その611 『衝撃』
下りた瞬間、思った以上に衝撃があった。顔をしかめたイユに、「馬鹿」と声が振ってくる。
「お前もちょっと前までは怪我人だったんだから、無理をするな」
梯子を伝って下りてきたレパードに叱られ、イユは頬を膨らませた。心配のうえの発言だとは分かっているが、つい気が急いてしまったのだ。
その間にリュイスもワイズも下りてくる。全員が下りきったところで、刹那が布団を指さした。
「ミンドールはここ」
刹那によってゆっくり布団が捲られ、その半分ほどが露わになる。
「これは……、診せてください」
声を失ったイユたちにかわって、誰よりも先に動いたのはワイズだ。その杖で傷を治そうとしている。止めないとまた倒れると分かっていたのに、イユには止められなかった。
「私も、また掛ける」
刹那も跪いて、ミンドールに手を差し伸べる。
目を閉じたミンドールは死んだように眠っている。その顔はやつれて青白く、痣があった。シェパングの装束に着せ替えられていたが、その隙間から胸部に包帯が巻かれているのが分かる。克望の式神に襲われたときにできた傷だろうことは予想がついた。
けれど、それぐらいならまだ驚きはしなかった。そこに、生きている人間が持っている生気と呼べるものが残っていたら、希望を持つことができたからだ。
死にかけている。そうはっきりと分かるほどに、ミンドールからは生きている人間のもつ、生気と呼ぶべきものが抜け落ちていた。刹那やワイズの治癒があっても尚、一向にその様子は変わらない。
少しして、ワイズが止めた。
「あなたが力を使うのはやめた方がいいでしょう」
その言葉の矛先は刹那に向いている。
「それは異能ですよね?」
刹那はきょとんとした様子を見せつつも、呟いた。
「これは私の元になった人間の力」
式神に元の存在とやらがいるのも驚きだが、その力が異能であることはもはや明白だ。『魔術師』ならば法陣を描く必要があるし、『龍族』なら刹那の耳は尖っていないといけない。刹那がいくら異能でないと否定しても、本人が式神という異能から生まれた存在だということは今となっては周知の事実である。ならばそこから発せられる力も、異能であるといってよいだろう。
「どちらにせよ力を使うにはそれなりの代価が必要になるはずです。あなたの主人である克望は亡くなったのですから、使うべきではないでしょう」
「どういうこと?」
「力の供給元がいないのですから、多用すると刹那さんが消えるかもしれないということですよ」
気付くと、レパードが刹那の手を抑えていた。刹那が変わらず力を使い続けていたからだ。
「何で止める?」
「お前にはまだ仲間の場所を全て話してもらっていないだろ」
刹那はこくんと頷くと、大人しく力を使うのを止めた。
「ワイズも使いすぎだ。また倒れるぞ」
「ですが、怪我人をこのまま放置しても?」
レパードは首を横に振った。
「そのつもりはない。刹那、お前はレヴァスの手伝いをしていた。医者の卵みたいなもんだ。そっちの方面から見て、ミンドールはどういう状況だ?」
刹那はこくんと頷いて、答える。
「背中から刺された傷、2か所。傷は、塞がっている。息遣いがおかしいから肺を損傷したかもしれない」
本当の医者であるレヴァスを引き合わせれば、もう少し詳しいことが分かるかもしれない。刹那では、地道に力を使う以外の方法はとれないのだそうだ。
それから、刹那は布団を全て捲り上げた。布団に隠れていた、ミンドールの左手が露になる。その手は包帯で念入りに巻かれていた。
「左手はナイフが突き刺さった痕跡。傷は塞がっている。動くかどうかは、本人が目覚めてから聞く予定」
「ミンドールの意識は、まだ戻っていないのか」
「うん。ずっとこのまま」
イユは何も言えないでいた。こうしてじっくりみてしまうと、その傷痕に胸が痛む。式神がセーレを責めてきたときのミンドールと彼らの攻防が、それらから見える気がしたのだ。
「ミンドールは、壊れた?」
「そんなことないです」
リュイスが辛そうに刹那の言うことに反論した。
「ミンドールはまだ、生きています。壊れたなんて、言っては駄目です」
死んだのと意識が戻らないのは全く違う。死者は生き返らない。けれど、生きてさえいれば意識が戻るかもしれないのだ。その希望を絶つことなどできない。だから、壊れたなんて言ってほしくない。
イユたちの気持ちが伝わったのか素直に頷く刹那に、ワイズは首を捻る。
「あなたたちの目的は、捕らえた船員の記憶を読むことだったのですよね? それなのにこんな風になっては本末転倒なのでは?」
「式神は手加減ができない」
自分自身も式神だというのに、刹那はそう答えた。誰かの言葉の受け売りのようにも聞こえた。
「誰も殺さないようにって指示は出していた」
だから、想定外のことが起きたとでも言いたいのだろうか。
「それはおかしいわ」
イユは苛々と返した。
「式神が手加減できないことは知っていたんでしょう? それなのに、セーレに仕向けたんだわ」
刹那はこくんと頷いた。
「それは否定できない」
つまるところ、リスクを分かっていたうえで、それでよいと判断されたのだ。恐らく、全員を確保する必要はなかったということだろう。カルタータについて知っている者たち数名の記憶を読めれば十分で、残りは傷つけてもいいと考えていた。そんな思考の人間のどこが和平派なのだと嘲笑いたくなる。全然、人のことを考えていない。
「とりあえず肺は心配ってことだが、怪我は塞がっていて意識は戻らない状態なんだな。これは、ワイズの魔術でどうにかなるものなのか?」
レパードがまとめ、加えてワイズに質問をする。
「使えば程度は良くなりますよ。肺の損傷も治癒魔術で治せます。ただ、優先順位があることは理解しているつもりです」
怪我人はミンドールだけではないかもしれない。そう、暗に言っているのだ。誰よりも先に力を使った本人の言葉なだけに軽いが、イユもその可能性は頭にいれていた。ミンドール以外の仲間が皆怪我をしているなら、ワイズの力は必ず必要になる。
「なら、その力は取っておいてくれ」
レパードの顔を見たイユは、心配になった。驚くほど蒼白だ。
怒りを抑えている故だということはぷるぷると震える拳からも窺える。レパードの怒りは、今はいない克望に向いているものだろう。刹那も同罪だろうが、今彼女に当たったところでミンドールが意識を取り戻すわけでもない。それが分かっているから、あくまで冷静に対応している。
大人な対応といえば聞こえはいいが、自身の感情とは別に平静を装い続けるレパードを見るのは、ぴんと引き延ばされた糸が切れる瞬間を見ているようでひやひやとした。
イユはどうにか強張った顔を動かすことに成功すると、刹那に問いかける。
「ミンドールが生きていたのは分かったわ。他の仲間はどうなの?」
刹那はミンドールに再び毛布を掛けてやりながら、呟くように答えた。
「一人の記憶を全部確認するには時間が掛かる。全員を屋敷で捕えるのは、目立つ」
「は?」
てっきり仲間の安否についての答えが返ると思っていたから、その言葉にイユはぽかんとする。
「だから、一人ずつしか連れてきていない」
ミンドールだけは好きにしていいと言われたから、刹那が診ていた。つまり、一人ずつという中にはカウントされていないはずである。そうなると、この屋敷にあと一人いて、屋敷以外の場所に他の仲間がいるということになる。
「あと私の部屋にペタオがいる」
ペタオが無事と聞いて、イユは胸をなでおろした。
「屋敷に連れてきたのは誰だ?」
レパードの詰問に、刹那は素直に答える。
「レヴァス」
仲間の名前が刹那の口から出る度に、イユは安堵する。ミンドールが目を覚まさないのはとても気がかりだったが、こうして一人ずつ仲間の無事が知れることが何よりうれしかった。
「残りの皆はどこに?」
だからそう何気なく聞いた後の、刹那の言葉に息を呑んだ。
「鳥籠の森」
「それって……」
ラビリにも危険だと言われた森だったはずだ。
「空からなら、森の中央に入れる。鳥籠に入れれば、自分から魔物に食べられに行かない限り逃げられない。食べられたとしても、あそこは『霧すがた』に『亡骸烏』がいるから、死ぬまでに一週間はかかる。天然の牢獄」
刹那の淡々とした説明に鳥肌が立つ。何より、イユは『霧すがた』と『亡骸烏』を知っている。その恐ろしさを身をもって、短い間だけだが体感した。リーサたちが虚ろにされて徐々に食べられているかもしれないと、そう言われ、更にそれが天然の牢獄だと表現されることに眩暈がした。
「一応、魔物避けは撒いてある。『心食い』に誘われなければ、大丈夫」
イユの気持ちを悟ってか、刹那にそう付け足される。けれど、イユはその後の言葉のほうが気になった。
「『心食い』って?」
「人の記憶を読み取って、その人に悪夢を見せる魔物」
最悪だと、声が漏れる。鳥籠の森にいるのは、カルタータの関係者たち。つまり、リーサ、ヴァーナー、セン、マーサ、ジェイクたちだろう。全員、カルタータで悲惨な目にあった者たちだ。そんな人たちに敢えて最悪の魔物をけしかけたのだ。
「助けに行くぞ。まずはレヴァスからだ」
「レヴァスも、壊れてるかもしれない」
矢継ぎ早に告げられるぞっとする発言の数々に、イユは目の奥がちかちかとした。




