その605 『(番外)異能者訓練(克望編5)』
『異能者』の訓練のことを甘く考えていたわけではない。
けれど、いざ自分自身が『異能者』だと言われてもどうやって式神を出したのかも分からないのだ。もう1度同じことをしてみせろと言われるのは中々無理難題だった。ひとまず過去にいたという『異能者』の記録を速水からもらい、ひたすらそれを読んで真似て、紙を握りしめるだけのなんとも地味な訓練しか手がない。自室には意味もなく紙の束ばかりが増え、それを握りしめたり折ったりして過ごすだけの日々。そんな状態だったから、施設の過酷さというよりは時間の浪費が気になって仕方がなかった。
やがて、邪魔だったはずの手錠さえも外されると、克望はいよいよ『異能者』として落ちこぼれなのだと感じるようになった。速水には、「残念ながら役立てない『異能者』を囲う余力があるかは怪しい」とことあるごとに言われていたので、焦燥は募る一方だ。
事態が変わったのは数年後のことだ。
朝起きたら自分の顔がいつもと違って見えたという経験はあるだろうか。それと同じで、その日は何かが違った。与えられた和室で雑魚寝をしていた克望は、散らばった紙の束に何かを感じたのだ。意識の集中のさせ方が、何故か手に取るようにわかった。
隣でひょこんと正座する刹那が、無表情にその様子をみている。イメージするのはこのときより幼い雪奈だ。
「できた」
刹那の隣で刹那より少し幼い銀髪の少女が現れる。雪奈に似ているが、当然本人ではない。
「お前は如月だ」
セツナと呼んでしまわないようにすぐに名付ける。幼い少女はこくんと頷いた。
「とうとう、使えましたか」
声に振り返ると、そこには速水の姿がある。本当は克望はまだ睡眠時間中のはずなのに、まるで見ていたようにやってくるのはいつものことだ。恐らくは見張りからの連絡が頻繁にいっているのだろう。
「はい」
言いながら、身体がどっと疲れた感覚がしてしゃがみこむ。
「すみません、身体に力が」
「はじめてのことですからね。ちなみに、消せますか」
すぐに消せという速水に、克望は一瞬躊躇った。如月も雪奈に似た姿をしているのだ。
けれど、このときにはもう克望のなかで施設のルールが焼き付いていた。つまるところ、施設の職員の言うことは絶対だと。
「如月、消えろ」
如月は頷くとともに、紙に戻る。
呆気ない消失に、指示を出した克望自身が驚いた。
「どうです? 疲れはありますか」
「いや、消える分には大丈夫のようです。……これが本当に自分の力なのが信じられません」
この日から本格的な訓練が始まった。式神を作り指示を与え、式神がどう動くかを調べていく。それでわかったことは、基本的に克望の命令には忠実に動くが、言葉が拡大解釈される傾向があるということだ。何か話せというと、克望がやめろというまで延々と「あー」と呟き続ける。誰も通すなというと、偶然通りかかった鼠を見つけて追いかけ始めた。これは刹那とは明らかに違う反応で、速水たち職員は非常に興味深そうにしていた。
また、一体作ると非常に集中力を使い疲れてしまうが、一度消した式神を再度呼び出す場合は負担が掛かりにくいことはこのときに知った。紙に宿すといってよいのか、具現化した式神は消した後も同じ紙から再び出せるのだ。
それから、別の紙を使えば同じ形の式神を複数呼び出すこともできるが、外見は全く同じでも中身は別物のようで、この場合は負担になった。故に、普段元気なうちに式神を少しずつ作っておき蓄えることができれば、克望は複数の式神を同時に扱うことができるようになる。気付けば妹の分身がどんどん増えていく形になり、それはそれで精神的に辛くなった克望はどうにか雪奈以外の式神も出せるように訓練することになった。
「それにしても、紙が自分の手元にないと一度具現化した式神もすぐには出せない。これは原理が分からず、興味深いこと哉」
自分でも力のことが分かっていないから、何事も挑戦だ。そうやって意欲的に取り組んでいるうちに、ようやく両親に会うことを許された。雪奈のときは半年後だったから、改めて自分のときと比べると妹の優秀さがよくわかる気がした。
「克望! あぁ、良かった。心配していたのよ」
久しぶりの面会室で座って待っていると、母が飛び込んできた。その母の顔を見て、克望は声を失ってしまう。記憶の中にあった母よりもずっとやつれ、しかも顔に痣を作っていたのだ。
「その痣……」
「何でもないの。これは本当に何でもないのよ」
女中たちが手を上げるはずがない。誤魔化すあたり、父が殴ったのだろうとはすぐに想像がついた。
遅れて部屋の中に入ってきた父に克望の視線が飛ぶ。当然気がついただろうに、父の口は閉じられたままだ。
「ち、父上……」
父の顔は相変わらず厳しく、非常に不機嫌そうにみえた。数年ぶりの感慨もなく、むしろ克望の心の中に恐怖が疼く。
「一族の恥さらしが、兄妹揃って」
固まった克望に、母が取り直すように言う。
「ち、違うのよ。克望、お父様はあなたを心配して」
「違わないだろう。お前が碌な人間を生まないからだ」
「っ!」
思わず腰を浮かせてから、思いとどまる。部屋の隅にいた刹那が克望の怒りを感じてか、近づいたからだ。刹那がもし暴力に訴えたら、簡単に人の命が奪えてしまう。それに、こんなところで暴力沙汰にでもなったら、それこそ一族の恥だ。ここにいるのが本当に家族だけかというとそうではない。見えないところに、監視が付いている。
「あれがお前の異能か」
「本当に、あの頃の雪奈にそっくりね」
両親の意識が、刹那へ向く。克望は「はい」と頷くことしかできなかった。
「あの子とお話はできないの?」
母の提案の突拍子のなさに目を瞬く。
「あの式神は、雪奈ではないので」
「けれど、見た目は女の子でしょう? 何かお話はしないのですか」
「それは……」
意思疎通を図ろうとしたことがなかったわけではない。
けれど克望にはどうしても妹と重なってしまいそうで、会話をしようという気になれなかった。刹那に話しかけるときは、指示を出すときだけだ。
「ねぇ、あなたももう少しこちらに近づいてきなさいな」
驚いたことに、刹那はこくんと頷くと近づいてきた。克望の命令以外にも聞くのだと、克望は目を丸くする。しかも、名前を呼ばなくても反応したのだ。
「ふふ、大人しいけれど可愛らしいわね」
母が寂しそうな顔をしながらも刹那を眺めている姿は、克望には危うげに映った。それこそ妹の代わりに式神を本当の妹のように可愛がられでもしたらどうしようと、不安を抱く。形式上は妹のために、余計にだ。
「刹那を妹としたのは何故ですか」
その疑問を口にしようとしたが、先に父の言葉が遮った。
「『異能者』でも国の役に立てば外に出て家を継ぐことはできるのだそうだ」
「え……」
克望は目を瞬いた。
「過去に一人だけいた事例だ。そいつは『魔術師』になった」
それを目指せと、暗に言われている気がした。
「はい」
一族の恥とは言いつつも、まだ機会は残されていると言いたいのだろうか。克望にはやはり父が分からない。そこで面会時間が終わってしまったこともあり、質問をすることもできなかった。
父が会いに来ることはそれ以降なかった。母も1年に1度顔を出すのがせいぜいだ。克望が雪奈に会いに行ったときとは違い、施設の面会が厳しいようだった。
とはいえ、特段寂しいとも思わなかった。悔しいが刹那が常にいたので一人だと感じたことはない。それに、やれることも多くなって忙しさに振り回されていたのだ。
とにかくこの間は、克望はひたすら異能を制御する訓練を続けた。刹那もいろいろな実験に付き合った。他人の言葉にも耳を貸すことが分かったために、克望から離れて一人、別室に赴くことも増えた。
逆に、克望の命令に対して言うことをきかないということもあった。他の式神と同じで命令をすると目が赤くなるときはあるが、あくまで自分の意思を持っている。他の式神のような絶対的な命令の順守とは違う。
だからか、融通は効いた。他の式神は「本をとってこい」というと本棚にある本ではなく一番近くにいた職員の手から無理やり奪い取ってくる。刹那は本棚に目的の本があるか確認し、なければ職員に願い出て平和的に問題を解決してくる。その違いが何なのかは何度試してみてもよくわからなかった。
ただ施設の人間の間では刹那は非常に貴重なサンプルだとされ、消えろという命令を刹那に出すことを禁止された。おかしなことにどうせ消える刹那の命だと思って付けた名前だったが、気づけば雪奈よりずっと長生きしている。その寿命を妹に分け与えられたら良かったのにと、口のなかが苦くなった。
5年が過ぎたある日、はじめて外に出ることを許された。久しぶりに出た外は眩しかったが、特に何もすることはなかった。家に帰ることまでは許されておらず、ただ妹と回った明鏡園の中を刹那とともに歩いた。見張りがついているのを肌で感じながら、何故妹のときは見張りの数が少なかったのだろうとどうしようもない気持ちに囚われた。
「ここだったな」
公園は以前と変わらない明るさだった。ここで妹が亡くなったなど、嘘のようだ。あのトンネルも変わらずそこにあった。
克望はふらふらと誘われるようにその中に入った。血痕は残っていなかった。あの時と変わらない魚たちがガラスの向こう側から覗いているだけだ。
今にして思えば、トンネルの中は薄暗く視界が悪い。人の数も多くないので、暗殺するにはうってつけの場所だったのだろう。
「克望、痛い?」
一緒についてきていた刹那が、このとき初めて口を開いた。そのことに戸惑いつつも、克望は答える。
「痛いわけではない。これは、『寂しい』だろうな。最も式神にそんな感情が分かるとは思わないが」
つい皮肉になってしまうのは、今ここにいるのが式神であり妹ではないからだ。改めて、ここは刹那が誕生した場所でもあるのだと意識させられた。
「どうすれば、寂しいのなくなる?」
「……」
そんなものは、克望にわかるはずがない。
「手を握れば、いい?」
そこで克望は違和感に気がついた。刹那は克望のほうを向いて話しているわけではない。魚のいるガラスのほうへと視線が向いている。
「待て。誰と話している」
セツナが振り返った。その瞳が揺れているのを見てはっとする。
「失礼します」
そのとき、後方から声が掛かった。渋々振り返ると、職員の一人が歩いてくるところだった。何かまずい行動をしたのだろうかと訝しむ克望に、職員は口早に報告した。
「ご両親が亡くなられたとのご連絡が入りました」
よりによってこの場所で、克望は家族を失う連絡を受けることになったのだった。




