その599 『脅し』
故に、動くならイユが先だ。真っ直ぐに走り出したイユの前で刹那が迎え撃つ姿勢をみせた。
イユが拳で刹那を狙うと、刹那はすぐに身を翻してイユにナイフを投擲する。その動きが思いのほか素早い。怪我のせいでふらついているようなイユに、避ける余裕はない。
けれども、今は事情が違う。目の前に迫ったナイフが、真っ二つに割れる。あまりに綺麗に両断されたそれは、リュイスの魔法によるものだ。
折角もらった時間である。この隙を逃さず、すぐさま刹那に蹴りをいれる。
はじめて、刹那がイユの蹴りを腕で受けた。吹き飛ぶ姿を目で追うと、宙で身体を捻っているところだ。その手からキラリと何かが光った。
投擲されたナイフだと気づいたイユだが、気にせず走り出す。イユに当たる前に、リュイスの魔法が叩き落としてくれると分かっていた。
「さて、二対一だとさすがのお前の式神も分が悪いだろ」
イユとリュイスが刹那と接近戦をしているため、レパードの銃口は克望へと向いたのだろう。背中越しの為様子は確認できないが、式神を含めた三人のやり取りがイユの耳にも入ってくる。三人分の声を聞き取れるほどには、刹那を相手に余裕をもって戦えているのだ。
「「ふん、なるほどな」」
克望は、意外なほどに落ち着いた声を発している。
「「信じがたいが、そういうこと哉」」
「何がだ」
レパードの声が剣呑としている。時間稼ぎであると気付いているからだろう。
「「お前たちのごっこ遊びに付き合う暇はないが、お前たちはまだ、この人形に情を抱いているように見える」」
目の前の刹那に同情したくなる。着地を決めた刹那に向かってイユは思いっきり鞄をぶつけた。
「何故こんな奴に従っているのよ!」
「っつ」
鞄をぎりぎりのところで避けた刹那によって、再びナイフを投擲される。先ほどより飛距離が近いが、リュイスならば問題ないと踏んだところで、きらりと別の光が発せられたのに気が付いた。
「くっ」
間一髪。反射的に身を翻して下がったのが良かった。刹那はナイフと一緒に魔法石を投擲したのだ。それが光とともに熱を帯び、小規模の爆発を引き起こす。
しかも、その爆風の合間から更にナイフが飛んでくる。容赦のまるで感じない刹那の追撃だ。
けれど、それは予想できていた。右に身体全体を捻って躱しきる。
ところが、今度は刹那自身が爆風のなかから突っ込んでくる。
「克望を悪く言わないで」
息を呑む間もなかった。突きだされたナイフを避けられたのは、その前にナイフを避けた勢いが残っていたからだ。身体を一回転させるように捻り続けたイユの視界の端に、翠の髪が入る。更に続けて振り上げられたナイフを避けるべく首を傾けた勢いで、その姿がはっきりと目に入ってきた。
いつの間にか増えた式神三体と、リュイスがやりあっている。先ほどの爆発の合間に、克望が呼んだのだろう。リュイスの身体は三体とやり合いながらもワイズの倒れている方へ向いていた。恐らく、ワイズのほうにも式神がいて、リュイスがワイズを守ろうとしているのだ。
一瞬だったが、悟った。これ以上、リュイスの援護は期待できない。不調だろうが、刹那を前にやるべきことをするしかない。
「それがなんだ」
後方ではレパードたちの対話が続いている。
「「我が死んだら式神は力を供給できなくなる。簡単に言えばそうだな……」」
最も卑劣な男の命乞いの声が、イユの耳にも明瞭に届いた。
「「我を殺せば刹那は死ぬぞ?」」
イユは小さく呻いた。質の悪い『魔術師』だ。人の動揺にすぐに付け入ろうとする。
目の前の刹那は特に何とも思っていない様子で、ナイフを何度も突き出してくる。
イユはそれを躱しながら、刹那に尋ねた。
「本当なの? 今の話」
「式神は克望の異能で動いてる。だから、克望が死ねば式神は消える」
自身が死ぬから克望を守っている可能性が浮かぶ。状況だけ考えればあり得る話だが、恐らくは違うだろうと想像できてしまった。刹那は、イユたちのことが大事だと言いながら克望に従っている。それは単純に克望のほうが大事だから、克望の言うことを聞いているのだ。
それにしても、異能という言葉を聞き、イユは相手どっているのがただの『魔術師』ではなく自身と同じ『異能者』であることをはっきりと自覚させられる。普通の『魔術師』なら、イユたちで十分対応できたはずだ。式神という名の異能を使う『異能者』だからこそ、ここまでの苦戦を強いられている。
「それがどうした。俺たちがお前に仲間の居場所を吐かせるのには関係ない」
レパードの声が耳に入り、問答が続いていることに気づかされる。同時に銃声も響く。刹那が動じていないところを見るに、レパードが銃を撃っているのは式神相手だろう。刹那は同じ式神相手の危機には無頓着だ。自分と同じはずなのに、まるで使い捨ての人形のように、意に介さない。
「そもそも、刹那は敵だ。命乞いの対象にはならない」
刹那のナイフを避け、イユは蹴りを叩き込む。だが、その蹴りをまともに食らう刹那ではない。
身を低くすることで躱され、むしろナイフを投擲される。それを辛うじて首を反らして避けると、イユは手で薙ぎ払おうとした。
そこに、雷鳴が轟く。
「克望!」
閃光に刹那が目を細めながらも、突き進もうとしてくる。狙いはレパードだろう。魔法を撃たせまいとする式神たちの隙をどうにかついて、レパードが魔法を放ったのだろうということは想像ができた。
遅れて、克望の呻き声が届く。
「俺らは何も殺しの専門家というわけではない。どちらかというと、俺の魔法はむしろこういうときにこそ効く」
実際に何が起きているのかは、イユには分からない。けれど、殺し以外にできることといえば、脅迫だろうことは想像がついた。『魔術師』であれば人の心を読むことだが、イユたちにそれができない以上、力押ししかない。
「余所見している暇はないわよ」
イユはすぐに隙だらけになった刹那に蹴りを入れる。
残念ながら、大人しく受けてくれる刹那ではない。イユから一歩飛びずさって、更に駆け込もうとする動きをみせた。
「行かせないわ」
目的がイユを迎え撃つことではなく、克望へと駆けつけることになったため、刹那の動きはイユでもはっきりと捉えられる。
「邪魔」
珍しく苛々したように顔をしかめる刹那が、初めて人間らしく見えた。
「俺らの仲間の居場所を吐け」
一方では、レパードの脅迫に、くぐもった悲鳴が漏れ聞こえている。圧し殺した声のかわりに、克望はせいぜいの大声で宣言した。
「「いるではないか、貴様のすぐ隣に」」
レパードが息を呑んだ気配が伝わってきて、イユは薄々状況を察する。克望は、きっとまたセーレの誰かの姿をした式神を呼んだのだ。
「いい加減にしなさいよ」
こうも軽んじられては、黙っていられない。いらつきながらも、刹那からのナイフの投擲を避け、イユは刹那に向かって手を伸ばす。それをひょいと避けた刹那は、すぐに克望のほうへ駆け付けようとする。
よほど心配のようだが、克望の刹那への態度を考えるととても納得ができない。イユは追いかけながらも、レパードの周囲に式神が四体いることを確認する。先ほどと全く同じセーレの仲間、マーサ、セン、ヴァーナー、レヴァスだ。更にイユの視界は、リュイスが同じようにセーレの仲間を相手にしているのを捉える。
唖然とした。克望は、この場に何人ものイユたちの仲間の形をした式神を呼び出している。
幸い、リュイスは式神相手には容赦ないようで、平然と戦っている。式神も本人たちの腕前すら模倣しているのか、刹那のような動きはできない様子だ。
だが人数が多いせいでリュイスは魔法を駆使しにくいようである。刹那がリュイス相手には猛攻を仕掛けたように、式神たちは手数で、リュイスに魔法を使わせまいとしているのだ。これでは到底リュイスにレパードの近くの式神を相手にする余裕はない。
レパードに仲間を撃てるのか。
一向に銃口を引く様子を見せないレパードに、ひやりとする。何せ、レパードを取り囲むように、式神が包囲を縮めているのだ。その手にナイフを握りしめて。
「イユこそ、余所見」
気配を感じて、イユは首を竦めた。寸前のところで刹那のナイフを避ける。克望が優勢だと考え攻めの姿勢に回ったのだろう刹那の猛攻に、イユは躱すので手一杯になった。
そこに、レパードの魔法と思われる爆音が響いた。
「うっ」
レパードの周りにいた式神たちが一掃されるほどの威力だ。近くにいたイユたちも衝撃があった。空気がふるえるのを生で感じ、身体が飛ばされる。どうにか着地はしたものの、イユたちの戦いは自然と止まった。
「ふざけるな」
仲間のはずのレパードの声に、ぎょっとしてしまう。ここまで怒らせたのは克望がはじめてかもしれない。
「「たいそう業腹哉。けれど、これで終わりではあるまい」」
レパードへ視線をやったイユは、発言と同時に式神が現れるのを見てしまう。
けれどその姿が誰なのかはっきりと捉える時間もないままに、爆音とともに光が炸裂して式神が掻き消えた。セーレの仲間の姿をした式神を出したのか、刹那のように戦える式神を出したのかは分からない。明確になってしまえば、抵抗が生まれる。だからレパードは誰よりも早く魔法を放ったのだろう。
そして、克望もそれを理解している。続けて式神を出す克望と、魔法を放ち続けるレパード。二人の闘いに、果てがない。光が瞬き、紙が落ち、短時間にこれでもかと繰り返されるやり取りは、まさに死闘だった。イユは息をするのも忘れて、見入ってしまう。
「駄目、克望。それは無理」
焦燥を含んだ刹那の声に、イユははっとする。進もうとする刹那の腕を掴んで、引き留める。
「邪魔!」
「近づいたところで、レパードの魔法に巻き込まれるだけよ!」
状況は逆転したのだ。イユたちに足りなかったのは、克望が式神を出すより早く攻める時間だ。克望が先に式神を出して攻めていたから足止めされていた。
けれど、今は違う。式神を出すのとほぼ同時に式神を倒してしまえる。それであれば、レパードだけでなくリュイスも手が空いてくる。
確信があった。このままいけば、イユたちの勝ちだ。
「これ以上の抵抗は無意味だ。そうは思わないか」
克望の膝が折れたのは、そのときだった。




