その598 『人形に心はあるか』
刹那とはじめて会った日のことを聞いたことがある。
四人で雪山を下山していた野宿の日だ。刹那との向き合い方が分からなくて、見張りの交代間際にレパードに聞いたのだ。
「出会った頃の話? それが聞きたいのか」
「おかしいかしら? 刹那のことを考えるのに役立ちそうだと思ったのだけれど」
レパードは暫く考える仕草をしていたが、
「まぁ、聞きたいというなら構わないが、役に立つかどうかは分からないぞ」
と念を押した。
「構わないわ」
話を始める前に二人は、飲み物を沸かす。野宿の準備で拾ってきたハーブを使ったハーブティーだ。しとしとと降り続ける雨のなか飲むハーブティーは思いのほか、心を落ち着かせてくれた。
「あいつとは、明鏡園で会った」
ギルドのツテでお願いしにきたという。行き場がなくて困っていると言っていたと。
イユは、イニシアに置いて行かれることが決まったときに刹那に相談したことを思い出した。あのとき、刹那は確かに『お願いした』と言っていた。本当にその通りだったわけだ。
「そのときは、疑わなかったの?」
「言っておくが、あいつが前にいたギルドも本人の言うとおり壊滅していたし、あいつの仕送り先の孤児院も実在していて同じ名前の子供もいた。調べはちゃんとしてあったんだ」
だが、裏にいたのが『魔術師』ならば、そのあたりは調べてもどうにもならないところだろう。彼らは幾らでも改ざんしてしまいそうではある。
「それに、あいつはすぐに皆に受け入れられた」
それは分かる気がした。刹那は無表情なところはあるものの大人しく従順な子供で、働き者だ。セーレの皆の様子を見ていても嫌われているようには見えなかった。
「刹那の力は絶対に問題視されると思ったけれど」
「意外と問題にはならなかったな。治療のときも、暗殺ギルドにいたときの秘伝の力があるって言ってたが、まぁ嘘っぽくとも子供の言うことだからと、受け入れられた」
その当時は裏切りにあったこともなかったから、警戒心が薄かったのもあるらしい。イユのときはタイミングが悪かったというのは、言われるまでもなく想像がついた。
「それに、あいつは言っていたからな」
「言っていたって?」
「『皆が大事』だと」
イユはすぐに返事ができなかった。
「それが本心からの言葉なのか、克望からの指示で言わされた言葉なのかまでは分からないがな」
付け加えられたレパードの言葉に、一考する。
刹那が大事だと言ったところで、それが本当の言葉なのかは結局のところイユたちでは分からない。刹那に心があれば或いは本心かもしれないが、刹那が式神と言われた今、それがどういった意図で紡がれた言葉なのかは、本人以外には知りようがないのだ。ただ、『言った』という事実は残っている。
「悪い。これじゃあ、余計に悩ませたよな」
「ううん、参考になったわ」
結局のところ、本人に確認するしかないのだろう。
「『皆が大事』って言ったのは、嘘だったの?」
レパードの銃口は刹那に向き、リュイスは刹那に剣を向けたままだ。そうしたなか、イユは聞いてみたかったことを質問した。
刹那はただの人形ではない。人の心が分かる、人ではない何かだ。それが分かったところで、イユにはまだ向き合い方の決心がつかなかった。レパードのように明確に敵意を向けられるようになるには、もう一押し欲しかったのだ。
イユの質問を受けた刹那の答えは、とても淡白だった。
「嘘? 私は嘘はつかない」
それは刹那自身が、皆を大事だと思っていることに他ならない。喜んでいいのか悲しんでいいのか、イユにはよくわからなくなった。いっそのこと、嘘だと言い切ってほしかった。それならば、刹那は完全に敵になる。或いは、これも誤魔化しで、仲間の顔をしていればイユたちが手を出しづらくなると考えた、計算の上での答えなのかもしれない。
そこまで考えて、虚しくなった。本人から答えを聞いても、本人の真意を確かめられるわけではないのだと気づいてしまったからだ。それならば、何をもって確かめられるというのか。
「どうして、嘘じゃないと言い切れるの?」
分からずに口に出した言葉を、刹那は小首を傾げつつも受け止める。
「言い切れない。何故なら、それを信じるのはイユだから」
要は受け手の問題なのだと、人でないはずの存在から告げられる。
「でも私は嘘はつかない。皆のことは大事」
そう答えた刹那の顔は無表情だが、どこか昔を懐かしむような面影が垣間見える。
その笑みに、しゃぼん玉が、見えた気がした。
それは、触れただけで簡単に割れてしまう、あまりにも頼りない泡だ。ふわふわと空の光を浴びて虹色に輝く儚い美しさを秘めていた。
「ヴァーナー?! 何勝手に写真を撮っているのよ!」
慌てたリーサがヴァーナーを追いかける声が遠くで聞こえてくる。
「試し撮りはしたから、あとはお前の腕次第だ。いいな?」
ヴァーナーがイユにカメラを手渡す。酷く焦った様子なのは、リーサのことが気が気でないからだとイユは知っている。
「ね。折角だから、ボクらを撮ってよ」
「ほら、刹那も入って」
クルトにそう言われ、ラビリは刹那に声を掛ける。
「リュイスは入らないの?」
「えっと、遠慮しておきます。むしろ僕が撮りましょうか」
「後でね。撮り方を覚えたいの」
その間にリュイスとイユはそんなやり取りをした。
「じゃあ行くわよ。はい」
懐かしい風切り峡谷での、今ではもう決して見ることのできない光景だ。ヴァーナーもリーサもいなくなってしまい、刹那は裏切り、ラビリも自身のやるべきことをするためにセーレにはいない。そのうえ、あのとき撮った写真は全て燃えてしまって、世界中どこにも残ってはいない。振り返ることすらできなくなってしまった。
それは全て、刹那たちのせいだ。他ならない彼女たちのせいだというのに、あのとき浮かべた刹那のはにかんだ表情が、イユの記憶に蘇る。
なんだそんなことか、と急にすとんと落ちた。今まで、疑心暗鬼でいたままで全く見えていなかった。それが、刹那の真っ直ぐで明快な答えを聞いてようやく納得がいった。
あの笑顔は嘘ではなかったのだと。
『こうすれば、悲しいのなくなる』
続けて浮かんだ言葉は、過去に刹那に告げられたものだった。イユは既にこの言葉にも答えを持っていた。あのときの刹那は、『悲しい』という感情を知っていた。刹那はイユに悲しんでほしくないと思って発言していた。それは、克望に指示されて出るものでは到底ない。イユがいることを知っていたとしても、手を握れなどという指示を出すとは思えない。そうやって後から理屈で考えてみても、納得できてしまった。刹那は人の心を理解しているだけではない。人が持つ感情を併せ持ち、行動にも移している。それならば、刹那は人と変わらない。
今にして思えば、刹那の答えはいつも文面のままである。下手に妖しんで穿った物の見方をしていたのはイユのほうだ。
だからこそ、解せない。
「大事なら、何で敵になるのよ!」
イユの足は刹那へと向く。克望は確かに捕まえないといけなかったが、刹那も放っておくことはできない。どのみち、克望に足を向けたところで、刹那が間に入ってくる。
「大事でも敵。それは変えられない」
言い切った刹那が、ナイフを構える。その視線の先にいるのはイユだ。レパードは銃口を向けているが、刹那はそれを気にしていない様子である。仲間の偽者は撃てても刹那自身はまだ撃つことはできないと、そう判断しているようにも見て取れた。
ここまでくると、確定だった。刹那は式神だが、ちゃんとイユたちのことを認識しているのだ。それぞれの弱さも強さも、きちんと理解している。大事だとも思っている。紛れもない一人の人としての思考を持っている。
にもかかわらず、はっきりとイユたちを敵だと割り切っている。
きっと刹那が人間で、イユたちのことをどうでもよいと思っていたなら、イユは幾らでも敵として倒しにいけた。中途半端に割り切られてしまったから、イユはそのもやもやのぶつけ先を見つけられずにいる。
それに、刹那は大事なことは分かっていない。レパードは敵だと割り切れば、人を撃てる人間だ。
けれど、イユはレパードに刹那を撃たせたくもなかった。式神による偽者と、本物を撃つことは別のことだ。ここで撃たせてしまったら、何故だかレパードが壊れてしまう気がした。




