも今は考える時間がない。このままここにいては、再び手に捕まってしまう。
センを担いだイユは、急いでレパードのほうへと駆け込む。とにかく固まらないと、刹那一人で全員の護衛は無理だろう。レパードはこの間一人で凌いでいるが、目を離したときと同じ惨事になるのも想像に容易い。
「無事か!」
どうにかレパードのもとに駆け込んだときには、イユは半分以上倒れかけていた。センが思いの外重かったのと、ふらつく足のせいで何度か転び、余計に体力を消耗したのが大きい。
ゆっくりと背中のセンを下ろしたところで、目の前にいるレパードへと顔を向ける。明滅する視界のせいで、顔色はよくわからなかったが、数時間前と比べて元気がないのは伝わってきた。
「レパードこそ」
「俺はどうにかなってる。それよりも」
「センのことよね。外傷は見かけほど酷くなかったけど、よくわからないの。目を覚まさなくて」
レパードも答えを持っているわけではない。センの状態をよく把握している人間はここにはいない。だから、レパードから出てきた発言には戸惑いが感じられた。
「息があるんならとりあえずは無事だと祈るしかないな。問題は」
レパードの言葉が言い終わるか終わらないかのうちに、しゅたっと着地した刹那の姿がある。手は襲ってこないのかと思ったが、周囲には既にいなかった。一瞬減らしきったその隙をみてやってきたのだろう。
「うん。主、どう片付ける?」
倒す気があるのかと言い掛けて、言葉を呑み込んだ。いつの間にか、倒せないと決めつけていた自身がいることに気が付いたからだ。
けれど、冷静に考れば逃げるのもまた無理なのである。何より、際限なく分裂する主の手の数が問題だ。ふらふらなイユたちではあの数を相手にしては到底逃げ切れまい。ましてや操縦士のラダがこの場にいる状態ではタラサを置いていくことになる。
「倒せる自信があるの?」
「私だけじゃ無理。影の力が厄介」
「それ、結局何なのよ」
リュイスの使う風の魔法とは違うことは理解している。だが、影とは一体何を言っているのか。それこそ手そのものが影のような色合いである。
「光の強さで見やすさが異なる。殆ど透明な手がいる」
さらりと言われた言葉に、イユは耳を疑った。そうした発想は今までなかったのだ。まさか敵が見えなくなっているなんて、普通は思わないだろう。
けれど、思い当たらないでもない。掠らないように避けていたのに何度もやられているのだ。風の魔法ならば、風圧を感じるものだ。空気の揺れ程度はあったかもしれないが、それにしても唐突だった。いつ捕まったのかさえ、認識していないときがある。だからこそ、理解できないこともなかった。
「俺やラダがやられた切り傷はなんだ?」
自身の腕の傷を見てレパードが尋ねる。近づいてきた主の手が刹那に飛びかかろうとする前に、雷で痙攣させながらの発言である。
追い打ちをかけるように魔法石を手へと投げ飛ばした刹那から答えがある。
「爪だと思う。手も大きさが違う。光が遠いと影が小さくなって光が小さいと影が大きくなる。あれと同じ」
手を仕留めて戻ってきた刹那の解説に、改めていろいろと信じられないものを聞いた気がした。
時々身体に衝撃を覚え飛ばされたのは、透明な大きな手に突き飛ばされたからということになる。息苦しくなったのは逆に小さな手に首を締め付けられたからだろう。だから、どちらも手に触れていないはずなのに、一気に体力を持っていかれたのだとは理解する。爪で引っ掻かれるとの話もあったが、爪も種類が複数あるのだろう。見えている手のように影の色に溶け込んで爪と皮膚の区別がつかないものもあれば、地面を易易と抉る鋭い爪もあるということだ。確かに刹那の言い分も筋が通っている気がしてきた。
だが、その説明で疑問に思うことはある。
「あの手自体、影っぽい見た目だけれど本当に影そのものということ?」
形はあるし、実際に捕まったから実体はあるのは間違いないのだ。言うならば、実体のある影というところだろうか。
「影絵って遊びが、シェパングにある。それに近い。分裂するのも多分、影だから」
ナイフを構えながら、刹那は背中を向けて回答をする。饒舌なのは、早いところ情報共有をしてしまおうと考えているようにもみえる。その様子でイユは手がイユたちを取り囲むように近づいてきていることに気が付いた。
「お前の話が確かなら、どこかに光があるってことになる。それが影を作っているってことにならないか?」
レパードの言葉に、手の動きを追いながらもイユは唸る。
確かにそうなる。しかもそれは自由自在に強弱を変える光源だ。この手のときだけ大きく、あの手のときだけ薄く、そして分裂もさせられる。
「多分。それを遮ってしまえば倒せる」
刹那の肯定に、しかしイユは納得できない。
「それはどこにあるのよ」
「……」
返事はなかった。刹那もまだ分かっていないのだろう。あるとすれば、手が伸びてきた大元の場所が怪しいのではないかと思うが、実際は分からない。
「それよりも、あいつ話すわよ」
イユは声が聞こえたのを思い出して、口早に告げた。意思があるかどうかは重要ではないかもしれないが、共有できるうちに情報は共有しておきたい。
そう思っての発言だったのに、レパードにぽかんとした顔を向けられた。
「は?」
「確かよ。捕まったときに声みたいなのが流れてきたもの。なんか、鳥籠に入れたいみたい」
「イユ」
刹那にまじまじと見られた。こんなときだというのにイユを見る余裕はあるのかと言いたい。最も、刹那だからこそ敵の気配を察しながら、イユを見つめるという芸当ができる。
そうした技術を活かされた結果として、吐き出されたのは一言。
「影は口、ないと思う」
「それぐらい知っているわよ!」
こんな状況でまじまじと言われてしまっては、思わず叫び返したくなるというものだ。
そこに、イユの声が聞こえたからだろう。遠くからマーサの独り言が呟かれる。
「お話ができるなら、話し合いで解決できないかしら」
マーサは、倒れたラダとともに離れた場所にいる。木々の影に隠れる位置なので、手の襲撃は少ないようだ。近づいてきたものは真っ先にレパードの雷が延びる。
「そんな都合よくいくとは思えないわね」
話すといっても、話し合いができるとまではいっていない。大体、主を相手に何を話し合えば良いというのだろう。主の目的は鳥籠にイユたちを入れることなのだ。まさか一時間だけ入ってあげるから見逃してくださいなどとは言えまい。
半ば呆れたイユに対し、何か気付きがあったように刹那から呟かれる。
「それ」
それの指す意味がわからずきょとんとしていると、蒼の瞳に見つめられた。
「意志があるならそいつが本体かも。イユ、どれに捕まった?」
なるほど、刹那の意見には一理ある。相手が影の力を使うのであればどこかに光源、本体がある。それが自由自在に光の強さを変えられるのであれば、その思考ができる意思こそが本体といえるだろう。
だが、期待には答えられそうにない。
「いや、わかんないわよ」
皆、同じ見た目なのだ。どの手に捕まったか答えろなど、無理がある。印でもつける余裕があったのならば別だが、そう都合よくつけてなどいない。
「うん、期待はしてない」
イユの返事は聞かずに刹那が走り出す。イユたちの会話を続けてもいられない状況だったのだ。手が再び襲ってきた。




