その597 『死に顔と決別』
らしくない。そう言うだけなら簡単だった。
「レパード?」
イユが不安になるほど、レパードの表情は色を失ってみえた。
「「愚かな。偽者と分かって尚撃てないとな」」
心なしか、克望の表情に余裕が窺える。撃てないと聞いて安心したかのようだ。
「どうして」
理解ができないイユの前で、絞り出すような吐息が聞こえた。
「偽者でもあいつらはあいつらだろ」
たとえば、リーサの見た目をした式神がいて、その式神をイユの手で傷つけることは、確かに躊躇われる。偽者だと分かっていても簡単に割り切ることができる人間は多くはないのだ。
けれど、ここで克望を捕まえないと本人には絶対に会えない。そうであれば、幾ら腹が立とうとも、割り切ることしかできないではないか。そう言おうとして、続けて吐き出された言葉に、イユは固まった。
「俺は……、あいつらの死に顔は、見たくない」
克望のこの策は誰よりも、レパードに効いたのだと思い知らされた。自分が加害者になることが問題ではないのだ。レパードが誰かを失うことを極端に恐れることを、イユはぼんやりとだが理解している。はじめはイユを殺そうとしていたレパード自身が、イユが死にかけたときに誰よりも動揺していたのだ。そんな心の持ち主に、仲間の死に顔など見られるはずがない。
それならば、レパードにこれ以上求めるのは間違っている。嫌な思いをするのは、イユだけでいい。
「貸して」
駆け込んだイユは思いのほか揺れる視界に気がついて、レパードの銃へと飛び込んだ。銃をレパードの手ごしに握りしめる。
「イユ?」
「だったら、私がやるわ」
レパードは魔法を弾に込めて撃つ魔弾に似せた戦い方をする。イユの異能も力の調整だ。異能を弾に込めて撃つことはできるはずだ。
「レパードは目を瞑っていたらいいから」
やり方も何も分からないけれど、できるかできないかでいえばやるしかない。引き金を引けば撃てることは、銃を扱ったことはないイユでもわかる。
「だから、銃を貸して」
レパードの指から銃を外そうとする。一本、二本……、順に解いていく。銃の重みがイユに移っていく。意外と重たいのだと、初めて気づかされた。レパードの銃を握ったことは一度もなかったから、知らなかったのだ。こんな重みをいつも、レパードは手に握っていたのだと。
くっと歯を食いしばったイユは、まだ揺れる視界のなか、まずはマーサへと照準を定めようとする。思った以上に視点が定まらず、銃口ががちゃがちゃと震えてしまった。
「いや、いい」
そんなイユの頭上から、レパードの声が降りかかる。
何を思ったのだろう。ほどけ切れていなかったレパードの残りの指は、がっつりと銃を握りしめる。
イユの手の中で引き金が引かれた。
イユが狙ったものではない。レパードが自分自身の意思で引いたものだ。それが分かったから、イユの手はぎゅっと銃を握りしめた。
目の前で光が飛び散り、マーサが膝を折って崩れ落ちる。最後まで笑みを讃えたままの女性は、意外なほどマーサらしくはなかった。その笑顔が誰に向けられたものでもない、ただ貼り付けただけのものだと分かっていたからかもしれない。
次の瞬間、マーサの姿が掻き消え、ただの紙になって地面へと落下する。
続けてレパードが引き金を引き、センが崩れ落ちる。胸に貫通した光の球が、センの身体を両断する。
レパードの手が固まるのを感じて、イユはぎゅっと握りしめ続けた。心の中が張り裂けそうで、レパードが見たくないといった気持ちが分かった。それが本人と如何に違う顔でも、仲間を撃ったという感触が手に残る。むしろ中途半端に本人と違うと分かるからこそ、その死に顔に気持ち悪さがある。夢にでも出てきそうな光景だ。
続けて引かれた弾は、レヴァスに当たる。
ここまでくると、克望は動揺したのか声に出して叫んだ。
「「話が違うではないか。撃てないのではなかったのか」」
その声の矛先は、レパードでもイユでもない。
「「刹那」」
叫んだその先で、ヴァーナーの姿をした式神が紙に戻って、ひらひらと宙を舞った。
「……刹那?」
急に刹那の攻めの手が止まったからだろう、リュイスの怪訝そうな声が聞こえる。
「「所詮、式神に人の心は読めないものか」」
愚弄するような克望の声に、イユは心臓が脈打つのを感じた。今までは、正直に言って刹那との向き合い方を扱いかねていた。それは刹那が克望の指示により全てを実行する人形に過ぎないのか、本当に心があるのかがわからなかったからだ。
けれど、克望の余裕のない声に、それが違うのだと気づかされる。何故なら今の人のものと思えない悪辣な策は――、
「私の提案、外した。なんで、仲間を撃てる?」
他でもない、刹那本人が提案したものだと本人が認めているからだ。
「どうして……」
言葉にならない動揺が、イユの喉を震わせる。あの策は人の心を理解していないと思い付かないものだろう。刹那は、ただの人形ではないのだ。
「どうして、そんなことを提案できるのですか」
イユの代わりに泣きそうな声で尋ねたのは、リュイスだった。いつの間にかリュイスの服は所々破れ、刹那との激闘が窺える。お人好しのリュイスが刹那と本気でやり合うのは、それだけ刹那が容赦ないからだ。リュイスもイユと一緒で、刹那への仲間意識を立ちきり、割り切ったわけではない。リュイスは本当は刀を交えたくなかったのだろうと、今になって気づいた。
「どうして?」
刹那は理解していないように、小首を傾げる。
「レパードは仲間思い。敵には厳しいけれど、仲間の顔をしていれば絶対に傷つけない。子供なら、尚更」
刹那は更に続ける。
「リュイスは強いけど、私で抑えられる。仲間のことが心配になるほど、注意力が散漫になるから」
淡々と分析した結果を述べていく。
「イユは力はあるけど動きは素人。リーサが大事そうだから、リーサの形をしていればやられてくれる」
その分析はある意味的確だ。人の心というよりはそれぞれの人の性格を理解したうえでの発言である。
けれど、イユには淡々と呟く刹那は再び人間には映らなくなった。確かに、人という存在は理解しているのだろう。そういう点では、人形ではないと断言できる。
しかし、何かが違う。刹那から感じる異常さが、イユをして人間ではないと確信させる。或いは、克望が『所詮、式神』と言うのも分かってしまうような、決定的なずれがそこにはある。
「だから、リュイスは私が抑えて、その間にレパードに仲間の式神、イユにリーサの式神をぶつける。それが最も効果的な手段。三人がくるかもしれないから用意しておいてって、克望にお願いした」
「もういい」
遮ったのはレパードだった。銃はイユの手を離れ、その銃口はレパードの意思で刹那へと向いている。
「お前は敵なんだな、刹那」
その声は、イユが震えるほどの冷たさを含んでいた。
一方で、銃口を向けられた刹那は理解していないのか、あどけない顔に無表情を張り付けたまま、小首を傾げている。
いつもの刹那の表情だが、イユはこのときはじめて刹那に本当の恐ろしさを感じた気持ちになった。
刹那の小さな口の端が、レパードの視線を受け止めてか、初めて持ち上げられる。
「それこそ、何を今更」
嗤ったようにみえたのは、イユの錯覚か。




