その610 『さがして』
克望の亡骸を前にして、刹那は壊れてしまったように声を震わせている。
首もとを刺された克望の死はあまりにもあっけなく、イユとしても信じがたい光景だった。
「刹那……」
心配そうな声を発するのは、リュイスだ。ついさきほどまで命のやりとりをしていた相手だが、リュイスの声音からは同情しか感じられない。
イユは、リュイスとは違い、上手く割り切ることができないでいる。刹那は仲間だったが、本気で戦った。克望に至ってはシェルをはじめ仲間を酷い目に合わせた本人であり、憎き敵だ。許すことも同情することもできない。
一方で、その亡骸をみても嘲笑する気持ちになれない。それは刹那の悲しみが本物だということがよく伝わるからだ。
「刹那は、まだ私たちとやりあう気なの?」
相手の出方次第で切り替えようと思ったが、今の刹那には答える余裕がないようだった。返事がないことにどうしたらよいか分からないイユがいる。
「刹那。一つだけ教えてくれ。セーレの、俺らの仲間はどこにいる」
レパードの質問に、刹那はようやくとぼとぼと顔を上げた。気力の尽きた様子で、呟く。
「みんな、ばらばら」
「……カルタータに縁のある人間とそうでない人間に分かれたのは知っている。マーサはどこだ? リーサやミンドールは?」
恐らくレパードの言葉の最後の部分だけしか、頭に入らなかったのだろう。刹那が答えたのは一人だけだった。
「ミンドールなら」
そして、こう続けたのだ。
「動かなかったから、克望に好きにしていいって言われてた」
「動かなかったって」
声が渇いたイユの前で、あまりにもあっさりと告げられる。
「多分、壊れた」
目の前がくらくらした。体温が一気に下がったのを感じる。刹那の言う『壊れた』が、目の前の克望にも使われた言葉だと知っているからこそ、息苦しさを覚える。胸に閉塞感を覚えたからか、つい批難する口調になる。
「壊れたって何よ」
確かにシェルとともに甲板にいたミンドールは、シェルと同じくらい重傷でもおかしくはなかった。けれど、希望を持ちたかったのだ。
拳を握りしめ口を一文字に結ぶことしかできないイユに代わり、ミンドールと面識のないワイズから質問が投げかけられる。
「あなたが好きにした結果、結局そのミンドールさんはどこにいるんですか? 海に投げたとでも?」
刹那は首を横に振った。
「空き部屋にいる」
刹那は帯から布を取り出すと、克望の顔へとそっと被せた。式神にも死者の目を隠す概念があるらしいと、イユは静かに思う。
「案内する」
立ち上がった刹那に、面食らった顔をしたのはレパードだ。
「いいのか?」
尋ねるレパードに刹那は頷く。
「本当は、皆の記憶を読むのが目的。それでカルタータについて知る。でも、記憶を読める人はもういない」
克望はイユたちが予め予想していた通りに、カルタータについて知りたがっていたという。それが克望の望みならばこたえるべきだと刹那は考えていたようだ。
「それに、克望は皆が傷付かない世界を望んでた。だから、カルタータのことがなければ、セーレの皆も助けた。私も、そうする」
克望は和平派であるとは刹那自身が言っていたと、思い返す。
「それにしては、武器を購入していたみたいじゃない」
「もう戦争は止められないから」
刹那は答えながらも歩き始める。淡々と語る様子からは、先ほどの悲しみは窺えない。いつもの無表情が刹那の横顔に貼り付いている。
一同は顔を見合わせて、頷いた。刹那についていくことにしたのだ。レパードが刹那のすぐ後ろを歩き、その後をイユが続く。リュイスは、まだふらついているワイズに肩、――――身長差があるので殆ど腰――――、を貸しながら、イユの後ろをついてくる。代わりたいところだったが、怪我人だったからと断られた。
「マドンナが暗殺されたことって、そんなに問題なの?」
刹那のすぐ後ろまで駆け寄ったイユが尋ねると、刹那は頷く。
「マドンナはきっかけ。動いているのは抗輝」
「それより、あいつはあのままで良いのか?」
レパードの質問は、克望を指している。
「うん。散菜に見つけてもらう。そのほうが正しくお葬式挙げられる」
散菜が誰なのかイユたちには分からなかったが、刹那なりに考えていることは分かった。
「この牢には、誰かいないの?」
セーレの仲間を入れるにはもってこいの場所だろうと思っていたから、イユは確認する。
「ここには誰もいない。もう使わない」
刹那の断言に意外な感じがしつつも、イユは「そう」と答えるに留める。
「この階段、登る」
言われた通りに階段を上がっていくと扉があり、その先は書斎になっていた。
「魔術書が多いですね」
ワイズの声が弾んでいる。体調さえ悪くなければ、目を輝かせて飛び付いていたかもしれない。
「人の記憶を読むための魔術書もここにあったはず。イユ、読む?」
突然ふられ、イユはぎょっとした。
「なんで私がそんなの読まなきゃいけないのよ」
「『異能者』は魔術の習得が早いって聞いたから」
話がいまいち繋がらない。
「それなら『魔術師』のワイズで充分でしょう」
「僕は止めておきますよ。習得したせいで、変に勘繰られるのも勘弁願いたいですから」
毛嫌いするイユたちを見てか、刹那が小首を傾げる。
「貴重な魔術、いらない?」
「いらないわね。そんな悪趣味な力」
イユが言い切ったことで、一旦会話が途切れる。そこにリュイスがぽつりと漏らした。
「それにしても、凄い仕掛けです」
「『魔術師』らしいことね」
隠し部屋がたくさんある屋敷だ。牢に蔵書に、隠したいものが山ほどあったのだろう。
「ここからは人がいるかも」
再びの階段を登り切ったところで、刹那がそう告げる。イユたちは克望を捕まえる為、散々屋敷中を駆け回ったのだ。ましてや突如として式神が紙に戻った。地上は大騒ぎになっているに違いない。
扉を開けた刹那が、中の様子を確認した後、指だけで手招きする。入ると、そこは執務室になっていた。人気はまるでない。
「なるべく見つかりたくないところだが」
「屋根裏伝えば、多分大丈夫」
レパードの言葉に、刹那は天井を見上げる。イユはレパードが一瞬げんなりしたのを見逃さなかった。ここにきてから、やたら狭い場所に縁があるのだ。
刹那はぴょんと机に飛び乗ると、そのまま天井近くまである書棚へと登り、慣れた手つきで天井の板を外し始める。かたっという音がしたと思ったらあっという間に板が外れ、刹那自身はするすると天井に消えていった。
暫くして、刹那の指が天井に開いた穴から覗く。その手が閉じたり開いたりしている。手招きをしているつもりなのだろう。
やがて、反応のないイユたちにしびれを切らしたのか、今度は刹那の蒼い瞳が覗いた。
「こない?」
不思議そうな声にイユは呆れた。
「そんな軽やかに入れないわよ」
イユならまだしも、ふらふらのワイズには無理難題だ。
刹那は少し悩んだ様子をみせた後、
「待ってて」
と声を掛ける。
何をするつもりなのかと訝しむイユたちだが、刹那は天井裏に籠ってしまって様子が分からない。
それから数分した後、穴から梯子が垂れてきた。
「これでどう?」
布で結び合わせた梯子だ。刹那は布をたくさん持ち歩いているから、持っていた布を使って即席で作ったのだろう。正直なところ頑丈そうには見えなかった。
とはいえ、何もないところから飛べといわれるよりは遥かにましである。
イユがはじめに登り、リュイス、ワイズと続く。しんがりはレパードだ。幸いにも、もろそうに見えた梯子は、よく耐えた。
屋根裏は思っていたよりも広い。ひっそりとしているが、異能を使わずとも目を凝らせば様子が見えるほどには暗くなく、埃もそこまで積もっていなかった。
「こっち」
刹那に案内され、進み始める。途中、何枚か紙が落ちているのを見かけた。こんな屋根裏にも式神を配備していたのだろうと気づく。合わせて、小さな照明が点在していることも確認した。暗くしないのは式神が普段から移動するためのようだ。
天井裏を進めば、下の様子が聞こえてくる。無数の足跡に、掛け声。やはり、大混乱しているらしく、「あの侵入者たちはどこへ消えた?」「皆、無事か!」と言った声も多い。
「克望様は何処へ?」「分からん。とにかく、捜索を続けるぞ」
声を聞いていて、イユは嫌でも事態を察せざるを得ない。このままでは克望の遺体が見つかったが最後、犯人はイユたちになる。イカヅチはイユたちに克望殺害容疑を押し付けることにしたのだろう。まんまと嵌められてしまった。
「ここ」
声に我に返ったイユは、刹那が地面の板を外そうとしているのを視界に入れる。
「空き部屋だけど、入室は禁じているから捜索は最後のはず」
そう答えつつも、刹那は板を外し終わり、そっと下の様子を確認する。問題ないとみたらしく、梯子を垂らした後、本人は梯子を使わずにするりと飛び降りていった。
イユもそれに続こうとして、眼下を確認する。下の空き部屋は畳が敷かれていた。そこに、布団が並べられている。その一つがふっくらと膨らんでいた。それが誰かを察してイユの気が逸る。気付いたときには、飛び付くように、飛び降りていた。




