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カルタータ  作者: 希矢
第九章 『抗って』
583/994

その583 『虚ろの霧』

 レパードの言う通りだった。

 次の日目を覚ますと、嘘のように深い霧が立ち込めていたのだ。さすが現地人と、イユは感心してしまう。この霧では、幾ら飛行船から地表を眺めてもイユたちの姿は見つからないだろう。

 朝支度を手早く終わらせると、イユたちはすぐに下山を始める。霧の中の山道は、迷いやすい。イユはワイズの背中を追いかけるようにして進む。レパードが何回か点呼を行った。その声が霧のなかに溶けていく。

「視界が最悪だと魔物に襲われる危険も増すのではないですか」

 ワイズの疑問は口に出すと本当にそうなりそうで、出してほしくない類いのものだ。これならばいつもの口の悪さのほうがましである。

「まあな。霧が深いときにしか出ない魔物もいる」

 否定してくれればよいのに、レパードの解説が始まる。

「『霧すがた』と言ってだな。霧のなかに蒼い目が浮かび上がったような、まんま霧にそっくりの魔物だ。そいつは人の生気を吸う」

「生気って、ぞっとしませんね」

 そう答えるワイズの声は、いつもと同じで淡々としている。まるで死ぬことが怖くないかのようだ。

「まぁな。吸われた人間は徐々に虚ろになって、そのうち、寝ることも食べることも全くせず、本当に何もしなくなるって話だ」

 これで終わればよいのに、レパードの話は続いている。

「そうなると、『亡骸烏(なきがらす)』っていう魔物の餌になる。身体を啄まれても悲鳴も上げなくなった人間は骨も残らず丁寧に食われるらしい」

「ということは常に二体セットで動いているのですか」

「そういう話だな」

 こんな鬱々とした場所で聞きたくもない話を聞かされ続けるのだ。イユは恐れを通り越して段々苛々としてきた。

「そんなに危険な奴がいるなら、何で霧のなか歩くことを選んだのよ」

 尤も言い分だろうに、レパードに含み笑いをされた。

「そいつはな、この地帯が一番『霧すがた』を目撃されていないからだ」

 イユは一瞬ぽかんとなる。種明かしをされたのだと分かると、別方向への苛立ちが募った。

「私をからかったわね!」

 しかもワイズまで淡々と言ってのけるのだ。

「僕は実在から疑ってましたよ」

「嘘つけ。お前は意外と信じてただろ」

 レパードに言われたワイズはこれみよがしに反論する。

「どうして、あなたみたいな頭が意地の悪さでしかできていない物体の話を信じるのですか?」

 勢い余って、レパードは人ですらない物体にされてしまっている。その様子をみて、ワイズも信じていたのだろうとイユは悟った。

「レパード。冗談は良くないです」

 そのときのリュイスの静かな声は、イユよりずっと先にいるはずなのに何故か明瞭に届いた。

「本当のことになります」

 その宣言とともに、霧の中に浮かび上がったのは蒼い目だ。


 ぎょっとしたイユは後ろに飛びずさろうとして、気配を感じて振り返る。そこにも、蒼い目があった。

「目を見るな!」

 レパードの警告が一足遅い。くらっとしたと思ったら、足から力が抜けた。何故だろう。どっと疲れた感じがする。

 気がつくと、イユの両手は地面についていた。





「こんなときでも魔法が使えないんですか! 本当に役に立ちませんね!」

「仕方ないだろう。とにかくイユを拾ってくるから、リュイスはそのままこの数を減らせ!」

 ワイズの暴言もレパードの物言いもどこか遠くのことのように聞こえる。

 イユの目に映っていたのは、霧の中に浮かぶ蒼い目と、その背後に映る翼を広げた烏である。それはただの烏ではない。体毛はなく肉もなく、ただ骨だけがそこにある。目のあるはずの場所には虚無が広がっていた。


 逃げないといけない。


 ぼんやりとした頭でそれだけが頭に浮かぶ。だというのに、身体が鉛になってしまったように重い。鈍い身体を奮い立たせようとして力を入れているつもりなのだが、自分が立ち上がっているかどうかも分からずにいる。


 霧に溶け込んだ蒼い目が近づいてくる。餌を求めた『亡骸烏』がその背後から迫ってくる。イユの耳に、レパードの焦りの声が飛び込んでくる。

「リュイス! おい、お前まで!」

 その名前に、焦りの様相に、危機感がイユの胸に小さく灯る。

 いつしか、イユを喰らわんとする蒼い目は、すぐ目の前まで迫っている。それが灯のように、きらりと光った気がした。


「……う、ごけ!」


 掠れた声だったが、叫んだ途端意識がはっきりとした。思いっきり霧に向かって振り回したイユの手には、取り出したばかりのナイフがある。

 実態のない『霧すがた』に代わり、奥にいた『亡骸烏』へとその切っ先が当たる。それはちょうど、喉仏の位置だ。

 瞬間、『亡骸烏』が大きく仰け反り、身体を震わせる。骨だけだというのに口から泡を吹いて倒れる姿を見た気分だ。それに合わせて、『霧すがた』が嘘のように消えていく。

「大丈夫なのですか」

 すぐ近くで声がして、振り返る。ワイズの姿があった。ワイズの持つ杖の先で優しい光が揺れている。

「治癒の魔術を掛けてくれていたのね」

 また倒れるだろうにとは、この場合は言えない。

「お前の魔術でどうにかなりそうなのか」

 更に後方からレパードが走ってくる。その腕に、ぐったりとしたリュイスを抱えている。

「分かりません。ただ他にやれそうなこともありません」

 相手は生気を奪う魔物だ。傷を治すワイズの魔術が効くかは本人でも分からないようだ。

「他の魔物は?」

 数が多いと言っていたのを思い出し、イユは手のなかのナイフを握りしめる。

 本当に持ってきていて良かったと心底安堵する。異能で殴るだけなら、先ほどのイユでは力の調整ができずに暴発していたことだろう。それほどに意識が朦朧としていたのだ。

 周囲を改めて見回すが、霧が深くて様子がわからない。答えを待ったイユは、レパードの次の発言にぎょっとした。

「仕方ないから、撃ち倒した」

 緊急事態とみたレパードは、山火事の危険も無視して魔法を使ったのだという。

「改めてですが、雨の後ですからその不安はどうなんでしょう。まぁ、リスクは減らすに限るべきではありますが」

 通常の雷とは違う魔法故に、レパード本人でもどうなるかはよく分かっていない。尋ねているワイズなど更によく理解できないだろう。

 だが、今回ばかりは背に腹は代えられないという判断らしい。

「それより、効きそうか?」

 レパードの心配は既にリュイスへと向いている。ワイズは文句を言いながらもとうに治癒の魔術を使っている。

「ろくでもない魔物ね。レパードのせいで死ぬところだったわ」

 どこか反応の鈍いリュイスを眺めていると、少し前までの自分がこうだったのだろうと気づき、ぞっとする。

「いや、本当に普段は出ないんだが……」

 言い訳がましい。イユがきっと睨みつけると、「すまなかった」と謝罪が返る。

「それにしても、さっきまでびっくりするほど無反応だったのに急に戻りましたね」

 イユのことだろう。ワイズが呆れ口調である。

「確かに、身体が急に思うように動かなくなったけれど、別に虚ろって感じじゃなかったわね」

 イユ自身が何でもないように言うからか、レパードは「いや、そうじゃない」と否定する。

「言っただろ? 食事も睡眠もとらなくなるって」

「どういうことよ」

「今のは短時間だったからすぐ戻っただけだ。あいつらは一人の人間を喰らうのに、たっぷり一週間はかける」

 それは何故か、魔物が人を一口で呑み込むと聞くよりも、ぞっとする言葉だった。イユはあの一瞬で動けなくなったのだ。そして、すぐに『霧すがた』に食べられると思った。

 しかし、実際には想像以上に魔物たちは慎重で、指一本全く動けなくなるぐらいに生気を吸い尽くすのだろう。そのうえで、恐らくは啄まれてもそうとは分からずに、少しずつ喰われていくのだ。そうして一週間も過ごすと思うと、それはまさに悪夢である。今回不要に近づいてきたのは、レパードやワイズたちの生気を吸おうとしたからだろうか。偶然に救われた心地がした。

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