その573 『反動』
充分に考えられる話ではあった。『魔術師』が船を襲ったのだ。『龍族』が乗っているとはいえ、ギルドの正式な船を、である。そこで連れ去られた人間が、幾ら同郷の者だからといって何も言わずに解放などされるものだろうか。誰がどう考えてもそうはなるまい。むしろ同郷であるからこそ、本人ないし家族が直訴できる機会がある。横暴な『魔術師』の考えることだ。口封じのために何か仕掛けてもおかしくはない。
「ただ、妙な感じがするの」
「妙?」
イユの意見に一同が暗い顔をし、当の本人がぎょっとした顔をしている中、イユがぽつりと呟いた言葉にレパードが過敏に反応した。
「キドたちを連れ去ったのは克望のはずでしょう? でも、これは『違う』気がして」
克望でないとはっきりと分かるわけではない。だが、そうだと言い切るのもおかしいと感じる。
「克望を支持している別の『魔術師』の仕業か?」
「分からないわ。あり得ない話ではないと思うけれど」
円卓の朋は克望と抗輝との間で考え方の違いから争っていると言う。それならば、それぞれに味方する派閥があるのかもしれない。
「以前より鋭くなっていますね」
感心したようにワイズに呟かれた。褒められて悪い気はしないものの、キドが暗示に掛かっているのが確定したようなものなのだ。素直に喜べたものではない。
「僕の意見ですが、これは姉さんでもなければ克望という人物のものでもないでしょう。誰とは言い切れませんが、イユさんの感覚は信じていいと思います」
「意外と高く買うのね?」
「獣は直感が鋭いですから」
飛び掛かろうとしたところを、リュイスに抑えられる。解せない。
「それはそうと、解除は任せていいのかい?」
ラダに声を掛けられたワイズは、イユの視線を気にした様子もなく頷いた。
「キドさんに暗示を解く意思があれば問題ありません」
「いや、解いてくれよ。怖すぎるから」
すかさずお願いするキドの気持ちが、イユにはよく伝わった。自分の知らない間に自分が自分でなくなっているような不気味な感覚。それが嫌だったから、イユはブライトに記憶を覗いてくれなどと血迷ったことを頼んでしまったわけである。
「であれば、問題ありませんね。こちらへ来てもらえますか」
キドがワイズの元へと進むその間に、ちらりとリュイスが確認を取る。
「ワイズの負担は大丈夫なのですか?」
「大怪我をしているわけではありませんし、これぐらいは平気です」
また倒れられると困るが、本人はそういうことは起きないと言う。果たして信じて良いかは疑わしいが、ワイズ以外にできないことなのも事実だ。
「では、ここに座ってください」
ワイズの指示は、イユのときと同じようだった。
「キドさん。まずは暗示を掛けられたと思われるときのことを思い浮かべてください」
「そんなこと言われても」
本人に覚えがないのか、キドの顔が戸惑いに満ちる。
「そうですね。それでは、連れ去られた後、振り分けられたと言っていましたね。その後どうなったかを順に思い返していってもらえますか」
「あぁ、それなら」
イユたちに話を聞かせたばかりのことだから、振り返りやすいようだ。言われたとおりに思い返そうとしてか、キドの視線が横にいく。そうして暫くした後、明らかに一瞬キドの表情が痛そうなものに変わった。
「キドさん、改めて聞きます」
すかさず、ワイズが口を開く。
「暗示を解きたいですか」
一瞬、間があった。すぐに答えられないのか、キドの口が意味もなく閉じたり開いたりする。
まるで、暗示を解きたくないかのような躊躇い方だ。それこそが『魔術師』の魔術が危険な故なのかもしれない。イユは知らず知らず自身の拳をぎゅっと握りしめた。
「解きたいさ」
けれど、最終的にキドから発せられた言葉に、ふっと手に掛ける力が抜けた。これなら大丈夫だと、何も知らないはずなのにそう思えた。
ワイズも同じように考えたのだろうか、指示を続ける。
「でしたら、この杖に意識を持っていってください」
ワイズが普段所持している白い杖だ。キドの視線が白い杖に埋め込まれた水晶玉で止まるのを見て、イユは自分のときのことを思い出した。イユもあの水晶玉に視線をやった記憶がある。けれど、そのときに今と同じようにワイズが呪文のようなものを呟いていたかどうかは、思い出せなかった。
水晶玉が僅かに光り、周囲の空気が揺らぐ。原理はよくわからないが、それは見ているだけでどこか神聖さを感じさせる。
ワイズは握りしめた杖を僅かに持ち上げる。キドの視線がそれに伴い、上がっていく。
そして、とんと、地面に杖が落ちた。
「つっ……!」
音の衝撃とともに、キドが身体を震わせる。
「これでいいはずです」
ワイズの言葉が、何かの宣言のようだった。
びくりと身体を大きく逸らせたキドが、突然頭を抱えだす。
「ぅ……、あぁ……!」
まるで何かに怯えるように声を奮わせると、突如発狂した。
「キド!」
「おい、大丈夫か!」
レパードが、レンドが、驚いたようにキドを抑える。
「ちょっ、ちょっと、解いたんじゃないの?」
クルトは慌てる様子をみせるものの、どうしてよいかわからずにうろうろとしていた。
「うわっ、キド……!」
そして、キドは抑えていたレパードたちの手を振りほどくと同時に、ふらりと大きくよろめき、地面に足をつく。
「何だ、これ……。記憶、なのか?」
そのまま頭を抱え呟かれたうわ言は、イユの耳ならばはっきりと言葉として届いた。混乱しているのだろう。覗いてみると、キドの顔色は真っ青を通り越して真っ白になっており、わなわなと唇が震え続けている。
「大丈夫なのかい?」
振り払われたレンドたちを見ながら、場所が遠かったことで近づけないでいたラダが、ワイズに確認を取る。
「はい。まだマシなほうです」
その宣言に、イユは思わず反論し掛ける。
「私のときは……、まだ」
涙が止まらなくなったが、それだけだったはずだ。ここまで辛そうにされると、胸が痛くなった。
「イユさんの場合がおかしいぐらいです。普通の反応ですよ」
「そんなこと、言われたって……」
どうにかしてやりたい。キドの震えようは、どうみても異常だ。けれど手を触れてもレパードたちのように振り払われるのは目に見えていた。力押しで抑えきることはできるが、それはどうも違う気がする。
「落ち着くまでは暫く様子をみましょう」
本当に見ていることしかできないのだろうか。イユは唇をそっと噛んだ。
「おい、大丈夫なのか? イユのときは、かなり慎重だったよな?」
レパードがワイズに問いかける。イユ自身は自分のときと比べて遥かに酷いと思っていたのだが、ワイズからしてみるとそうでもなかったようだ。
「えぇ。見たところ、一部の記憶を消されただけのようです。これぐらいなら」
「これぐらい、ね」
ワイズの回答に引っかかったのか、ラダが呟いた。
「失礼しました。あなたたちに対して、言葉選びが良くなかったですね」
ラダの言い方が本気だったのをワイズも感じたのだろう。いつもの口の悪さは引っ込み、素直な謝罪が口に出る。そのおかげで、ラダの留飲が下がったらしい。振り払うように首を横に振りながらも、ラダは「良いんだ」と返した。
「君は治してくれたんだから文句を言うつもりはないよ。ただ、改めてぞっとしているところでね」
記憶を覗かれた当時を思い出したのだろう。ラダも蒼い顔をしていた。




