その614 『屋敷からの脱出』
「これは思っていたより大変ね」
廊下の先が賑やかだ。刹那がせっせと担架を組み立てている間に周囲を探りにいったイユは、いよいよ今いる区画にも多くの人の手が入ろうとしていることを知る。そろそろ移動しなくては、見つかったら最後、怪我人を抱えているイユたちに逃げ場はない。
だが、問題はどう移動するかだ。
「まさか担架で屋根裏を走るわけにもいかないわよね」
人目を避けるならそれが一番だが、怪我人を運ぶのは厳しい。
「この部屋の近くに地下へいく通路がある。そこから通っていく」
刹那が担架を組み立てながら、答えた。刹那には誰も手を貸していない。それぞれが、ワイズにペタオにレヴァスと抱えているのもあるが、手慣れている刹那を手伝おうとしたところでかえって邪魔になることを悟ったからだ。実際、即席の担架はこの短時間でほぼ完成している。
最後に刹那が耐久を確認して仕上げると、イユたちはミンドールのいる部屋に急いだ。
幸い、この時点では廊下に人はやってきていない。
ミンドールのいる部屋に入ってから、イユたちはすぐにミンドールを担架に乗せる。ミンドールの負担がなるべく少なくなるようにするため、ここで手間取ったのは事実だ。
だからか、気付いたときには、ざわざわという人の話し声が廊下の先からはっきりと聞こえてきた。異能で耳を澄ませて聞こえる範囲だから、まだ遠いとは思うが油断はできない。
「地下はどこ」
「右手をいった先」
手早くイユが聞くと、刹那から返答がある。
「地面に蓋がされている。開いているから大丈夫」
「急ぎましょう。すぐそこまで人が来ているわ」
ただ急ぐといっても担架だ。廊下に出て右を折れたところで、イユの耳は足音を拾う。
五、六人だろうか。克望の名前を叫びながら進んでいるので、隙はつきやすそうだ。
担架を下ろして仕留めるか悩んだところで、刹那がぽつりと呟く。
「私が気を引く。一本道だから先に行って」
刹那の言い分は最もだ。手の空いている刹那が足止めするというのは、筋が通っている。ただ、刹那とは少し前までやりあっていた仲である。それに廊下で名前を叫んでいるのは、本来の仲間であるはずだ。
だから、イユが抱けた感情は不信だった。返答を躊躇うイユに代わって、レパードから発言がある。
「分かった」
レパードの肯定を聞いた刹那がすぐさま飛び出していく。
廊下を折れ曲がったので、その姿はすぐに見えなくなった。
イユは不安ごと言葉を飲み込むと、担架を握る手に力を込めた。いざというときのために、耳だけは聳てる。
「刹那様、ご無事でしたか」
刹那が廊下に出たのだろう。男の安堵の声がする。
「私は平気。どうして?」
「いえ、実は配備していた式神が全て紙に戻ってしまいまして。お二人のことを心配しておりました」
刹那の次の言葉には少し間があった。
「克望は見つかった?」
「刹那様もお探しで?」
刹那はうんとも、ううんともつかない回答をする。意外と嘘が下手だ。
「この辺りにはいない」
「左様でございますか。残りはここか書斎ぐらいかと思ったのですが」
対応していた男の声は、幸いにも刹那が克望を探していると解釈したようだ。
イユたちは、刹那の言っていた地下への通路に行きつく。確かに、鍵はなかった。レヴァスを横に寝かせたレパードが蓋を持ち上げる。その背後で、引き続き会話が続いている。
「分かりました。ではわたくしめは別の場所を探して参ります」
「うん。よろしく、岐路」
「承りました。良ければこちらにいる数名お渡ししましょうか」
蓋は開けられたが、中は思いのほか狭かった。担架で通路に入るのに、何度もぶつかり掛ける。やりとりは続いているが、一つ角を曲がればイユたちのことなど簡単にはばれるだろう。そう思うと気が逸って仕方がない。
「大丈夫。私一人のほうが早い」
「それもそうですね」
意外にもすんなりと帰っていく気配を感じて、胸を撫で下ろす。そこで、男の足音が止まった。
「ところで、確認したかったのですが」
「何?」
「最近の克望様は珍しく何かを隠されていたように見えまして。ちょうど刹那様も戻ってきましたし、気になっていたのですが」
「そう」
刹那の声がいつも以上に平淡だ。
「何かご存じではありませんか? それが、克望様を探す手がかりになるのではないかと浅慮しておりまして」
担架が狭い通路を通り抜け、ようやく地下の様子がイユの目にも飛び込んできた。じめじめとした暗い場所だ。非常灯の一つもないときている。
「私には、分からない」
最後に聞こえた会話は、そこまでだった。
足音が消え、少ししたところで、刹那が戻ってくる。
「もう大丈夫」
「いくぞ」
また誰かがやってくるともしれない。レパードの声にイユたちは頷いた。
地下は思った以上に足場が悪い。土壁に土色の床は一見整備されているようで、やたらと階段が多いのだ。おまけにもともと使われていない場所らしく、埃が凄かった。虫のいる気配もある。歩く度に舞い上がる土埃にむせそうになりながら、狭くて暗い通路を進んでいく。
そのせいで、ゆっくりと進むしかないイユたちは、あまりに遠い道に辟易しかけた。
「これ、いつまで続くのよ」
「もうすぐ、屋敷の外」
細くて狭い道は、刹那と洞窟を潜った当時を思い起こさせる。あのときと違って、イユたちは多くの怪我人を連れ、あわせて今回はレパードやワイズもいる。刹那の立場もかわってしまい、何だか遠い昔のようだ。
「あそこ」
刹那の声に振り仰げば、扉が見えた。
「あれはどこにつながっているのよ」
開けた途端兵士が流れ込んでくるという嫌な想像が掻き立てられる。そうなると、イユたちに逃げ場はない。
「屋敷の外」
「それは分かるわ」
ここまで歩いた距離から察せられる。屋敷どころか別荘地一帯から外れているだろう。
「祠」
意外な答えに、イユは眼を瞬いた。
「本当に、祠だわ」
扉の先は、洞窟になっていた。イユたちを待ち受ける兵士がいないかわりに、天井にしめ縄が掛けられている。そのしめ縄が何かを祀っているものだということは、イユにも自然と分かった。
「いざというときの脱出口。祠にあれば、皆近寄らないから」
目立つようで意外と気付かれにくいのだと刹那はいう。確かに洞窟は薄暗い。ひんやりとした寒さがミンドールの傷に響かないか不安だったが、それは刹那が懐から布を取り出したところで解決した。




