その63 『スズランの島』
「それじゃあ、班分けを伝えるよ」
シェルを除いた船員たちが集まり出したところで、ミンドールがそう話を切り出した。レンドとアグルはイユたちとは距離を置いた場所にいる。刹那とクルトも甲板にいたようで、ミンドールの隣まで歩いてきている。航海室でもリーサの部屋の前でも会ったジェイクは、マストに寄りかかって乱れた髪を整えていた。その近くには、スキンヘッドの大柄の男もいる。
「木材調達班は、ミスタ、ジェイク、イユにリュイス。それから僕も行こう」
「ミンドールも?」
まさか指示した本人まで動くとは思わなかったので驚きのあまり聞いてしまった。レンドから冷ややかな視線が送られて、黙っていろという意味だと捉える。
「船には万が一に備えて船長と副船長に残ってもらっているからね。僕が抜けただけなら何も問題はないよ」
ミンドールはイユに向かってそう説明をすると、残りの班分けについて話し始める。
「食材調達班はレンド、アグル、刹那で。周囲の安全を確保することも頼みたいかな」
イユがレンドと違う班であるのは、ミンドールの配慮だろう。
「クルトはまだ頼んだものが終わっていないって話だからいつも通りで。シェルも見張り継続だ。質問はあるかい? なければ、各自動いてくれ」
刹那がレンドたちの元へ、クルトがイユに手を振ってから船内に入っていく。その間に木材調達班に選ばれた面々も集まってきた。
「さて、僕らはこの面々で木材調達だ。初めてのメンバーもいるから挨拶を頼むよ」
この場合、初めてのメンバーとはイユのことだろう。ミンドールの言わんことを察して、イユはすぐに名乗った。
「イユよ」
それに対し、スキンヘッドの男が一歩進み出た。ミンドール以上の偉丈夫のせいか、こうして近づかれると威圧感を感じる。
「ミスタだ」
寡黙な男のようで、それ以上何も言ってこない。イユのことをどう捉えているのか、男の様子からでは判断がつかなかった。
対応に困っていると、今度はジェイクが片手を挙げて挨拶を始める。
「俺様とは航海室で会っているけどな。まぁ、改めて、ジェイクだ」
何故かそこでウインクをされた。きょとんとしたイユに向かって、更に続けて質問をされる。
「それで、イユは彼氏とかいる感じ?」
「は?」
イユとしては警戒していたのだ。既に会っているとはいえ、レンドたちのようにイユのことを疎んでも全くおかしくはないと考えていた。
「いやぁ、ずっと綺麗な女性だとは思っていたんだよ! 特に、その髪が良い! 目もきらきらとしていて、なんというか品がある。彼氏いないならさ、例えば俺様とかさ」
「はい、ジェイク。自重しようか」
ミンドールが止めに入って、会話が切り上げられる。初めて会ったときは全く知らなかったが、ジェイクはどうも見た目通りに軽いようだ。おまけにかなりの女好きで、女を見ると相手が異能者であっても口説かずにはいられない性分らしい。内心引く気持ちが強かったが、これであればセーレに残ることを反対はされないだろうと判断する。
「ちなみに周囲への魔物の警戒はリュイス一人で引き受けてくれるってことでいいね」
ミンドールの確認に、イユはジェイクを見て、つい口を挟んだ。
「……あんたも運ぶ専門なのね」
ミスタは大男だから納得だが、ジェイクはリュイスほどではないとはいえ細く見える。
「いやいや、イユが俺様にそれを聞く?」
最もな言葉を返されて、押し黙る。確かに、イユのことも見た限りでは力があるようには見えないだろう。
「それにしてもこの島、少し妙な感じがしますね」
そこで、リュイスに声を掛けられて頷く。ここは、今までにいたどことも違うとは、船が止まったときから感じていた。何よりも、風が静かすぎる。そしてやはり恐ろしいのは、森そのものだ。翠色の葉が茂っているのは上空からでも見えていたが、近づいて目を凝らしてみたことで、それらが全て木から生えているものではなかったことに気付く。巨大なたわわに咲いた白い花が、霧の間から顔を覗かせていたのだ。
「あれは、スズランだね」
イユの視線に気がついたようで、ミンドールがその花の名前を明かす。
「スズラン?」
「白い花をいくつも咲かせる花だ。といってもあんなに大きいのは僕も初めて見たよ」
イユの背丈を超すスズランの花が、森の間から溢れるほどに咲いている。それはまるで、自分たちが御伽の国にでも迷い込んだかのような錯覚を生んだ。
「……スズランがあるということは、水はやめておいた方がよさそうですね」
リュイスは船の下にある水を指した。飲み水として飲むなということだろう。
「スズランは毒性のある花です。あの花を活けた水を飲んで死んだ者がいると聞いたことがあります」
付け加えられた説明にイユは水から離れたくなった。
「そんな猛毒なの?」
「大丈夫ですよ。食べたり水を飲んだりしなければ特に問題はないはずです」
本当にそうなのだろうかと訝しみ、甲板のヘリへと近づく。目を凝らして水面をみる限りでは、ただの澄んでいる水だ。
「確かに生き物の気配はしないけれど」
「こうなると本当に食料や水、それに木材が調達できるかが心配だね」
「その前に、こんな不気味なところ、下りていいのかしら……」
下りた途端にスズランの毒にやられて死にやしないかと考えると、息をするのも恐ろしい。花だけでなく、霧もだ。船を隠すにはうってつけだが、湖に大きな魔物が潜んでいても気づけない。
「刹那! 危険だ!」
突然の大声に、イユは慌てて声の出どころを探す。早速魔物のお出ましかと危機感を抱いたその先にいたのは、アグルだった。船から必死に顔を出して叫んでいる。
アグルの視界の先には、刹那がいた。アグルへと半身振り返って首を傾げている。刹那は既に陸地に下り立ち、スズランの真下に自分の身を置いていた。
「何が?」
「……あ、危なくないっすか」
後半から尻すぼみになっているのは、平然と突っ立っている刹那に呆然としたからだろう。どうも魔物が出たわけではなく、スズランのある土地に一人足を踏み入れた刹那を心配して声を張り上げたらしいことが、様子から察せられた。
「アグル、あんまり大きな声をだすなって。皆が注目するだろ、恥ずかしい」
そう言ってアグルの後ろを通り過ぎ刹那の元へと下りていくのはレンドだ。驚いたことに異能者の危険には神経質な割に、スズランの森については悠然と構えている。
刹那が下りたことで危険がないことが証明されたからかと想像するものの、納得がいかず首を捻りたくなる。
「あの三人は早速動き始めたみたいだね」
じっと見ていたからか、ミンドールが声を掛けてきた。この機会にと、気になっていたことを聞く。
「あいつらって戦えるの」
周囲の安全を確保する仕事も兼ねているので、それなりに腕の立つ者が選ばれるはずだ。刹那が見かけによらず戦えるのは十分知っている。
けれど、残りの二人はどうであろう。はじめてセーレに乗ったとき、船員たちがナイフを構えて兵士たちと戦っていたことを思い返す。覚えていないが、レンドがその場で戦っていたとしても違和感はない。
しかしアグルに関しては、リュイスより細身なこともあり、戦える印象が皆無だ。
「全員ナイフは扱えるようにしているよ。その中でも上位から選んでいる。それに刹那がいるから問題ないはずさ」
「刹那姫はナイフに愛されているからな」
ジェイクが茶化すように付け足す。
「刹那姫?」
「そう、姫! いい響きだろう! 彼女にぴったりだと思って俺様がつけたんだ」
「……ああ、そう」
ジェイクのあしらいはこれで十分だろう。
「あの、そろそろ行きませんか。夜までには戻ってきたいですし」
その冷ややか口調がたまらないだのなんだのとうるさいジェイクのことは無視し、一行も飛行船を下り始めた。
地面は泥濘んでいたが、思ったよりもしっかりしている。足をつけると同時に、青々とした独特の花の香りが鼻についた。
スズランの花は間近でみると中々に迫力があった。美しいことには美しいのだが、いきなりその花がかぶりついてきてもおかしくないと感じられる。
先程の平然と立つ刹那を思い出し、幼いのに怖くはないのだろうかと不思議になる。まるで人形を見ているかのように、刹那からは感情が窺えないことがある。その理由の答えが見つからない。
「先頭は俺様が行くからついてこいよ」
一歩先にいたジェイクが振り返ってイユに声を掛ける。ジェイクの手には草刈り鎌があった。邪魔になる草を切って進んでいくのだと分かり、頷く。
一人騒がしいが、もともと静かな面々だ。ジェイクが先頭を切って進む関係もあり、特に何も話すこともせず黙々と森の中を進み続ける。後ろにいるリュイスが耐えず周囲を警戒しながら歩いているのが足音から分かると、段々周りを観察する余裕がでてくる。
イユが気付いたのはスズラン以外にもいろいろな草花が存在するということだ。圧倒的なスズランの数には負けているが、他の花もあるという事実がイユをほっとさせた。スズランだけが存在を許された世界というわけではなさそうだ。
「良さそうな木があるな」
ジェイクの声に、皆がほぅっと息をついたのは太陽が翠色の葉を通して日の光を真上から送ってきた頃だった。
ジェイクがそのまま進み続けるので後をついていく。すると、先ほどまでのスズランが嘘のように多くの樹木が群生している場所に出た。
「結構な太さのもある。これなら船の補修には使えそうだね」
ミンドールが近くの木を観察して言う。
「特に、危険な木ってわけでもないな」
ナイフで軽く幹をつついて、ジェイクが確認した。
「よくある普通の木だ。葉の色だけは不気味だが」
ジェイクの指摘どおり、葉は翠色をしていた。
「ひょっとすると飛行石の影響かもしれないですね」
「飛行石?」
リュイスに説明を求める。
「飛行石は環境に変化を及ぼしやすいんです。しかもその石によって及ぼす環境変化はさまざまです」
「私、飛行石の力の出始めは熱くなって、終わりの黒ずんだときに冷え込むものなのだと思っていたわ。……翠色にするものなんてあるのかしら」
確かに、セーレから生えた羽は若草色をしていた。色を付与する要素が飛行石にあると言われれば、そういうものかと納得はできる。
だが、イユにとって最も身近な印象は汽車から飛び降りたときに使った飛行石の記憶だ。日の光を浴びて眩しく光り、力尽きて冷たく黒ずんだ。
「イユさんのおっしゃっていることも事実です。だから歴史の古いレイヴィートは年々寒くなり、若い国であるシェイレスタは熱い国だと聞いたことがあります」
リュイスから聞く話は初耳なことばかりだ。特にあのブライトのいるシェイレスタが若い国だとは知らなかった。
「けれど、それは違うって前に誰かが言っていなかったか。飛行石は昔の人が作ったもので世界に一つしかなかったものなのに、寿命がばらばらなのは変だって話だろ」
ジェイクが木を伐りながらリュイスに大声で張り上げる。ミンドールもミスタも手伝っている。彼らは背中に斧を持参していた。イユとリュイスは持っていないので待機組だ。
そして木を伐る作業は意外と響く。イユなら聞き分けができるが、他の船員は声を張り上げながらでないと会話できない。
「飛行石は昔一つしかなかったの」
「そういわれていますね。とても大きな飛行石が一つあったのだと」
リュイスは近くにある茂みに近づいた。
「どうしたの」
リュイスが屈んで何かを拾うのを見て、イユは訊ねた。
「いえ、何か光ったような気がしまして」
そう言って、リュイスが水色の欠片をイユに見せる。リュイスの人差し指にも満たない長さの小さな欠片だ。
「飛行石?」
その色から連想されるものを口に出せば、首を横に振られた。
「違うようです」
それでは、何だと言うのだろう。聞くが、リュイスにもよくわからないらしく首を傾げてみせるばかりだった。
「倒れるぞ!」
声に注意され、イユたちは木の倒れる場所から離れていることを確認する。数秒後、みしみしと大きな音を立てて、木が折れた。
「よし、これだけ伐れば十分だ。皆で運ぶよ」
ミンドールの言葉に、皆が伐採した木へと集まる。リュイスの会話の続きが気になったが、それは今度でよいだろうと判断した。
「本当に重くないかい?」
驚いた様子でミンドールから声を掛けられる。伐採した木は、ミンドールの予想より重かったらしい。
「重いなら置いていってもよいんだよ。また取りにこれば良いだけだから」
とのミンドールの気遣いに、イユは、
「本当になんてこともないから」
と断る。さすがにイユ一人で担ぐには厳しかったが、イユとジェイクの二人で十分に一本分の木を持ち上げられたのだ。
「何なら真っ二つに割ってあげてもいいわよ」
そうすれば負担が半分だと思い、提案する。
「それは……、やめてください」
リュイスの懇願に一行から笑いが沸き起こった。
気のせいか、同じ作業をした仲間というだけで、いつしか一行に馴染んだ気がしていた。まだ警戒はされているのだろうが、少なくともミンドールやジェイクは気安く声を掛けてくれる。
「綺麗に真っ二つなら、加工の手間が省けそうだけどなぁ」
ジェイクは、このあとの作業を想像してか、そう言った。
「まぁ、その後の作業は戻ってから、ですね」
当然だが、木を運ぶのだけが仕事ではないのだ。リュイスたちの会話に、イユは頷く。
「しかし、魔物がいないのは運が良い」
ミスタの独り言のようにもとれる言葉に、同意する。人のいない土地では魔物が出るのが当たり前だと思っていたが、今のところ一度もそれらしい気配にあっていない。
「スズランのせいで水に毒があるから……、かもしれません」
リュイスはそう考察する。一部の例外を除き、殆どの生き物が生存できないのだろうと。
「ということは、人も住めないな」
ジェイクがぽつりと呟く。
ここはスズランの島なのだと、漠然と感じた。スズランの毒に対抗できる者でないと、住むことが許されないのだろう。




