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カルタータ  作者: 希矢
第九章 『抗って』
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その616 『あのときの話、無力の果て』

 

 ――――今回も、何もできなかった。

 リーサは、セーレの食堂にいた。突然の子供四人による襲撃にセンがやられてしまい、今ここにいるのはリーサとヴァーナーだけだ。

 二人しかいないのだから、リーサは頑張らねばならなかった。ヴァーナーはナイフを持っていたが、戦いは不得手だということを知っているから、尚更だ。


 けれど、今のリーサにできたことといえば、目の前で自分を庇って倒れるヴァーナーをみて、取り乱すことだけだった。


 いつだって、世界は急に残酷な顔をみせる。ついさきほどまで一緒に写真を眺めていた人も、献立について話し合った一時も、仲間と楽しくご飯を食べた出来事も、あっという間に吹き飛ばされてしまう。

 そして、いつも失ってから、あの平和が大切なものであったことを思い出すのだ。


 セーレの木の板に染み込んだ血の匂いが、リーサの記憶を刺激する。

 そう、それはあのときと何も変わらない。十二年前と同じ、悪夢がまた襲い掛かってきた。

「ヴァーナー、お願い、しっかりしてぇ……!」

 現実を前にして、足はすくみ、頭は真っ白になり、泣き叫ぶことしかできない。


 どうしてこんなに、大好きなみんなのために頑張れないのだろう。怖いという気持ちが先走って、気付いたら体をがんじらめにされている。

 十二年前はまだ、子供だったから無力だったのだと言い訳ができた気でいた。

 けれど、それは嘘だ。リーサは今このときになっても満足に動くこともできない。助けたいのに助けられない。目の前で刺されたヴァーナーを前にして、自分がやっていることは十二年前と同じだ。

「抵抗、する?」

 目の前で囁かれて、ぎょっとする。一瞬で涙が引っ込んだリーサは、体が反応しつつも頭が混乱していた。

 黒装束の、顔に黒い掛布を垂らしたリーサよりずっと小さい子供が、リーサの目の前で小首を傾げている。その手にはヴァーナーを刺したナイフが握られている。

「あ、なたは……」

 子供の声に、聞き覚えがあった。

 けれど、感情がそれを認めない。辿々しい口調の、少女の声が幾ら似ていたとしても、まさか刹那がヴァーナーを刺すはずがないと。

「お、お願い。助けて……」

 掠れた声で懇願する。それだけが、リーサにできたあまりにも情けない行動だった。

 子供は小首を傾げたまま、武器を構える。きらりと光った刀身は血に濡れて赤黒い。一段、リーサへと近付くために階段を下りる。

 リーサは悲鳴を上げ掛けた。歯がカチカチと鳴っている。感じてしまったのだ。目の前の子供に、人らしくない不気味さを。

「い、いや……、来ないで」

 絞り出した声に、何を悟ったのか子供は更に一歩踏み込む。相手に殺意があるのだと、リーサは嫌でも感じ取る。体温が一気に下がって、いつの間にか身体の中が大きな氷で固まってしまったようだ。下がろうにも動ける気がしなかった。


 そのとき、階下から凛とした声が響いた。

「もうやめてください」

 その声は悲痛さを訴える。

「リーサちゃんたちを傷付けないで」

 それは、マーサの声だ。厨房の奥から出てきてしまったのだろう。

 けれど、リーサにはマーサへ「逃げて」と声を張る元気すら出せなかった。叫ぶことさえできない己の無力さに、目の前の恐怖が混ざりあって吐き気さえ込み上げる。

「私が船の所有者です。用があるならそれは私にしてください」

 目の前の子供にマーサの言葉が通じたのか、その首はマーサへ向いている。

「お前、抵抗する?」

「いいえ、私はお話をします」

 言葉とは裏腹に子供は武器を構えてマーサに向かって階段を駆け下り始める。

 リーサにはもう意味が分からなかった。何故抵抗するのか聞いておきながら、武器を振りかざすのか。ただ、一つだけ分かったのは、狙いがリーサからマーサへと変わったということだ。

「マーサさん!」

 唯一叫んだところで、ふいにリーサの意識が途切れた。首に衝撃があったのだけは、唯一分かった。子供は四人いた。だから、他の子供に襲われたのだろうとだけ薄々気付いたが、だからといって無力なリーサにどうにかなるものではなかった。



 次に目を覚ますと、真っ暗だった。目を開けようとして布に覆われていることに気が付く。頭が割れるように痛くて、身体も重い。動かそうとして動けない。体を縛られ、目隠しをされているのだ。恐怖で声を上げかけ、口も塞がれていることをはじめて意識する。

 何もできない。助けを呼ぶことも外の様子を知ることも、今のリーサには許されていない。子供と相対していたときでさえ何もできなかったのだ。とうとう物理的にも無力になってしまった。

 せめて耳を澄ませてヴァーナーやマーサがどうなったか知りたかったが、驚くほど無音だ。

 まるで、世界からリーサだけが取り残されたようだった。怖いのに震えることすら満足にできない。額の汗を意識して喉の乾きを覚える。けれど水を飲むことさえできない。そのうちに空腹を感じてきて、耐え難くなってくる。泣きそうになるが涙さえ枯れてしまったようだった。

 そのうちに、リーサの意識が落ちていく。睡魔に負けたからか気を失いかけているのか、自分でも判断がつかなかった。


 意識が再び戻っても、世界は暗いままだった。怖いとか何かをしないといけないとかそうしたことを考える余地がこの頃のリーサには既になかった。暑さと乾きに再び意識が闇のなかに引きずり込まれていく。そしてまた意識が戻り、意識が落ち……、を延々と繰り返す。


 混濁する意識の中で、冷たい何かを口に流し込まれるのを感じた。うっすらと目を開けるが、暗いままでよく分からない。ただ口の回りだけは、やけにすーすーとしている。乾ききった唇から何かが再び流れ込んでくる。

 恐らくは水だろうが、仮に怪しげな薬だったとしても今のリーサにはどうにもできなかった。されるがまま飲まされつつ、頭を誰かに支えられていることに気付く。その手が小さくて冷たい。子供の手のようだ。

 リーサに浮かんだのは、ナイフを構えた子供の姿だった。あの子供がリーサに水を飲ませているのだとしたら、彼らの目的はリーサたちを殺すことではなかったことになる。実際こうして捕まっている以上、どこかへ連れていこうというのだろう。風の噂で、人身売買について聞いたことがあったと思い返す。あのときは気にしなかったが、外れにあった飛行船を狙ってそこにいた人間を拐うことを考える人間もいるのだろう。もしくはブライトが裏で手を伸ばしてリーサたちを捕らえさせたのかもしれない。そうなると、リーサたちは人質だ。いまいち目的が見えない人なだけに、そちらのほうが怖いまである。


 けれど、そんなことを考えたところで、リーサには何もできなかった。怖い想像が膨らむばかりで、手も満足に動かせない。

 まるで、翻弄されるだけの人形だ。無力の果て、行き着く先は人ですらない存在である。

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