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カルタータ  作者: 希矢
第九章 『抗って』
629/994

その629 『悪夢をねじ伏せて』

 

 次の瞬間、耳に飛び込む声があった。


「イユ、まだ間に合う!」


 その声は、イユにとっては青天の霹靂だった。目の前の絶望から射した一つの可能性に、滲む視界が一気に晴れる。その視界の端で、刹那の白銀の髪が映る。あっと思った時には木々に向かって投擲されるナイフがあった。

 何かが音を立てて崩れ落ちる気配がする。刹那が魔物の息の根を止めたのだと理解する。だからこそ、今までの出来事が夢だと言うことに思い当たる。

 同時に、直感していた。全てが夢なのではない。紛れもなく目の前で見たリーサの姿だけは本物であると。

 そして、実際にリーサはそこにいた。イユへと振り返り、イユの名前を呼ぶ。その背後に変わらず、『亡骸烏』がいるのを認めて、イユのやることは変わらないのだと気づかされる。


 落ち込むのも、悲しむのも、全ては後だ。本当に手遅れになる前に、まだやるべきことが残っている。一瞬の夢に足元を掬われて、現実を悪夢の通りにはしてはいけない。むしろまだ機会があるからこそ、やりきるのだ。望んでいない夢なんて、ねじ伏せるに限る。


 だから、足にありったけの力を込めて、全力で走り抜く。


 異能があっても届くか届かないかの距離。そこを埋めきって、目の前の『亡骸烏』へ蹴りを叩き込む。勢いにのったイユの足は、威力を落とさない。ぐしゃりと潰れる感覚が足に伝わり、そのまま蹴り抜く。

「イユ!」

 振り向いた先にいたはずのイユがすぐ後ろに現れたことに驚いたようで、リーサから声が上がる。

 イユはそれに答えようとして、出来なかった。今まで使ったどの力よりも強く、異能を使いきった感覚があった。荒い息を抑えきれない。今の今まで息すら止めて駆けたのだと、自分自身の行動を省みる。

 何も考えられないほどの、一気に押し寄せる身体の負担。それが、リーサを助けられたことの喜びに徐々に変わっていくまでに時間が掛かった。

 不安そうなリーサの様子を感じながら、息を整えどうにか身体を起こそうとする。そうして、リーサへと振り返ったところで、青い光と目があってしまった。


 くらりと、イユの身体が崩れていく。しまったと、声を出す間もなかった。『亡骸烏』と常に一緒にいる存在、『霧すがた』への注意を怠ったのだ。

「イユ!」

 声はリーサではなく、レパードのものだ。遅い警告の声だが、それは代わりに刹那に届いたようで、リーサの背後で銀色の髪が走り抜けるのが見えた。

 目の前のリーサへと視線を戻せば、砂漠でオアシスをみたかのような安堵と、イユへの心配が顔に出ている。

 その顔がよく見るとやつれていることに気がつき、咄嗟に謝った。

「遅れてごめんなさい」

 声が出たのはそこまでだった。くたりと跪いたまま満足に動くことができず、硬直する。

 リーサが両手でイユの肩に手を回した。

「何で謝るの。イユ、本当に良かった!」

 ぐずぐずと目の前で泣くリーサに、怖かったのだろうなとイユは胸が痛くなる。同時に助けられたのだと、ようやくはっきりと実感し切る。

 そうすると、今まで蓋をしていた感情が、ゆっくりと零れ出す。それは、迷子になった子供が母親に会ったときに泣き出してしまうような、そうした感情によく似ていた。

 そう、本当はいつも不安で堪らなかったのだ。なるべく考えないように圧し殺すので、精一杯だった。油断するとすぐに考えてしまうのだ。


 リーサがもしもう手遅れだったら? シェルのように大怪我をしていたら? レヴァスみたいに、心を傷つけられていたら?


 どの可能性もあったのだ。だからこそ、こうしてリーサの温もりを感じられることが嬉しかった。ぴんと張りつめた緊張の糸が切れそうになる。

 そこで、イユの心は警鐘を鳴らす。同時に疑えるほどには、イユは子供ではない。

「夢、じゃないわよね?」

  『心喰い』は悪夢を見せる魔物ではなく、夢で人を操る魔物だ。だから、逆に良い夢を見せられて操られてしまっていないかと考えてしまう。

「私も、そう思っているわ。本当にイユなのよね?」

「二人とも間違いない」

 リーサの質問に答えたのは、とぼとぼと歩いてきた刹那だ。『霧すがた』を追い払ってきたのだろう。実体はないから、実際は『亡骸烏』を倒した後で『霧すがた』自身が身を引いたのだろうが、生気の吸えない刹那の存在は間違いなく大きい。

「このあたりにいる『心喰い』は軒並み倒したはず」

 その回答では、イユたちが夢を見ていない保証にはならないのだが、イユは追及できなかった。

  「大丈夫?」とリーサに訊ねる刹那をみたリーサの反応は、あまりにも動揺が窺えるもので、言葉を失ったのである。

「刹那。でも、なんで」

 恐らくリーサを連れてきたのが式神で、刹那に似ていたことが原因だろう。そこに怯えさえ確認できる。

「ごめんなさい」

 頭を下げて謝罪する刹那が意外なようで、リーサが瞬きをした。

「え?」

「皆を裏切った」

 あまりに淡々と告げられる事実に、イユはリーサが何というか気になった。重い頭を上げきった先でリーサの横顔がはっきりと目に映る。そこには、『それどころではない』と書かれていた。

「私は大丈夫。それより、ジェイクが!」

 イユは戸惑いを隠しきれなかった。ここで、その名前が出てくるとは思わなかったのだ。怪我人だと聞いていたのは、ヴァーナーだったはずだ。

「ジェイクがどうした?」

 クロヒゲを運んでいるがために遅れてやってきたレパードから、声が掛かる。

 答えを聞くより前に、鳥籠へと走る刹那の気配を感じた。

 イユの視線は刹那を追って、『亡骸烏』をぶつけた鳥籠の先へと向かう。そこに、倒れている人の姿を認めてしまった。

 正直にいうと、それまで存在に気付いてもいなかった。あまりにぼろぼろすぎて、それが人だとも認識していなかったのだ。

 駆けつけた刹那が治癒の力を使うのを見て、我に返る。

「刹那、手伝えることはある?」

 言いながら立ち上がろうとしてふらついた。急いで力を使って無理やり立たせる。

「イユ、無茶はまだ」

「大丈夫よ」

 リーサに声をかけられたのでそう返事をし、刹那に顔を向けた。

「命の妙薬は、余ってない?」

 ラビリに貰い、なるべく無駄遣いはしないようにしていた薬だ。ミンドール用にと、リュイスに持たせてあった。残りはワイズのいないイユたちが所持している。

「少しなら残っている」

 レパードが取り出そうとしたところでリーサが声を掛けた。

「あの、待って」

 リーサの視線は鳥籠、否、その奥にある。


「ヴァーナーも酷いの」




 鳥籠の先にいるヴァーナーの状態は、想像以上に酷かった。意識はなく、ぐったりしている。傷が開き、包帯から血が滲んでいた。

 二人とも重傷で、妙薬は少しときたのだ。

「どうするの?」

 クロヒゲにヴァーナー、ジェイクときてはイユとレパードだけでは運びきれない。引きずっていいなら話は別だが、全員が重傷なのだ。無事なのはリーサと刹那だが、二人に手伝わせるのは躇われた。何より、リーサは大きな怪我こそないものの、どうみても疲弊している。立っていられるのは、怪我人を前にしているからだ。刹那に至っては式神とはいえ子供で、人を抱えられるとは思えない。危険な魔物を倒す役目にまわしたほうがずっと良い。

 そして、気掛かりなことがまだある。

「ねぇ、リーサ。マーサは?」

 いるべき船員が、ここにはまだいないのだ。

「えっ、私にも分からないわ」

 リーサ自身も問われて驚いた顔をするので、手当てに忙しい刹那を見やる。視線だけで気付いたらしく、返事はあった。

「まだ奥にいる。記憶を読み終わった船員は分けて管理している」

 さらりと言われて、言葉に詰まる。

「記憶って」

 レヴァスは記憶を読まれている最中だったはずだ。それで、ああなってしまったのだ。

 マーサが無事とは思えず、ぎょっとしてしまう。しかも、心を壊した彼らをあろうことか、再び鳥籠の森に連れ戻したというのだ。悪魔の所業だといいたくなる。壊れた心の持ち主が、『心喰い』に遭遇したらどうなるのか、考えたくもなかった。

「よく分からないけれど、セーレで別れたきりマーサさんとは一度も会えていないの。私、心配だわ」

 事情の理解できていないリーサがそう呟いたときだった。

 狼のような遠吠えが、森のなかに轟いた。大きな声であった。

 狼と表現したが、それは勇ましいものではない。どちらかというと、聞く者の心を震わせるような、冷たさを含んでいた。悲しみを体現したような音に誘われて、さざなみのような風がやってくる。

 風が運んできた死の気配に、イユの肌が粟立った。同時にごくんと唾を呑み込む。

 今まで鳥籠の森にいた魔物といえば『心喰い』や『亡骸烏』、『霧すがた』だった。それはどれも危険な魔物ではあったが、逆に言えば刹那がいれば脅威は大きく下がった。

 けれど、今の声はそれまであった魔物のどれにも該当しない。

 この森では初めて聞く、明らかに大きな生き物の声に、冷や水を被った心地がした。リーサを助けられたからと言って地獄は終わっていないのだと、思わされた気分であった。

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