その612 『飛べない鳥』
セーレの皆は、全く無事ではなかった。
ちかちかする視界に目頭を抑えたイユは、落ち着けと自分自身に言い張る。まずは屋敷にいる仲間が先だ。ぞっとさせられる話ばかりだが、先にレヴァスを助けにいくべきだろう。
「レヴァスの部屋に案内して」
「ううん」
刹那は首を横に振った。
「先に私の部屋、通りすぎる。ペタオ、連れてくる」
ペタオの様子も確かに気になっていた。道中であれば、寄っていくべきだろう。
「それなら、案内して」
イユの指示に、刹那は頷く。
「こっち」
今度は屋根裏は使わない。刹那は襖を開けると、慎重に廊下の様子を確認し歩いていく。手招きをする刹那に続いたイユは、ちらりと意識のないミンドールへ視線をやった。
今は隠れて移動しているから、置いていくしかない。けれど、絶対に助けにいくと心に決める。
「ここ」
刹那の部屋は思った以上に近かった。ミンドールの看病を考え、最も近い空き部屋を使っていたらしい。
「失礼します」
丁寧に挨拶して入るリュイスの声を聞きながら、イユはその部屋の様子に目を瞬いた。ミンドールが寝かされていたのと同じ、畳の敷かれた部屋だ。天井から照明の光が零れているだけの、人が生活している跡が驚くほどない、殺風景な部屋である。これならミンドールの寝ていた空き部屋のほうがまだ物があった。
「ここ」
刹那に続いたイユは、遅ればせながら気がついた。今まで先頭をいく刹那の影に隠れて見えていなかったのだ。
刹那の前の床に、白い鳥の姿が見える。間違いない、ペタオだ。声をかけようとしてイユたちの足は止まった。
籠の中に入れられているわけでもない。布さえもなかった。ただ、畳の上にだらんと横たわっている。まるで死んでいるかのように、ぴくりともしない。
「ちょっと!」
そう声を発しかけて、イユは口をつぐむ。黒い嘴が僅かだが、動いたのだ。それで、生きていることだけは分かった。
けれど、どこからどうみても元気がない。身体も全体的に痩せていて、イユたちがきたというのに気がついていないのか、目が閉じられたままである。
「ちょっと、ぐったりしているじゃない」
イユは言い方を変えた。とはいえ、ぐったりという表現があうかどうかはイユのなかでは甚だ疑問だった。
「籠がなかった」
刹那の答えに、ぽかんとする。
「は?」
理解できていないと悟ったのだろう、刹那が説明を続ける。
「逃げられないよう、翼を折った」
それを聞いた途端、肌が粟立って、反射的に刹那から距離をとりたくなった。そもそも、刹那は誰よりもよくペタオの面倒をみていたはずではなかったのか。それなのに、籠がないというだけの理由で翼を折ったと言うのだ。信じられない話である。
「逃がしたら殺すって言われた。死んだら会えない。だから、これが最善」
迷った素振りも、躊躇った態度も見せずに、はっきりとそう口にされる。それを見ていたら、刹那はやはり人ではないのだと、思わされた。
しかし、同時に寂しくないようにイユの手を握ったのも、刹那だったはずだ。どうして優しさと惨さが同時に刹那という式神のなかに存在してしまうのか。刹那のことを理解できたようで全く理解ができなくて、イユの心はぐちゃぐちゃに煮込まれた鍋のようだった。
「そんなの……、駄目です」
リュイスもまた、傷ついたように目を伏せている。
「まだレヴァスさんという方の容態を診ていないので、下手に魔術は使うべきではないんでしょうね」
ワイズも乾いた唇を噛みしめている。ミンドールのこともあり、安易に力を出し尽くすべきではないために、悔しそうだ。もし、無限に力を使える状況だったのであれば、伝え鳥相手にも魔術を駆使していたことは、ワイズの様子から十分に察せられた。
「刹那」
レパードは、そう名前を呼ぶまでずっと、いたたまれないように目を瞑っていた。
「ペタオは仲間だろ」
レパードにそう言われ、刹那は小首を傾げた。それから、おずおずとレパードに向かって口を開く。
「仲間は、傷つけちゃ駄目?」
イユは思わず唇を噛んだ。
「当然でしょう!」
声に怒気を含むなと言われても、こもってしまう。それほどにイユには聞きがたい質問だった。
「そんなこと、幾ら式神でも……、刹那なら分かるでしょうが」
刹那は、イユの反応にこくんと頷く。聞かれるまでもなく知っていて、確認したのだろう。
「命令を遵守するのが式神の在り方なのかもしれないですけれど、ちゃんと駄目なことは駄目って言うのも大切です」
リュイスの言葉に、再び刹那は頷く。
けれどイユにはどうも違和感があった。少し考えて、思い当たる。
「刹那って、結構卑怯な式神なんだわ」
式神だからという建前を、上手に扱っている気がする。克望が異能を駆使して式神を出そうとしたとき『駄目』といったのは、他でもない刹那だ。刹那は、克望に意見を言うことができる。恐らくは命令をされてもある程度の酌量があるのだろう。
「私、卑怯?」
あどけない顔に小首を傾げてみせる刹那に、
「えぇ。そう見えるわ」
と断言する。
刹那は「そう」と呟いた。そこには反発も苛立ちもない。言葉をそのまま受け止め、イユの言葉を肯定する。
「そうなのかもしれない。私は式神としては失敗だから、皆と違う」
聞き慣れない言葉に、イユたちは顔を合わせる。ただでさえ聞いたことがなかった式神に、失敗や成功があるとは思わないものだ。
「どういう意味だ?」
「式神は命令を遵守する。私は違うって克望は言っていた。意図せず作られたって」
刹那の説明を理解するのは難しい。けれど、意図せずという部分が引っかかる。
「刹那は、異能の暴発で生まれたってこと?」
「なるほど」とワイズが手を打つ。
「本人の意図と違う力だからこそ、本人が消えてもまだ存在するのかもしれませんね」
暴発した力は、ただ力となってその場に残る。本人も制御することができない。ならば、刹那もまた、ただ力となってそこに誕生したことになる。だから克望にも本当は制御することができないのだろう。
「じゃあどうして……、余計にペタオを傷つけたのよ」
イユの呟きが聞こえたのだろう。刹那はそっと視線を逸らした。
「私はきっと、ペタオに飛べない鳥になって欲しかった」
ぽつりと呟いた刹那に、イユは彼女は人形などではなく、刹那という存在なのだということを、意識した。
「私と同じ、失敗作の仲間が欲しかった」
けれど、そんな人間らしさはあまりにも生々しくて、いっそ人形であってほしい気さえしてしまった。




