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カルタータ  作者: 希矢
第九章 『抗って』
621/994

その621 『ささやき』

「ねぇ、リーサ。あなたも、だっこしてみる?」

 懐かしい声だ。優しくて、少しだけ強気な母の声。

「うん、いいの?」

「当たり前じゃない。あなたはお姉ちゃんになったのだから」

 そう言ってリーサの両手に赤ん坊が渡される。どっしりとのし掛かる重さが、命そのもののようで、ぎゅっと抱きしめる。

「リーサはお姉ちゃんだから、この子の面倒をみてあげてね」

 母の声がどこか遠い――――




「先生、できました」

 気付くと、リーサは学校にいた。緑色の黒板に白いチョークで「できた人から退出」と書かれている。先生は真っ直ぐに線を引けない人だから、少しずつ文字が右上がりになっていた。

 リーサは机の上の答案用紙に目をやる。鉛筆を握った手が自身の目に映っていた。答案はまだほぼ白紙だ。

 かきかきと文字を書く音が、周囲から聞こえてくる。その音がリーサを急かすようだった。

 加えて、席に着いているリーサの隣を、歩き抜ける気配がする。

 再び黒板へと視線を向けたリーサの目に、翠色が飛び込んでくる。

 先ほどの声は、リュイスのものだ。誰よりも先に席を立って、答案を提出に行く。

「あの子、本当に凄いよね。何でもできちゃって」

 隣でそんな女子たちの会話が聞こえる。

「あそこまでできるといっそ清々しすぎて雲の上っていうか」

「あ、分かる。もう同じ人とは思えなぁい。リーサも、そう思うでしょ?」

 振られたリーサはたじろいだ。

「えっ? あ、そうね」

「こら、ユイ。騒がしいぞ。テスト中に真面目にやっている生徒に声を掛けるんじゃない」

 クスクス笑う声に反省の色は見られない。

「全く」

 という先生の呆れた声がした。

 書き込む音に紛れて、次から次へと生徒たちが席を立つ気配がする。普段は不真面目なヴァーナーもさらっと終わって教壇へ提出しにいく。続けて、レッサがおどおどとしながら抜けていき、ラビリがいそいそと席を立ち上がる。

 ラビリは一番年上だから、リュイスも二つ上だから、手が届かなくても仕方がないのかもしれない。ヴァーナーは頭が良いから、レッサも集中力が凄いから、比べてもどうしようもないのかもしれない。

 けれど、周りがどんどんいなくなって片手で数えられるぐらいになると、途端に心苦しくなる。目の前の答案は殆ど埋まってないのだ。まるで自分が駄目だと言われているみたいだった。


「リーサは真面目で良い子なんだけどなぁ」

 時間切れになって答案を提出していると、そんな風に先生から声を掛けられる。

 それがトゲみたいにリーサの心に刺さって、作り笑いもできなかった。泣かないように意識して学校を出る。目頭にぎゅっと力を込めれば涙が落ちないことを、これまでの経験で知っていた。

 学校の外では、先ほどテスト中に声をかけてきた友達、ユイが他の人と一緒に楽しそうに話していた。相手は『龍族』の先輩のようだ。リーサの存在に気付かれたくなくて、自然と足が遅くなる。

「お、リーサ。ようやくきたね!」

 声を掛けられてしまい、リーサは心のなかだけで断念した。

 ユイはテスト中あれほど騒がしくしていたのに、自分よりずっと早くテストを終えてしまっていた。そして、まだ来ないリーサを待っていたのだろう。点数も自分より良いのだろうことは、見なくとも知っている。

「そんじゃ、帰ろうか」

 大人しく頷いて何事もなかった顔をするけれど、心のなかではいつもびくびくと怯えていた。



「お母さん、ただいま」

「おかえりなさい、リーサ」

 気付いたら、家の扉を開けていた。

「あら、どうしたの。浮かない顔ね」

 すぐに表情を読まれてしまうのは、母が鋭いせいだろう。

「お母さん、お家のお手伝いしたい」

 何もできないから、せめて家のことぐらいは手伝えるようになりたかった。

「まぁ、ありがとう。リーサは優しいのね」

 そう言って誉めてくれるから、そのときだけは嫌なことを忘れられた。

「リーサが手伝ってくれるなら、余裕ができるわ。お父さんが帰ってきたら、御馳走にしましょうか」

 そうやって突っ込まないでいてくれるから、リーサは家族が好きだった。




「ごめんね」

 手のなかにある命の音が弱々しい。

「面倒をみられなくて」

 何もできなかった。怖い大人たちが、リーサの好きなものを全て奪った。家族に友達。全部、一瞬のうちに消えた。

 ユイはあの日、一緒に船を見に行ったとき、誰よりも先に炎に焼かれてしまった。

 母も父も、手のなかにあるはずだった命も、全て目の前で潰されてしまった。

 圧倒的な暴力は、些細なリーサの自負など吹き飛ばしてしまう。

 気付いたら、目の前は真っ暗だ。

 そう自覚した途端に、ふわっと落ちていく感覚がした。どうにもならない暗闇のなかを、意味も分からず落ちていく。ぐるぐると回るように落ちていく感覚は、或いは地獄に突き落とされているかのようでもある。どうにもできずに泣き叫びたくなった。

 そんななかで、声が聞こえた。


 ――開けないの?


 唐突な言葉に、理解が及ばない。

「え?」

 代わりに、目の前が急に白いもやに包まれる。そうして気付くと、リーサはいつの間にか鳥籠の中にいた。



 ――助けられなくなっちゃうよ?


 聞いたことのない声だった。声なのかも、正直分からなかった。それはどちらかというと、誰かと直接話すのではなく、心のなかに響くような感覚だった。

 だから、いつもであればその声にまず動揺していたはずだ。

 リーサがそれどころではなかったのは、目の前にヴァーナーが転がっていたからだ。

「ヴァーナー?」

 駆けつけたリーサは、ヴァーナーをさすろうとしてぎょっとする。

「どうしよう」

 自身が青ざめていることが分かる。目の前にいるのは、意識を失いぴくりともしない黒髪の少年。その腹の怪我は酷く、包帯を巻いても血が滲んでいた。

「やっぱり私には何も出来ない」

 傷が開いてしまったのだろう。血がどんどん広がっていく。手で押さえようとするが、変わらない。ただただ、無力さに叩きのめされる。こうなってもどうしたら良いか分からないのだ。応急手当はセーレで学んでいたはずなのに、手当てのあとも衰弱していくのだから、もう手の施しようがない。苦しそうなヴァーナーを見るのはあまりに堪えた。

「ヴァーナー! しっかりして、ヴァーナー!」

 泣きながら声を張るが、ヴァーナーは目を覚まさない。



 ――開けないの?


 そのとき、再びの声がした。


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