その591 『そうして中へ』
目の前の銃弾は、偶然一つだけ紛れたというものではないだろう。これが商品であれば、大量に積んでいたはずである。そして、それを全て克望が買い取った。
何のために?
浮かぶ疑問の答えは、至極シンプルだ。克望は、戦争を見越している。止められないと考えているのだろう。それ以外に大量の武器が必要になる理由が思いつかなかった。実は近くに出た魔物の大規模討伐の為に必要とでも言うのであればそれは大変喜ばしいことだが、そうはなるまい。マドンナの暗殺事件を火種に、戦争が起きる。和平派のはずの克望が選んだ結論に、イユは寒気を感じた。
とはいえ、戦争と言われてもぴんときていない部分があるのもまた事実である。こうして武器が運び込まれているのを見ても、どこか遠い世界のことのように感じている。イメージできないのは、実際にそれを知らないからだ。イユが出会った『魔術師』たちがやたら他国間で仲良く手を取り合っているのも原因だろう。『異能者』の身の上でそれどころでないのもある。
ただ、実際に起こってしまったら、きっと無関係ではすまない。今でさえマドンナの暗殺事件で警戒が強くなって街にも簡単に入れないのだ。影響は少なからず受ける。もしくはとうに巻き込まれていて、その結果が今のこの状況と言えるのかもしれない。
「ん?」
リュイスが振り返ったのを見て、イユは首を傾げる。どうしたのと聞くと、「何でもありません」と返ってきた。
「それより、夜明けが近いです。そろそろ入っておかないと、誰か来るかもしれません」
リュイスに勧められ、四人が馬車の板の下へと入る。入れると見越んでいたものの、実際に入るとなると想像以上にきつかった。
「ちょっともう少し、小さくなれないの」
「無茶を言うな。これでも帽子は外したんだぞ」
イユの文句にレパードが返し、それを聞いたワイズが溜息をつく。暫くはきつい、つめろと言い合いであった。
「これ、実際どれぐらい待つことになるか分かりませんけれど、大丈夫ですか」
リュイスの言葉に、途端に全員が沈黙で返す。
「えっと……」
答えがないことで戸惑いの声を上げるリュイスに、
「まぁ、大丈夫でしょう。少なくとも僕は余裕です」
とワイズはさらりと告げるのであった。
四人で固まっている間に、いつの間にか眠っていたらしい。
物音に目を覚ましたイユはいびきをかくレパードを小突いて起こす。そうして、耳を澄ませた。誰かの走る音とともに男の声が聞こえてくる。
「兄者、見てくれ。大変だ!」
早速、騒ぎになっているようだ。
「一体どうした?」
「馬車が荒らされている! とにかくきてくれ」
遠くでそうしたやりとりが聞こえてくる。その後すぐに、ばたばたと駆け込む音が響き、どんどんその音は近づいてきた。そうして、急にぱたりと止む。代わりに聞こえてきたのは話し声だ。どうやら馬車の入り口で、馬車の中を見ながら二人の兄弟が話をしているようだ。馬車の中にまで入らないのは、近づいてしまうとメッセージの全容が見えなくなるからだろう。
「これは、ナイフで刻まれたメッセージか?」
「『白亜の仮面』って、あの噂のだろ? 不味いんじゃないか」
動揺が走っているのが伝わる。ここまでは予想通りの反応だ。
「とりあえず盗られたものはないよな?」
兄の確認に、弟は頷いて答えている。
「というより、大して盗れるものがない。大事な商品は全て引き渡したからな。それなのにうちを狙ったんだ。ただのコソ泥によるいたずらじゃないだろう」
「警告ってことか? それに、この文字、古代語のはずだ。急いで克望様に知らせた方がいい」
すぐに古代語だと気付かれて、イユは内心驚いた。
「兄者、それはどういう」
「これを書いた奴の狙いは克望様だろうってことだ」
それどころか、狙いまでばれている。
彼らは『魔術師』と商品の売買ができる商人だ。一般的な商人と違い強かだろうことは、『魔術師』の腹黒さを知っているイユでも想像ができた。にもかかわらず、彼らの鋭さを甘く見積もっていたことに、気付かされる。この兄弟たち、特に兄の方は――、只者ではない。
「だったら、兄者。中はそのままにしたほうがいい。このままの状態をお見せしたほうが、伝わりやすい」
「あぁ、分かっている。とにかく、馬を繋いでこい」
程なくして馬の鳴き声が聞こえてくる。馬車を引くのは一体ではない。全四体を繋ぐ必要があったため、足音も多い。そのうえ、繋ぐまでの待ち時間が長かった。
息を潜めながら、イユたちの存在がいつばれるかとひやひやする。
けれど、ワイズの言うとおり、商人は自分の馬車だというのに距離を置いて入り口に固まっているまま中に入ろうとしない。もし中に入ってこられれば、きっと狭いなか潜んでいるイユたちの音は洩れてしまい、ばれたことだろう。
ようやく馬車が動き出す。がたんがたんと揺れる馬車に、忍び込んでいる身で文句は言えない。ただでさえとろいのに乗り心地も悪いなんて最悪だと、心の中で愚痴っておく。
やがて、馬車の動きが止まり、屋敷の前に着いたのだと分かった。耳を澄ませば会話が聞こえてくる。
「こんな明け方からどうした」
「すみません。緊急事態でして。こちらをご確認いただきたいのです」
がたっと何やら物音がし、頭上から僅かに光が差し込む。見張りと商人が馬車のなかの惨状を見ながら会話しているのだろう。
「宿に泊めてあった馬車を今朝確認したところ、このような状態になっておりました。中は下手に触らず、荒らされた当時のままにしてあります」
「これは、酷いな……」
そんなに荒らしたつもりはなかったのだが、見張りからはうめき声まで漏れている。
「ただのいたずらにしては古代語で書かれていたので、急ぎお知らせしたほうがいいと馳せ参じた次第です」
「なるほど。良い判断だ。馬車を預かるがよろしいか」
「はい。大人しい馬ですから大丈夫かと思います」
「それと、宿には確認をとったか」
見張りの確認に、イユはきゅっと心臓を鷲掴みにされた心地がした。
「はい、鍵が壊されていたということで、車宿に侵入されたのは間違いないようです。ただ、我々は一介の客に過ぎないので誰が昨晩からいなくなったのかといった情報については教えていただけず……」
「それはそうだろう。問題ない。我々から宿に掛け合おう」
聞こえてくる内容には、肝が冷えるようである。確かに宿に泊まった客のなかで行方不明者がいた場合、その人物が犯人である可能性は高い。イユたちのことはすぐにでも特定されるだろう。その場合、イユたちはもれなくマドンナ殺しの『白亜の仮面』扱いである。
ひやひやしているうちに、声が遠くなり馬が不満そうに一鳴きするのが聞こえてくる。それで、商人から手綱が兵士に渡されたのだろうと想像がついた。再び馬車がガタガタと進んでいく。
ここまでは危ない橋を渡りつつも、ワイズの筋書きどおりだった。イユは内心感心してしまう。恐ろしいが、大した読みだ。
やがて、馬車が再び止まった。板の上から光が零れてこないのを見るに、室内に入ったのだろう。
「よし、馬車は一旦ここに置いておく。すぐに克望様にお知らせしてこい」
「はい!」
聞こえてくる会話と足音から残されたのが一人だと分かった。四人は薄暗い中で互いに頷き合うと、なるべく音を立てないように頭上の板を持ち上げる。やはり室内にいるらしく馬車のなかはいっそう暗かった。視力を調整し、馬車内に人がいないことを確かめると、イユははじめに板の上へと上がった。すぐにリュイスが出てきて、ワイズが這い上がってくる。レパードも腰を痛そうにさすりながら上がってきた。
「こっちです」
馬車の入り口から顔を覗かせたリュイスがすぐに合図をして飛び降りる。イユ、ワイズ、レパードと続いた。下りた先も薄暗い部屋だった。馬車を置くための場所、車宿だろう。入口の方が明るくて、そこに兵士が一人立っているのが見えた。暗がりで見えにくいのは好都合だ。
イユたちはすぐに馬車の裏側へと入り込む。ここならば少しの間身を隠せることだろう。
だが、長居しすぎると人がくることは予想ができた。故に早く行動しなければならない。




