その590 『侵入作戦決行中』
なるほど、宿にいることが鍵とは盲点だった。イユは薄暗い闇のなかで馬車の様子を確認する。ワイズの作戦は、宿にいる商人のうち克望に会う予定の馬車に忍び込むというものだった。
しかしこれにはたくさんの穴がある。それを指摘したのはリュイスだった。
「どれが克望の元に行く馬車だと分かるのですか」
「先ほどの商人たちの馬車を見つける必要があります。彼らにもう一度屋敷に訪問してもらうんですよ」
イユたちは首を傾げた。確かにあの馬車は大荷物を積んでいたらしく大きかった。確認してみないことには分からないが、四人が乗っても問題ないほどの大きさだ。
だが、既に克望の家を訪れた馬車がもう一度屋敷に訪れることなどあり得ないだろう。本人たちは後から挨拶する話をしていたが、商品は引き渡した後なのだ。いや、挨拶ももう終わっているかもしれない。侵入経路を調べている間に、商人たちはとうにやりとりをして帰路についていたのだ。そうなると、あの商人を当たってもどうにもならない。
イユの疑問に、ワイズは「そうでしょうか?」と口を開く。
「克望はマドンナの暗殺事件を調べていることになっているんですよね? 手がかりがあれば向かうと思いますよ。見たところ、商人たちはあの『魔術師』のことを表面上は信頼していた様子ですし」
「……その話だと、あの商人に暗殺事件の手がかりを渡すと聞こえるが」
レパードの言葉に、あっさりとワイズは頷いた。
「えぇ。その通りです」
無茶苦茶だ。イユはすぐさま反論する。
「どうやって手がかりを渡すのよ。私たちが今から犯人を見つけてくるとでも?」
ワイズは深いため息をついた。これだから愚か者はと言わんばかりの様子だ。
「本物を渡す必要はありませんよ。信憑性さえあればいいんです」
あまりにもあっけらかんというので、イユは目を瞬く。
「嘘の手がかりを渡すってこと?」
「えぇ」
断言されて、絶句する。確かにイユたちで今から真犯人を探しに行くことなどできない。やれるとしたら、それらしい情報を用意することだけだろうとは理解できるが、こうもあっさりと頷かれると心の方が追い付かない。
「やっぱり、ワイズは『魔術師』だわ」
これが大人になるとどれほど歪むものか恐ろしいものである。
「誉め言葉として受け取っておきます」
さらりと返したワイズに、疑問をぶつけたのはリュイスだった。
「ですが、馬車ごと屋敷に行く必要があるのですよね。それは難しいのではないでしょうか」
確かに商人たちが証拠を見つけたとして、商品の乗っていない馬車ごと屋敷に行くとは思えない。
「えぇ、ですから証拠には馬車そのものを使うしかありません」
ワイズの頭の中はどうなっているのだろう。イユにはさっぱり思いつかなかった。
「簡単ですよ」
ワイズはさらりと言いのける。
「馬車に証拠を刻むんです。そうすれば馬車ごと持っていかざるをえません」
「この馬車ね」
イユは目的の馬車へと踏み込む。記憶にあったものと同じ馬車だ。宿が一軒しかなく、商人たちが夜ということで泊まっていたのが幸いだった。見つけるのは簡単なうえ、屋敷と違い警備も厳しくないのだ。鍵がかかっているぐらいなもので、イユたちであれば易々と忍び込める。しかも今回は商人たちに証拠を見つけてもらうことを考えれば、鍵は堂々と壊してしまっても問題ないのである。
「まずはこの馬車に忍び込める場所があるか、ですが」
夜なので馬は繋がれていない。馬小屋のほうにいるのだろう。故に馬に驚かれて騒ぎになるという心配もなかった。
馬車に乗ってみると、中は意外なほど広い空間だった。天井には照明もあり、イユたちが乗った振動で僅かに揺れている。
「よくあるのは、板の下だが……」
そう言いながら丁寧に板を外したレパードは、固まった。全くちょうどよいことに四人が詰めれば詰まりきりそうなスペースがあったのである。
「広すぎる馬車も問題だな」
既に相当きつそうだと思ったらしいレパードが苦い顔をする。イユもワイズも小柄なので問題はない。リュイスも頑張ればいけるだろう。レパードは、かなりきつそうだが、こればかりは仕方ない。
「朝までここで待機するとなると、相当身体が固まるから気を付けたほうがいいわ」
過去の経験を思い出してイユは助言する。もし検問の際に見つかったら、恐らくすぐには逃げ出せまい。
「とはいえ、レパードさんが厳しい場合一人だけ待機という手もありましたが、意外とどうにかなりそうですね」
ワイズの言葉に一同は頷く。馬車なんてあまり乗った経験がないから、到底四人も入れないと思っていたのだが存外どうにかなりそうなものである。もっともこの馬車が特別で、特別が故に貴族相手に商品を運んでいるのかもしれない。
「それじゃあ、証拠づくりといくか」
事前に話し合っておいた通りの証拠づくりが始まった。
筋書きはこうだ。克望の元に訪れた商人たちの馬車が、夜に何者かの侵入に遭う。そしてその馬車にはメッセージが刻まれている。それがすぐにマドンナに関わるギルドの仕業だと気づけば、商人たちは克望に報せに行くだろう。そうして馬車ごと敷地内に潜入したイユたちは、隙を見て屋敷内部へと入り込む。
ちなみに、内密に話が通るようにと考えたメッセージは、わざと一部を古代語で書いてある。裏に『魔術師』がいることを匂わせるためだ。古代語で書かれたメッセージ自体はたった一言。
『次はお前の番だ』
「いや、これだと証拠じゃなくてただの脅迫状だよな」
レパードの尤もな感想に、「あまり怪しすぎると馬車を調べられますからね……」とリュイスが困った顔をする。懸念事項はそれだった。板の下を調べられたらすぐにばれてしまう。だからいたずらだと思われない程度に信憑性がある必要があったのだ。
「あとは、これを書いたギルド名、『白亜の仮面』か」
ワイズの発案で、こちらは古代語で書いていない。この名前こそがマドンナの暗殺絡みだと告げる商人へのメッセージだ。
「よほどの愚か者でなければ、この文字と荒らされた馬車を見ればすぐに克望に知らせようとするはずです」
別荘地で最も権力を持っているのは克望だ。既に克望とパイプを持っている商人たちであれば、ここで別荘地にいる自警団のような存在――そんなものがいるかどうかもわからないが―――、に知らせに走るよりは、克望に直接会うことを選択するはずだという。
「その後で、中門の見張りが見るのが古代語か」
『魔術師』が扱う古代語だと見張りに伝わるかが問題だ。どうにかして事の深刻さに気付いてもらい、克望に連絡してもらわねば困る。こればかりは運になるが、そこまでいければ、いつまでも中門で馬車を放置するわけにもいかないだろうから、一旦馬車を敷地の中に引きいれるはずだ。そうなると、馬車は大抵車屋に運ばれる。屋敷の車屋であれば、身を隠す場所があるだろう。そこからこっそり馬車を下りて屋敷に潜入すれば良い。少なくともワイズはそう読んでいるのである。
「上手くいくかしら……」
不安要素は上げたらきりがない。どうしても博打になる。
「今回ばかりは運の良さを祈りたいところだな」
レパードが苦い顔をしながらも、メッセージを刻み終えた。
「それにしても運んでいたのは、これか」
レパードはそのまま苦い顔を崩さず、地面に落ちていた何かを拾う。
「それは?」
尋ねるイユに差し出された鈍色の物体は、答えを聞くまでもなく、よく知っているものだった。
何故、こんなところに。
疑問が頭のなかを飛び交う。
レパードはそれに答えるように、宣言した。
「銃弾だ」




