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カルタータ  作者: 希矢
第九章 『抗って』
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その642 『完璧主義者』

 次に目が覚めたときには、彼らの訃報を詳しく聞いてもいられない状況だった。

「早速だが、君は料理人だね? 本当は安静にしてほしいところだが、今厨房には子どもしかいなくてね」

 ラビリという少女が非常食を探してきて周りに振る舞っているという。それを聞いたセンは居ても立っても居られなかった。

 センは知っていた。突然の襲撃に遭ったその日、セーレは新空式を迎えていた。来るだろう客に振る舞う菓子はあった。遊覧船として今後提供予定だった菓子の用意もある。裏を返せば、備蓄はそれだけだ。

 そして、何より菓子しかない。日持ちするビスコッティや外から持ち込んだチョコレートなどはあったが、主食がない。小麦粉はあるが、それが何日間持つかだ。

「僕としては不本意だが、せめて非常食のある場所を全て教えてほしいんだそうだ。動けそうかい?」

「問題ない」

 すぐにセンはそう答えた。医務室に戻らなかったのは言うまでもない。



 備蓄はセンが知っていた量よりも減っていた。殆どが駄目にされていたのである。

 それどころか、セーレは初飛行にもかかわらず数日間の航行で終わらなかった。安全と言い切れる場所に中々辿り着けなかったのだ。

 目に見えて減っていく食料に、ど奔走した。火もろくにでなくなっていたので、どうにかやりくりしてその日の食事を作り上げた。

 そうこうしていると、ライゼリークの死を悲しむ間も与えられなかった。庇った子供の、結局救えなかった死体を探し出すことさえできなかった。料理に没頭することで全てを忘れようとした面はあるが、それを抜きにしても忙しかった。

 けれど、少し厨房を離れ自室に戻る、配膳に行く。そのたびに廊下に出たセンは、こびりついた血の痕をみることになる。誰もが心に余裕のないなかでは綺麗に拭き取ることなど出来なかったのであろう。廊下に染み込んだそれは、何度もセンの心に呼び掛けた。


 こんなはずではなかったのだと、問いただしたくなる。ライゼリークはセンのことなどおいて、それどころか最愛の妻すらおいて、海へ旅立った。残りの食糧からみるに、自分たちもすぐに追いつくかもしれない。

 けれど、あんまりだ。終着点だと思った都は、悪夢の始まりに過ぎなかった。たった一日で、大勢の人間が死んでいった。その呆気なさがあまりにひどかった。外の人間の仕業だとして、もしその人間が目の前に現れたら正気を保てない自信があった。センを支配していたもの、それは憎しみであり怒りだ。センが大切にしたかったもの、それは子どもたちや皆の笑顔だ。忙しさに翻弄されながらも、それらの思いは確実に募っていた。可能ならば、不条理な世の中に爪を突き立ててやりたかった。


 特にセンが気掛かりだったのは、マーサだ。お腹に子供がいるとは思えないほどに、マーサはてきぱきと動いていた。だからこそだろう。批難の声があった。人は余裕がなくなると、身近な誰かに当たるものなのだろう。マーサに家族を失った怒りをぶつけてもどうにもならないのに、それをやめられないのだ。

 そのうえ、『龍族』に船長の座を明け渡したことを理由に、陰口も叩かれた。そんな声に気づかない人物ではない。マーサはきっと耐えていた。陰口に屈せず自身が正しいと思う選択をとった。

 妊婦だというのに満足な食事も食べられていない。目に隈も作っている。休む姿を見たことがない。そんな過酷な状況を、周りは強いていた。

 それなのに、センは助けられなかった。食事もろくに出せず、表立って守ることもできなかった。今更マーサにカルタータの外から来たことを教えたところで逆に状況が混乱するだけだとも分かっていた。せいぜいが、甲板に死体を置く相談を持ちかけられたときに、魔物の危険を思い出して頑固拒否したぐらいだ。

 センは、驚くほど無力だった。突然の乱入者に満足に庇えるほどの力もなく、声高に人々と言い合えるほど口達者でもない。そして、得意なはずの料理ですら備蓄が尽きかけて、満足に提供できずにいる。


 子供が死産したのは、だからある意味必然だった。


 センはすぐにマーサのもとへ駆けつけようとした。何も思いつかないままドアノブに手を掛けたのは、自分の妻の姿と重なって見えたからかもしれない。

 けれど、そのドアノブを捻ることはできなかった。扉の向こう側で、ラビリの声がしたからだ。

 それは、母乳提供の依頼だった。センは愕然とした。慰めの言葉ではなく、過酷なお願いをしにいかなくてはならない子供と、それを責めずに優しく許諾するマーサ。何を恨めば彼女たちを救えるのかが分からなかった。

 センは、すぐに戻った。何かをしたかった。センにできるものは限られていた。




 以前、ライゼリークと客に提供する菓子について相談したとき、こんな話が上がった。

「あいつらはな、小麦粉や砂糖を使った菓子ってやつをろくに食べたことがねぇんだ。外の文化があまり入ってこないだろ? だからか、知識が偏っていてな。貴重なせいでパンばっかってのもあるが」

「だから、菓子に拘るのか」

 主食ではなく菓子類を中心にといったのは、ライゼリークだ。この男にしては、珍しい選択だと思ったのである。

「どうせならな。食べさせてやりたいんだよ、あいつに」

 ライゼリークのいう、あいつとはマーサのことだ。この数日で、ライゼリークが妻にぞっこんだということはよくよく分かっていた。それほどまでに、よく話題に上がったのだ。

 そしてそのライゼリークの望み、それは――、

「食べたことのないものを食べさせてやってほしい」

 というものだった。奇しくも、我が子がセンにのぞんだことと似ていると思ったのである。





「マーサ、今いいか」

 ようやくノックできた扉に、声を掛ける。

 マーサからは当たり前のように承諾の声があった。

「作ったんだ。食べてみてくれ」

 差し出されたそれをマーサは拒まなかった。大人しく食し、美味しいと言って、笑った。笑えてしまう人だった。




 背を向けて部屋を出たところで、耐えられなくなった。廊下を走り、一気に甲板まで飛び出る。外は雨が降っていた。これ幸いと、センは怒りをぶつける。

「俺は、完璧主義者だ」

 口にだすほど虚しい言葉だ。瞼の裏で、先程のマーサの無理した笑みが映る。センが提供できたのは僅かな小麦粉を水で薄めただけのお菓子だった。砂糖などとうに切れ、小麦粉も一掬いしかない。

 そんなもので、美味しいはずがない。笑顔になんてなれるはずがない。我が子でさえ最後は心から笑っていられたのに、ここでは、不味いと口に出すことさえも叶わない。

 けれど、明日には誰かが飢えて倒れるだろうと、そんな状況でできた唯一の贈り物がそれだった。

「人一人の笑顔も守れない、完璧主義者だ」

 世界を恨んで地面を叩きつけたのは、二度目のことだった。


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