その580 『野宿』
日が傾いてくる頃には、魔物の気配はすっかりなくなり山道を淡々と進むのみに落ち着いた。
「さてと、そろそろ休めそうなところを探すぞ」
レパードの声に、イユは首を傾げる。
「まだ全然疲れてないわよ」
ワイズもまだ普通に動けている。そう思っての指摘だったのだが、レパードには首を横に振られてしまった。
「こういうのは少し早めにとっておいた方がいい。疲れ切ってからじゃ遅いからな」
進めるうちに進みたい気持ちは分かるが、とまで言われてしまっては反論もできない。大人しく頷いたイユは、言われたとおり休む場所を探し始める。
「あの辺りがよさそうですね」
見つけるのは視力の良いイユよりもリュイスのほうが早かった。風が凌げ魔物がきてもすぐに分かる場所を探すにはどうにもコツがいるらしいと、リュイスの様子を見ていて思う。イユからするとどこも同じような場所に見えてしまうのだ。
レパードもリュイスに同意し、今日の野宿の場所が決まった。
「それじゃあ、火を起こすか」
魔法すら使わないように気を付けていたというのに、あっさりとそう言われる。
「山火事の心配はいいの?」
「燃え移らないように慎重にはすべきだがな。暖はとるべきだ」
そう言って、リュイスとレパードでさっさと野宿の支度を始める。砂漠の野宿と随分勝手が違うと感じながらも、イユもどうにか手伝った。
「旅慣れている人たちがいると、さすがに早いですね」
ワイズも素直に感心しているようだ。
火が灯り、ぱちぱちと焚き火が爆ぜる。
「安く手に入って良かったわね、火の魔法石」
魔法石は桜花園で調達してきた。観光地で人の出入りが多いからか、飛行石や魔法石の類はたくさん出回っていたのだ。その分、価格も抑えられていた。
「それにしても、南瓜を食べたくないといったばかりでこれですか」
レパードはさくっと鳥を狩ってきて、捌いたものを持ってきた。その付け合わせの野菜に、リュイスが取ってきた霜陰南瓜も使うらしい。
「葉っぱなら香草で十分よね」
ワイズの言葉に同意してイユなりに告げてみるが、
「栄養価は高いですから」
とリュイスに一蹴されてしまった。
とはいえ、夕飯は思いのほか美味しかった。鳥と霜陰南瓜を香草でまぶした後串に刺して焼いただけのものだったが、臭みがなくそれでいて素材そのものの味がした。
「意外といけるじゃない」
というのはイユの意見だ。レパードの話では、霜陰南瓜は味がまぁまぁということだったが、ほくほくしていて十分に美味しい。
「そうか、お前は平気なんだな」
「僕も美味しいと思います。レパードさんの好き嫌いではないですか?」
ワイズがイユに同意をし、代わりにレパードの嗜好を指摘した。
「まぁ、否定はしないが。普通の南瓜に比べると、だいぶ違う味だからな」
そこまで違いを感じなかったが、レパードからしてみるとそうらしい。言われてみれば、確かに少し青臭い気はした。
こうして和気藹々と食事をした後は、そのまま眠りにつく。交代で見張りを立てるのはいつもと変わらない。イユの見張りの番は最後になった。
焚き火のぱちぱちとはねる音を聞く。皆が寝静まっているなか、特にやることもなく焚き火を眺めていると、自然と考えごとを始めてしまう。
山の工程は早ければ明日にでも抜けられるという話だった。そうすると、次に見えてくるのは明鏡園だ。そして、いよいよイユたちは克望が攫ったと思われるセーレの皆を助けに行けるはずである。
ここまでが意外と長かった。トラブル続きだったとはいえ、こうも日数がかさんでしまうと、内心の不安が隠せなくなってくる。
リーサたちは本当に無事なのだろうか。ミンドールは怪我をしていると聞いているが、命に別状はないのか。仮に全員の命は大丈夫でも、キドのように暗示に掛けられているのではないか。カルタータを知りたがっていたということは、克望はセーレの皆の記憶を欲しているということにならないか。そうなると、記憶を読まれているかもしれない。彼女たちの心は、無事なのだろうか。そして、記憶を読まれ用済みと判断されたとき、リーサたちはどういう扱いを受けるのだろうか。
募る不安が焦りに変わらないように、考えないようにはしていた。けれど、心のどこかでは冷静に現状をに向き合おうとする自身がいて、そうした自分がリーサたちの全ての無事について保証しきれないと気づいていた。
同時にもうひとつ向き合わなければならないことがある。
克望のもとには刹那がいる。人間でないと言われた、かつての仲間だ。彼女とはまず、戦いになるだろう。その強さゆえ手加減はできない。だというのに、果たしてどう刹那と向き合えばよいのか、イユのなかで判断がつかないままでいた。
裏切り者として憎むだけで良かったら、とても簡単な話だ。しかし、そもそも刹那は人でもないと言われて戸惑う自身がいる。日ごろから表情に乏しい人物ではあったものの、人間ではないとはどうにも思いきれないのだ。そして同時に、イユは刹那の恐ろしさを知ってもいる。それは単に強さの話ではなく、どこか理解のできない末恐ろしさの話である。恐らく、イユたちがどう刹那と向き合おうと、刹那は命令さえされればイユたちの命を刈り取ろうとする。そこに、躊躇いが生まれることはない。まるで人形のような冷酷さ。それが、人でない証拠と言われたら、イユには反論ができない。
ごそごそと物音が聞こえて、イユの思考が止まった。周囲を探る前に、リュイスが身体を起こす。
「おはようございます」
挨拶をしてくるリュイスに、イユも同じように返す。
「起きたの?」
「はい。ちょっと目が覚めてしまいまして」
朝日が昇り始めている。眩しさのせいだろう。
「それなら、朝食を作り始めるわね」
「ありがとうございます。手伝いますか?」
「ううん、一人で作ってみたい気分よ」
夜はレパードとリュイスが頑張ってくれたので、イユも料理をしておきたい。厨房と違い野宿生活での料理は、それはそれで新鮮だ。
「分かりました。顔を洗ってきますね」
「えぇ」
少し歩いたところに小川が流れている。ついでに水も汲んでくるつもりのようだ。全員分の水筒を手にしていた。
リュイスが顔を洗っている間に、イユは料理をし始める。イユは山登りと言われてロープぐらいしか思いつかなかったが、レパードたちはしっかり荷物を持ち込んできていた。それは目の前で揺れている火を起こすための魔法石に始まり、折り畳み式の鍋、調理用包丁になる。
霜陰南瓜を余らせていたので、自然とイユの選択肢は南瓜スープになった。まずは南瓜を手早く調理していく。鍋に火をかけ、切った南瓜を温める。余っていた肉も加え、香草もいれて混ぜていく。
そうこうするうちに、リュイスが戻ってきた。早速水を足し、スープにしていく。
「手慣れてきましたね」
「まぁ、これぐらいわね」
今日は山越えでしっかり動くので、乾パンも用意する。スープに浸して食べられるので、ちょうどよいだろう。
イユが料理を作り終わる頃に、レパードとワイズも目を覚ました。
「疲れが抜ききりませんね……」
歩きすぎて足の疲れが取れないらしく、顔を洗ってきたワイズはそう愚痴を零す。
「お爺さんみたいね」
言ってやると、
「今日ばかりはあなたの異能が羨ましいですね」
としみじみと言われてしまった。
「さて、そんなことを話しているうちにできたわよ」
皆にスープと乾パンを配って、早速食べ始める。冷えた身体に温かいスープはとても身に染みた。
「そういえばクルトに飴も貰ってきたんだったわ」
「そいつは、山頂近くになったら食べるとしよう。呪い避けになる」
レパードのアドバイスを受け、イユはひとまず全員に飴を配っておく。飴を受け取ったワイズは首を捻った。
「食べないと頭がおかしくなる山の呪いですか。あなたたちには不要そうですが」
「どういう意味よ」
「いえ、これ以上おかしくなりようもないかと」
口が悪くなるときのワイズは大体顔色が良くなったときだ。疲れも取れたのだろうとイユは解釈する。
「勝手に言ってなさい。私はもう食べたから、顔を洗ってくるわ」
そう言って空の鍋を手に取ったイユに、リュイスが声を掛ける。
「あ、支度は済ませておきますね」
小川で汚れた食器を洗う間に、火の始末や荷物の整理をやっておいてくれるようだ。
「えぇ。頼むわ」
「じゃあ、俺も支度だな」
レパードも立ち上がり、南瓜スープを食しているのはワイズだけになった。
「食べるの早すぎですよ、全く」
ワイズの愚痴を背に聞きながら、イユは小川へと向かう。




