その578 『山道を歩き』
タラサが小さくなっていくのを見送り、イユたちは早速山道を登り始める。
「思っていたよりは暖かいわね」
ここから見る限り、頂上付近になると雪が積もっているようだが、イクシウスの雪原に比べたら可愛いものだ。
「これが暖かい? 頭が獣だからってまさか毛皮でも着ているんですか」
ワイズが絶句し、ついでのように散々に言う。
「シェイレスタ育ちには確かに厳しいかもな」
レパードはそう言いつつも、山道を先行する。マゾンダは砂漠のなかでもひんやりしていたほうだし、砂漠の夜の寒さを思えば、ワイズの発言には納得がいかない。どちらかというと、ワイズとしては後者が言いたかっただけなのかもしれない。
「何でも良いから行くわよ」
言い合って無駄に体力を消耗するのも面倒だったので、イユはそう声を掛けてしんがりを歩き始めた。
山道が順調だったのは初めのうちだけだった。なだらかな道がなくなり、茂った木々の間を通り抜けていく。レパードの代わりにリュイスが先行し、邪魔な植物を切る。そのおかげでだいぶ歩きやすくはあったが、鬱陶しいことには変わりない。中でも最も邪魔なのは蔓だ。
今もまた、イユの足にまとわりつくそれを思いっきり蹴飛ばして、苛々と不満を口にする。
「鬱陶しいわね、この蔓! 何なのよ」
答えを求めた問いではなかったが、レパードから返事があった。
「こいつは霜陰南瓜の蔓だな」
「えっ……」
意外過ぎる言葉に、イユは一瞬声を失う。タラサで早速芽を出したあの南瓜と、イユたちの邪魔をする鬱陶しい蔓が同じものだと結びつかなかったからだ。
「イユたち、植えてましたよね? 厨房の奥に」
蔓を切り続けるリュイスに言われ、イユは頬を膨らませた。よもや、帰ってきたときには厨房から溢れんばかりの蔓が伸びているというおぞましい事態にはなってはいまいか。我ながら嫌な想像が、頭の中に浮かび上がり、げんなりしてしまった。
「こんな風に増殖するって知っていたら、植えなかったわよ」
「いや、植えて正解だと思うぞ」
意外なフォローはレパードのものだ。
「霜陰南瓜は大して手を入れなくてもすぐに育つからな。味はまぁまぁ人を選ぶが、栄養価は高いし、腹持ちもする。良い非常食だ」
詳しい説明に、レパードは元々霜陰南瓜を知っていたのだと気づかされた。
「随分詳しいんですね?」
ワイズも同様の疑問を覚えたようで、そう訊ねる。
「まぁ、俺は元々シェパング出身だからな」
「そうなの?」
ここにきて新事実だと、イユは驚く。
シェパングは自国の『異能者』に寛容と聞いたが、よもやカルタータ出身でもないレパードが『龍族』として生きていけたのは、シェパングにいたからなのだろうか。
聞いてみると、レパードは「いやいや」と片手で仰ぐ仕草をした。
「幾らシェパングが自国の人間を優遇するといっても『龍族』には甘くない。だがまぁ、この国には地図にも載っていないような集落や島が多いからな。俺らみたいなのは紛れやすいんだ」
「それなら、レパード以外にも、『龍族』がシェパングにいる可能性があるということですか」
リュイスにも今の話は初耳だったのか、振り返って質問を口にする。同族がいるかもしれないという期待が声に滲み出ていた。
「……いや、恐らくはもういないだろうな」
諦めたのようなレパードの口調だった。
改めてイユはレパードとリュイスが、世界で唯一の『龍族』かもしれないということを意識する。『異能者』と違い、世界でたった二人きりの存在だ。そう思うと、胸がきゅっと締め付けられる感覚がした。
「分からないわよ。二人が生きているんだもの、案外うようよいるかもしれないわ」
「うようよって、そんな嬉しくねぇ表現だな」
苦笑しながらもレパードの声音は明るい。イユの気遣いに気づいたのかもしれない。
「二人とも、少し良いですか」
リュイスが足を止めたので、イユとレパードは黙った。気配に聡いリュイスの真剣な声だ。すぐに何かが起きると分かった。
耳を聳てたイユは、茂みを走る生き物の音を聞く。恐らくリュイスが感じている気配と同じものだろう。
単なる動物だったら今晩の食事にでもするところだが、動物にしては真っ直ぐにイユたちのほうへと走ってくるのが気にかかる。恐らくは魔物。それも、イユたちを逆に今晩の食事にしようと考える数体からなる群れだ。
魔物たちの狙いは、先頭に立つリュイスなのだろう。茂みの音がイユから逸れたのが分かった。
「魔物ですか?」
一人分かっていないワイズが、ようやく理解できたとみて、皆に確認を取る。小さく頷くのはレパードで、リュイスは目を閉じて意識を集中させている。
「七体ぐらいかしら」
正直話している余裕もないのだが、規模だけは伝えておいたほうが良いだろうと、イユは急ぎ伝える。
その間に、リュイスの元に魔物が迫ってきた。
「そこです!」
リュイスが剣を抜き、向かってきた魔物に向かって斬る。
次の瞬間、断末魔のような声とともに飛び散ったものをみて、イユは目を疑った。
「蔦……?」
どこからどうみても、それは先ほどまでリュイスが切った蔦である。




