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カルタータ  作者: 希矢
第九章 『抗って』
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その635 『守りの手段』

 どれだけ助けたいと願っても届かなかった機会が、今与えられたのだと考えを変える。ようやく、ラダは守るために、武器を振るえる。誰よりも前戦に立って、守る側に立つことができる。

 たとえそれが不可能なことであったとしても、何もできないよりまだましだ。

 魔物を惹きつけるべく、マーサたちから距離をとる。前進したラダに、死の気配を漂わせた手がぶるりと震えたようにみえた。その様子は進んで飛び込んでくる獲物を待望しているかのようだ。

「待ちきれない」

 そんな声が聞こえた気がした。六本の手がまるで競い合うかのように、ラダへと飛び掛かってくる。


 右から来た手が、一番早かった。瞬きでもしようものなら身体ごとラダは捕まっていただろう。想像を越える速さにひやりとしつつ、半身を逸らす形で避け切る。最低限の動きは、余計な体力を消費しないようにする判断と、反撃の機会を得るためだ。危険な相手だからこそ、一瞬の隙も逃せない。

 ラダは通り過ぎる手の腕の部分に向かって、構えていたナイフを斬りつける。腕だけでも、ラダの身長ぐらいはあったそれは、頑丈そうに見えた。

 がんと、弾かれる衝撃を覚悟して歯を喰いしばったが、驚くほどに手ごたえがない。ぎょっとして、慌てて下がる。斬りつけた腕に別の衝撃が走ったのだ。即ち、固い皮膚に無理に傷つけようとして感じた反動ではなく、魔物から遠ざかっても尚、まるで纏わりつくかのようなぐったりとした重みだ。目に見えない蛇でも纏わりついているかのような、気持ちの悪い違和感が、ラダの腕を締めつける。

 いつまでも驚いている暇はなかった。ラダのいる地面が陰っている。左上から叩くように振り下ろされる手の気配を感じて、先ほど斬りつけて退いたばかりの腕に向かって駆け込む。頭を低くして腕の下へと潜り込んだ。そうすることで、左からきた手が右からきた手の腕へとぶつかることになった。

 けれど、安堵はできない。ラダの頭上から首へと向かって纏わりつく違和感がある。息苦しさに大慌てで腕の下から逃れ、その先の道へと逃げ込む。

 ところが、そこにも主の手は待ち構えている。しかも左と右、両方からだ。

 両手の平いっぱいに合わせるようにしてぶつかってくるそれを、間一髪のところで走り抜けて避ける。振り返り様に持っていたナイフを投げつけた。

 しかしながら、そのナイフが的中するかどうかのところで、ナイフが半分に折れた。あっと思った瞬間、身体中に走った重みが、ラダに衝撃を与える。息苦しさにくらくらとし、膝をついた。

 何があったかも分からない。何か透明な固まりがぶつかってきたような感覚がした。

 更に右からやってくる手の気配に、ラダは当然逃げようとする。足に力をいれて、全力で走り始める。

 確かに避けきったと思ったのだ。しかし、実際は指が僅かに掠ったのだろう。そして、それだけで、ラダの身体は容易く宙を舞い、地面に叩きつけられる。

 恐らく、ただ叩きつけられただけならば、まだ動けた。受け身はとれたから、息が詰まろうとも本能で次の一撃を避け切ることができた。それができないのは、身体中を覆う倦怠感のせいだ。

 遅ればせながら、鳥籠の森の主という意味を理解する。『霧すがた』は人の目をみて生気を奪う。恐らく森の主は触れただけで、相手から生気を奪っている。

 衝撃とともに盛大に弾き飛ばされた身体は、しかし奇跡的にまだ動かすことができた。霞む視界に再び襲ってくる手の姿を捉え、予備のナイフを投げつける。触れて駄目なら投げるしかない。威力は落ちるので叩きはじかれるかと思ったが、意外にもしっかりと人差し指の付け根へと、ナイフが当たった。

 僅かだが動きが鈍ったと判断して、前方へと駆け込む。すぐ後ろを上空から垂直に振り下ろされた手の衝撃がやってくる。飛ばされそうになったラダの足を薙いだのは、空気そのものだった。

 呻き声とともに、地面を転がる。

 更に、見えない何かに身体を弾き飛ばされ、ころころとなだらかな坂になっている地面を下っていく。口の中は血の味と土の味で、ぐちゃぐちゃだ。

 更に続けてやってきた衝撃は、ラダの足を再度薙いだ。痛みに悲鳴が漏れる。立とうとして上手く立てなかった。

 ラダを逃がさないようにだろう、森の主には獲物を足から狙う頭があるという事実に警鐘が鳴る。このままでは、餌食になる。逃げなくてはならない。

 けれど現実は甘くない。嫌なことに、視界がぐらぐらと揺れて、いまだにはっきりしないのだ。這いずって逃げることさえ、満足にできないときた。

 そうしたなかでも気付けてしまったのは、視界いっぱいに広がる手の存在だ。ラダを握りつぶそうと指が襲い掛かる。

 歩くことはできなくとも、腕は動く。予備のナイフを投げつけることはできた。

 尤もそれぐらいでは逃げきれないとは分かっていた。ましてや投擲の威力が落ちている自覚もある。森の主に傷をつけることは到底できない。

 それでも、当たることが大きいのか、手は僅かに躊躇した。そうでなければ、今頃身体中の骨を粉々にされていたに違いない。手の様子を確認する余裕もなかったが、今ラダ自身が無事なのだから、そう捉えてよいだろう。とにかくと、その隙に身体を無理やり転がすことで、手から逃れる。完全にまぐれだったが、上から降ってきた別の手に潰されるのを免れた。

 そうして両手で身体を起こしたことで、はじめて気がついた。いつしか六本の手が、倍に増えている。タラサの影から

どんどん湧いてきたそれは、まさしく絶望の象徴のようだった。


 果たしてこれでマーサを守ったといえるだろうか。


 その答えが分かって、自身の愚かしさに吐き気さえする。

 言うまでもなく、答えは否だ。ラダがやったことはせいぜい、マーサがやられるまでの時間稼ぎをしただけだ。その代償にタラサにいるクルトたちさえ巻き込んでいる。


 分かっていた。全ては自己満足だ。十二年前は、自分は庇われる立場だった。そして先日のセーレの襲撃では、その場にいることさえできなかった。ようやく守る立場になるという、それだけのことのために、多くの犠牲を払おうとしている。自分の命だけでは飽き足らない辺りが、まさに愚の骨頂だ。


 悔しさに、目の奥が痛くなる。ナイフのきかない魔物なんて、山ほどいる。ましてや森の主と呼ばれるほどの魔物なのだ。そのような相手に、自分一人で適うはずがないのに立ち向かった。助けられる算段がないのに、挑んでしまった。

 ラダにもう少し力があれば良かった。自分が『龍族』として生まれたなら、きっとこの魔物ともやり合えた。『異能者』として覚醒できたのならば、惨めな死に方をしないですんだ。ただの、都の元不良児にない生き方ができたことだろう。


「力があれば、何でも解決するってものでもないんだぞ」


 ふいに、浮かんだ一言は、かつてレンドに言われた言葉だった。

 何故それが浮かんだのか、ラダにはよくわからなかった。魔法があれば、異能があれば、解決する問題のようにも思えて、寸前のところで首を横に振った。

 今この場にいるのは、『龍族』でも『異能者』でもない。レパードでもリュイスでも、イユですらない。所詮現場に居合わせなければその力も無意味だ。

 ラダが無謀に突き進んだのは、これ以上ライゼリークに託されたものを失いたくないからだ。ならば、今求めるべきは力ではない。守るために必要なものはそれだけにはとどまらない。それに、最期のあがきぐらいは、せめてさせてもらいたいところだ。




 死の気配を漂わせる鳥籠の森で、ヒュウっという小さな音が鳴る。それは、口笛だった。初めに一回だけ鳴ったそれは、一定の規則をもって再び鳴り始める。

 それは、分かる人間には分かる音だ。特に、通信士であれば、すぐに分かっただろう信号である。

 けれど、通信士以外にそれが分からないかと言えば答えは嘘だ。航海士なら勿論のこと、或る程度船の操縦に関わる人間ならばそれは必ず伝わるものだ。

 音が伝えるは、座標。そう、それは飛行船の操縦の知識を齧った人間だけが分かる、救いを求める声である。




 ***

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