その564 『桜のなかの情報収集』
「大丈夫かなぁ、イユたち」
クルトの呟きを聞きながらも、レンドは階段を下り続ける。
「どうせ目移りして中々目的地にたどり着けないパターンだよねぇ」
「そういうお前は大丈夫なのか」
あはは……、と苦笑いをするクルトの顔にははっきりと自信がないと書かれている。
「まぁ、お目付け役がいるしね」
「一応言っておくがここからは住宅街だ。行き来は自由とはいえ、俺らも警戒は必要だからな」
『龍族』や『異能者』ではないが、とは口にしない。道行く人々にそうした言葉を聞き咎められたら、厄介だ。
「うん、まあね」
「それで、まずはどこから回りたいんだ?」
クルトはすぐに答えた。
「情報収集できそうなところ」
てっきり物資の購入から行くと思ったが、意外な選択肢だ。レンドの表情を読んだらしく、クルトから説明がある。
「ボクが欲しいものって大抵重いんだもん。身軽なうちに歩けそうなところは歩いたほうがいいんだよ」
「なるほどな」
確かに、クルトが求める物資は重たいものが多い。散々マゾンダで持たされたから身に染みて知っている。特に、今クルトが一番欲しいものは、飛行船の扉の補強や手すりに関わる部分のはずだ。木造船と違い木の板ではすまないので、どうにかして素材を入手する必要がある。そしてその素材は間違いなく鉄板の類……、つまり、ただ重いのではなく、とりわけ重たいのだ。
「鉄板の類も欲しいんだけど、洗剤も調達したいかな。あと布類」
日用品がクルトの口から飛び出てきて、意外な気がした。
「いやだって、洗濯大変だったし。服も圧倒的に足りないし。包帯は絶対いるし」
「まあな」
必要物資が不足しているのは分かっている。何せ急に飛ばされてきたのだ。これがセーレなら、常に何かしら物資があった。だが、タラサは違う。すっからかんだ。
「レンドは何かないの」
「武器の予備がいる」
即答すると、「あぁ」と返された。
「確かに、それはいるね」
明鏡園までは飛行船でひとっ飛びというわけではない。魔物も当然でるし、空賊もいるはずだ。最も後者に関しては、『龍族』や『異能者』のいる飛行船を狙うなんて酔狂はしないものと思いたい。
「しかし、随分と混乱しているな」
街の様子をみて、レンドはそう評する。
「そうなの?」
「あぁ。観光客の数も少ないし、街も騒々しい。桜花園にしては荒んでいる」
クルトは、「これで?」と言いたそうな顔をした。
初めて桜花園に来た人間には確かに違いが分からないだろう。他の街に比べても賑やかで、独特な風情はあるままだ。しかし、レンドはこれでも何回も桜花園は訪れている。だからこそ、街の気配を敏感に感じ取ることができた。
階段を下りきったところで、再び桜並木へと入る。桜の数は相変わらずだが、人気はだいぶ減った。屋台もないので勾配の前にある赤色の柵がよく目立つ。
「こっちだ」
まずは人のよくいる場所に向かうべきだ。住宅街といえども、家だけがあるわけではない。日用品を買い足すための店や公園もある。そうしたところでの住民の会話から、近況ぐらいは聞き取れるだろう。そんなことを考えながら白い石畳を歩いていると、新聞配達をする少年を見かけた。
「一部、いいか?」
クルトより数歳年上だと思われる、人懐こい顔の少年だ。にこりと笑ってから、肩から下げた鞄を漁り始める。
「はい、50ゴールドです」
コインと引き換えに朝刊を受け取ったレンドは、少年から距離を置いて早速広げ始める。
「立ち読みはいいんだけど、ボクも読みたい」
横目で乗り出そうとするクルトは、それでは上手く確認できず不満そうだ。身長差があるせいで背伸びしても見えないらしい。
「あとで貸してやるよ」
そう言って一枚目をめくったレンドの手が止まった。
「なるほどな」
「ねぇ、何? 気になるんだけど」
仕方なしに該当の箇所を開いて渡してやる。場所を指定する必要はなかった。何せ全面に書かれている。
「マドンナ殺害の犯人は、シェイレスタ王家? ……は?」
読み上げたクルトはぽかんとした。
「なにこれ?」
「文面の通りだろう」
口をぱくぱくさせているクルトは、らしくもなく思考が抜け落ちた様子だ。
「いや、だって。それって、さ?」
マドンナの出身は、シェパングだ。そして、誰もが知るギルドの創設者であり、多くの人間に影響を与えているいわば世界的な人間である。
そのマドンナを殺害したというのだ。それはつまり。
「戦争になるんじゃないの?」
クルトが不安を口にした。
「だろうな。最も、シェイレスタは認めていないらしいが」
「そりゃそうでしょ」
認めたら、大問題だ。
「だが、証拠が出てきたと、この記事にはある」
マドンナは暗殺ギルドに殺された。その暗殺ギルドが依頼者について、シェイレスタの指示でやったことだと声明をだしているのだという。
「いやいや、そんな発言なんて証拠でも何でもないよね?」
そもそも暗殺ギルドが声明なんて、聞いたことがない。それはもはや暗殺ギルドではなくテロ組織だ。そんな人間の発言なんて、信用してよいのかとも言いたくなる。
「大体その暗殺ギルドはどうなったの?」
「ちゃんと読め。書いてあるだろ」
今、新聞を持っているのはクルトなのだ。指で記事を指すと、クルトが読み上げ始める。
「首領含め全員を死体として発見。服毒による自殺とみられる。尚、声明は録画技術を用い予め準備されていたものと推定される」
クルトは読み上げなかったが、声明についても仔細に書かれていた。基本的には、シェイレスタへの異常な盲信が垣間見え、王家を示唆するような発言があるという。
「一応別のところで、怪しい発言だから念入りに調査するとは書いてあるけれど……」
「どうだかな」
レンドは冷たい視線を送った。
「上の人間っていう奴は、好きなように情報を操作するもんだ。まずこれで通すつもりだろうな」
真偽のほどは分からない。ただもっともらしく書かれ公開されれば、人はそれを信じる。
「真っ赤な嘘ってこともあるってこと」
「あるだろうさ。情報なんて好きに変えられる。ただ、事実さえあればいいんだ」
マドンナが死んでいるという事実さえあれば、よい。
可笑しいと思うことは何もない。現にそういう世の中だからこそ、『異能者』は弾圧されているし、『龍族』は滅亡に追い込まれたのだ。それが今回、シェイレスタという国になり変わったに過ぎない。
「それじゃあ、戦争を起こしたいってこと?」
何のために。クルトはよく分からないという顔をしていた。
「幾らでもあるだろうさ。そうしたい理由はな」
そう語るレンドは、騒ぐ人の気配に気付き視線をやる。
「何、あの人だかり?」
クルトも見つけたらしい。赤色の柵へと乗り出した。
クルトとレンドの視線の先、巨大な桜の大樹の麓では、大勢の人間が集っている。そこに、大樹の中から出てきた人物が見えた。集っていた人間たちが、一斉に首を垂れる。
「『魔術師』か?」
「うーん、悔しい。イユなら見えただろうに」
今、レンドたちに辛うじて見えるのは、白銀の髪をした男の姿だ。黒い服を纏っていることは分かるが、それ以外のことは分からない。これだけの人数が集まっているのだ。只者ではないことだけは事実だろう。
そうやって観察していたレンドは、瞬間冷たい殺気を感じて息を呑んだ。遥か先にいるはずの男が確かに一瞬、レンドを見た気がした。その視線の鋭さが、見えないはずなのにはっきりと感じられたのだ。
「レンド?」
喉がからからになって、クルトの声にも返せない。無意識にナイフへと手をやっていたレンドは、男が人々の間を歩き、やがて建物の死角に入っていくのを見届ける。
その姿が完全に消えてはじめて、ふっと息をついた。
「……何でもない。行くぞ」
「えっ、ちょっと、待ってよ!」
慌ててついてくるクルトの気配を感じながらも、悪寒を必死に振り払うのだった。




