その628 『再会からの』
「本当は安全な外に連れ出したいところだが」
「そんな場所はないわ。運びましょう」
怪我人がクロヒゲも入れて二人。刹那は把握している限りと答えた。だから、更に増えるかもしれないという。残りのメンバーがどうしているか不安しかない。
傷だらけのクロヒゲは目を覚まさない。多くの面々がぼろぼろになった今、ここまできてしまうと、安易に無事を信じるという言葉を吐けないでいる。
「俺が背負おう」
「分かったわ」
この先、マーサやリーサ、怪我人のヴァーナーに、セン、ジェイクがいることを考えると、鳥籠の森に飛行船で入れなかったことが悔やまれる。
「多分、怪我の具合さえよくなれば、クロヒゲは目を覚ます。幸い、そこまで生気を吸われていないから」
近くに『亡骸烏』がいなかったことも関係しているのだろうか、刹那が慰めるようにそう告げた。
「そう信じたいものね」
レパードがクロヒゲを背負い、歩き始める。刹那の先導で着いていく。
数時間は、何事もなかった。深い霧のなかを延々と歩き続けるだけだ。途中でレパードと交代したが、その後すぐまたレパードがクロヒゲを背負う。
クロヒゲは目を覚ます気配を見せなかった。仮に目を覚ましたとしても、どこか虚ろだろう。『霧すがた』に襲われたことがあるイユだからこそ、想像は容易い。
更に数時間歩き通したところで、刹那から声が掛かる。
「そろそろ近い」
まるでその声に応えるように、霧が晴れていく。イユはそこで初めてはっきりと見た。
枯れ木の枝に無数の鳥籠が揺れている。ゆらりゆらりと冷たい風に揺られたそこには捕らえるべき鳥は入っていない。空っぽなそこは、自由を求めて飛んでいった鳥が帰ってくるのを待っているかのように、扉が開きっぱなしの状態だ。だから、揺られた風に合わせて、ぎこちない音が鳴っている。霧があったときはほぼ無風だったのか、イユが意識を割いていなかったせいか、それとも霧が音を吸い取っていたのか不思議と今まで気づかなかった。
「寂しい光景ね」
そこにいたはずの鳥が全て巣立った後とでもいうのだろうか。鳥籠の森というだけあって、ここにあるのは抜け殻、全てが去った後に取り残された空っぽの場所なのだと思わされた。
けれど、どうしてここにあるのは鳥籠なのだろう。同じ森でもスズランの森ではスズランだけが異常に育った森だった。あれは飛行石の影響があったという話だったはずだ。それは理解できた。しかしここにあるのは、どうみても人工の鳥籠なのだ。誰かが、人が入れるほどの大きさの鳥籠を故意に作ったとしか思えない。最も危険な魔物がいるなか、鳥籠を無数に作っても意味がないことは明白だ。
「私も分からない」
刹那に聞いてみたが、答えは持っていなかった。レパードもだ。
皆、どうして鳥籠なのか理解できないまま、ただ鳥籠の森の存在だけを恐れているのだと、イユは気づかされる。
だからこそ、改めて不気味なところだと実感する。こんな場所にセーレの皆を、ましてや怪我人までも閉じ込めたままにはしておけない。
決意を新たにしたイユは揺れる鳥籠の合間をくぐって森のなかを突き進む。
その先で、声が聞こえたのだ。
それは、式神の真似事で、夢で、聞かされた声よりもずっと枯れていた。叫び疲れたことが伺える声で、しかし強い意思とともに何かを叫んでいた。
逸る心を諌めて耳を澄ませる。
「来ないで!」
聞こえてきたのは、明確な拒絶。
けれど、イユに向かってではないだろう。異能を使って聞き取った声だ。気付いているとは思わない。
「いたわ」
確信を持って、イユは宣言する。
「こっちよ! 魔物に襲われている」
持てる力全てを足に込めた。葉のない木々のなかを突っ込んでいく。
声は止まない。必死に叫び続けるそれは、イユには戦っているように聞こえた。戦えるはずがないのに、持てる全てで立ち向かっているのだろうと、そう感じ取る。恐らくは怪我人のヴァーナーを守ろうとしているのだろう。彼女はそういう人間だ。
イユの目に、人影が飛び込んでくる。
「見つけたわ」
鳥籠が無数にあるその先に、見慣れた黒髪を見つける。
幻で見たときとは全然違っていた。さらさらの黒髪にヘッドドレスをし、水色のドレスを着て、必死に叫び続けている。その姿はぼろぼろではなく、むしろ美しさすらあった。
ずっと探していた、友人。リーサは捕らえられても尚、真っ直ぐに立ち向かっている。たった一人で、恐らくは魔物を追い払おうとしている。
「リーサ!」
イユの叫びを遮る霧は、出ていない。イユの声は確実にリーサへと届く。
その声に、リーサが驚いたように振り向く。目と目が、合った。
「イユ!」
叫び返された声をかき消すようにして、烏の鳴き声が覆い被さる。
イユは見た。リーサのすぐ後ろに、『亡骸烏』がいる。嘴を開いて、叫んでいる。
きっとリーサはこの『亡骸烏』と戦っていた。それを、イユが声をかけたばかりに、中断させてしまった。
リーサの背後で、獲物を喰らうときは慎重のはずの『亡骸烏』が大きく翼を広げる。リーサへと飛びかかろうとしている。
イユはたまらず手を伸ばした。全力で走っているのだ。にもかかわらず、リーサはまだ遠い。このままでは夢のようにリーサが『亡骸烏』に襲われてしまう。それも、今まで無事だったのにも関わらず、イユの目の前で、だ。
「させない!」
そう意気込むものの、現実はいつも思い通りにはいかない。
全力で走っているはずなのに、距離は到底零にはならない。リーサに追いつくことができない。リーサもまた、『亡骸烏』へと振り返るが、どうとでもできないようだった。
『亡骸烏』の嘴がリーサの胸を抉る。リーサの肉を易々と突き抜けて、その先へと――
「リーサ!」
悲痛の声が自身の喉から飛び出た。
悪夢が再び蘇る。現実が悪夢そのものにとって代わろうとしていた。




