その58 『クルトの価値観』
リュイスがクルトの部屋をノックすると、すぐに扉が開かれた。
「リュイスにイユじゃん。どうしたの?」
意外な訪問客に驚いたようで、クルトの顔が不思議そうだ。そのクルトの背後から甘い匂いとともに真っ白な湯気が溢れてくる。
「……何、作っているの」
つい聞いてしまった。小首を傾げるクルトに、扉を全開にされる。
途端に湯気が一気に廊下に流れて、甘い匂いが蔓延した。たまらずむせてしまう。
文句を言おうと顔をあげると、クルトの部屋の奥に大鍋があるのが見えた。いつの間にか部屋に戻ったクルトが慌てた様子で中身をくるくると混ぜている。目を凝らせば、その大鍋から、黒光りした怪しい液体がぶくぶくと泡を立てているのがわかる。
「やばやば。沸騰しちゃってた」
「いや、だから何を作っているのよ」
リュイスも答えを持っていないようで一緒になってむせている。仕方なしに部屋に入ったイユは、クルトに再度直接問い質した。
「あー、イニシアで拾ってきてもらった薬草をね。自家製栄養ドリンクとか作れないかなって」
クルトといえば靴に鞄、薬に扉の鍵と、ものづくりの分野において万能な印象だ。このうえ栄養ドリンクも加わるらしい。今までの信頼から、素直に感心することにした。
「飲みたいとは微塵も思わないけれど」
見た目のエグさにそう結論づけると、クルトから悲しそうな目を向けられる。
「いやいや、効果はあるはずだって。病気したときには是非とも飲んでよ」
「病気しないようにするわ」
断言するイユに、クルトはがっくりと項垂れる。
「仕方ない。じゃあ、リュイスに」
「えっと、クルトは修理で忙しかったはずでは……」
途端にクルトの肩が強張った。怪しげなドリンクから避けるためかどうかは分からないが、リュイスの発言は確実にクルトを動揺させたようだ。
「いや、だって! この手のものは素材が新鮮なうちに作っちゃわないと悪くなるし」
大鍋を混ぜながらも、ぼりぼりと帽子越しに頭を掻いてイユたちから視線を逸らしているクルトは、はっきりいって動きに落ち着きがない。
「そ、そうだ! イユたちもイニシアで面白いものを手に入れてきたなら見せてよ。ひょっとするとボクなりに改良してますます良いものにできるかもよ」
最終的には明らかに話をそらしてきた。イユのなかで万能人物という評価を与えられているクルトの位置づけが更に変わる。残念なことに、本人の作りたいものが優先されるらしい。
「それは有り難いんですが、まずは船の修理を……」
リュイスも簡単には話に乗らない様子である。どのみち、イニシアで買い物をしたのは宝石や飛行石ぐらいだ。羊の毛ぐらい毟ってきたら、何かしら作ってもらえたのだろうと少し後悔する。
「うぅ、分かったって。これを片付けたらやるよ」
大鍋から手を離したクルトは、近くにあった棚を漁り次から次へと小瓶を取り出し始める。大鍋の中身は落ち着いて泡らしいものがなくなっているので、移し替えるつもりらしい。
「ところでボクに話があって来たんじゃないの? 部屋の鍵がイマイチだったとか?」
「いえ、実はイユさんのことで……」
リュイスの発言を受けて、クルトの邪気のない青い瞳が、イユへと向けられる。
「イユがどうかした?」
――――説明するのはセーレに残りたいと言ったイユであるべきだろう。
そう思ったからこそ、イユは一歩前へ進み出た。
「戻ってこない予定がこうして戻ってきた理由。説明しておこうと思ったのよ」
そうして話を切り出す。
「……うーんと、つまりイユは暫くセーレに居たいと」
あらかたの話を聞いたクルトが一言、そう話をまとめる。返答はずいぶんあっさりしたものだった。
「いいんじゃない?」
あっさりすぎて、逆に驚いたぐらいだ。
「ほかの船員たちはクルトとは逆意見だったわよ」
その発言は、クルトにとって意外なことらしい。不思議そうな顔をしている。
「そうなの? まだ暗示を疑っているとかそういう話?」
「……それもあるでしょうけれど、おいていくという話になっていたイユさんが結局セーレにいることが問題みたいです」
リュイスの補足で、クルトが納得した顔をした。
「確かに。話が違うってことだね」
それから、考える仕草をする。うんうんと唸りながらその場でくるくると回り、やがて立ち止まった。
「うーん。それはなんかもう、どうしようもないんじゃないのかな」
でてきたのはもはや案ではなく、どうしようもないという発言だった。
「イユがこうして乗っちゃったものはね」
イユとしてはすんなりきた。まさかイニシアに連れ戻すこともできないのだから、そのまま飛行船に乗り続けるしかないのである。今更文句を言われたところで、確かにどうしようもないだろう。
「最もな意見ね」
イユが肯定してみせると、リュイスには少し困った顔をされた。
「それで皆さんが納得できたらよかったのですけれど……」
確かにクルトの話では、解決はできない。イユはセーレにいたいのだが、どうしようもないで済ませてしまうと次の陸地で降ろされかねないからだ。
イユが考え込んでいると、クルトに小首を傾げられた。
「皆、細かいところを気にするよね。別にいいのにね。イユが暗示にかかっていても」
その言葉はイユの頭をがつんと殴った。暗示に掛けられたままセーレで過ごすという行為、それを容認する発言が出るとは、思わなかったからだ。
「それは……、気にするような気がするわ」
「そう?」
本当に何がいけないのか分かっていないようで、クルトは首を傾げ続けている。
「暗示にかかっていたら……」
「暗示にかかっていたら?」
イユは、言葉を絞り出した。
「……私がクルトを殺す可能性もあるのよ」
魔術師は、イユに何をさせるつもりか分かったものではないのだ。魔術師の恐ろしさを知っているからこそ、少しでも関係性は切っておきたい。それが、イユの中での常識であり、セーレの船員たちの大半が思っていることだろう。だから、暗示に掛かっていないことがそもそもの大前提であるべきだと考えていたのだ。
ところが、クルトは不思議がってみせる。
「それが?」
あっけにとられてクルトを見た。今、イユはクルトを殺す発言をしたのである。それに対しての反応があまりにあっさりしすぎた。
「そうなったら、そうなったときでいいんじゃない?」
駄目押しのように付け足された言葉に、イユはクルトがよく分からなくなった。本当にクルトは自分の言葉の意味が分かっているのだろうかと疑いたくなる。
「自分が死ぬかもしれないのよ? それでも、いいっていうの?」
追求するイユの言葉にも、クルトは頷いてみせる。何度も確認されてくどいとでもいうように、続けた。
「だから、その時はその時だって。そんなこといったら暗示に関係なくボクが誰かに殺される可能性はあるよ」
後者の言葉には、確かに頷くしかない。
しかし、イユはどうしても、クルトのあっけらかんとした物言いに納得できそうになかった。イユならば、少しでも危険を避けたいと考える。それが、クルトには微塵も感じられないのだ。
「人なんてさ。いつ死ぬかもわからないんだもん。明後日かもしれないし、明日かもしれないし、今日……ううん、今かもしれない。だからイユにこだわる必要はないと思うんだよね」
朧げに分かったのは、クルトの価値観だった。生きることに執着するイユとは、全く逆の価値観を持っているのである。
今になって気づかされる。イユはクルトを頼ってきたが、本当のところクルトのことをよく知らなかったのだ。クルトにどのような過去があり、どういった価値観をしているか知らずに話をしに来ていた。
「細かいことにこだわる皆がよく分からないよ。別に、イユが居たいっていうなら認めてあげればいいのにね」
さらっと言われて、イユはもう何も言えなかった。
廊下にでてから、ついつい聞いてしまう。
「クルトって昔からああだったの……」
リュイスは少し悩む様子を見せてから、辿々しく言葉を紡ぐ。
「そうですね。昔から……だったと思います」
クルトはイユの意見に賛成している。セーレにいてもよいと言ってくれている。それは願ったり叶ったりだ。
だが、それとは別にクルトの価値観が気になった。イユを信じているからイユの暗示を疑っていないというのなら分かる。しかしイユに殺されることになっても、別にどうでもよいとそう言えてしまうのはどうにも理解できかねた。自分の命に淡白なのだ。一体どういう生き方をすればそうした考え方が生まれるのだろう。
考えていると、ふいに空気の振動をとらえた。はっとして、周囲を見回す。
暫くすると、鈍い音が聞こえてきた。時々音割れしていて聞こえにくい。だが、この音に聞き覚えがあった。これは、レパードの声だ。
「……あー。あー、聞こえているか。幸い、追手の姿が見えない。ちと霧が出てきたからな、見つかりにくいし暫くは大丈夫だろう。ひとまず警戒レベルを引き下げるから、見張りを除く船員たちは食堂へ来るように。以上」
最後にぷつっという音が聞こえ、そして声はかき消える。
「今の……。放送機器が直ったみたいですね」
聞きなれない言葉にイユはリュイスを見やる。それだけでリュイスが説明を求められたと気づいたのは、付き合いが長くなった証かもしれない。
「放送機器は……、今みたいに船内全員に伝言するものです。リバストン域で壊れてから使えなくなっていたのですが、直したみたいですね」
「どういう原理なの?」
「僕にもよくわからないです……。ただ、魔法石で音量を拡大しているとか、あの筒で音を運んでいるとか……」
あの筒と言われて、壁に張り付いている鉄の管を見る。船内中の廊下で見た記憶がある。確かに船全体を網羅しているのかもしれないが、あの中で音を運ぶといわれても、イメージはわかなかった。
「とりあえず今の放送はレパードのもので間違いないということね」
食堂での全員集合。何の話になるかはお察しだ。




