その560 『桜と湖の島』
桜花園が見えてくるにつれ、他の船も見かけるようになった。船は見慣れた木造船もあるが、シェパング特有の紺色の船もある。後者は不思議と朝日に溶け込んでみえた。
「タラサだと浮くね」
タラサはしかし、セーレのような木造船や、シェパングの紺色の船のどちらとも違う。どちらかといえば、イクシウスの戦艦と似ているわけだから、すぐに噂になりそうだ。
「大御所のギルドなら、この手の飛行船も所持しているからそこまでおかしくはないだろ。俺らには不相応だが」
レンドの助言はあるものの、浮いている気がするのは変わらない。
「それで、ひとまず桜花園で必要物資を揃えるとのことでしたが、誰が向かうんですか」
わざわざ、航海室に人を集めている。今ここにいないのはシェルとレッサ、ライムとミスタだ。ライムについてはこの場にはいないが通信機器で会話ができる。レッサとシェル、そしてミスタは休息中である。
ワイズの質問を受け、レパードは答える。既に決めてあったようだ。
「ライムとレッサ、ラダは船の整備があるから、留守番だ。俺も待っていよう。それ以外は、情報収集を兼ねて物資の調達だ」
イユはシェルのことを思い浮かべた。最寄りの街に下ろして欲しいと言っていたのは、現在位置を特定する作業より前の話だ。孤児院に手紙を書いたかどうかは分からない。
「シェルのことは……」
言い掛けたイユの言葉を、レパードは遮った。
「後だ。物資の調達には時間が掛かる。落ち着いてからで問題ない」
それはまるで、時間を引き伸ばすための言い訳のようにも聞こえた。イユですらそうなのだから、シェルはどう思うだろう。複雑な気持ちを抱えつつも、引き続きレパードの話を聞く。
「それより、イユとリュイスは桜並木までしか行くなよ。階段は下りるな」
「階段?」
イユが首を傾げると、「地形は説明していなかったか」と返された。
「桜花園は、中枢ほど土地が低いんだ。それぞれの層には、階段があってそこを行き来する」
「そうそう。ドーナッツ型をしているんだよ。一番外が桜並木層。観光客が多く訪れる層だね。ボクも行ったことはないけれど、地図を見たことはあるから知ってるよ」
レパードの説明にクルトが付け足した。それで、イユはクルトたちも桜花園は初めてなのだと気づかされる。同時に、桜並木層までなら行ってよいというのはつまり、観光客に紛れる分には安全だと言われていることと知る。
「まぁ、わざわざ層で名前を呼ぶ奴は今はいないがな。どっちかっていうと、桜並木通りだ」
「ふぅん、そうなんだ」
レンドに言われて、クルトは少し興味のなさそうな返事をしている。そんな二人の様子を見ながらも、レパードは告げた。
「レンド、悪いがクルトの買い物に付き合ってやってくれないか」
「他に適任はいないんだろ?」
レンドはやれやれという仕草をする。レンドは桜花園がはじめてではないのだろう。故にそうなることは予想していたようだ。
「まぁ、そういうことだ。ワイズはどうする? お前もシェパングは初めてか」
「はい。僕はリュイスさんたちとご一緒しますよ。観光気分ついでにギルドで情報収集してきます」
「ギルドは、桜並木にあるの?」
イユの質問に、レパードは頷いた。
「あぁ。だから、ワイズの言う通り、お前たちはギルドを当たってくれると助かるな」
「分かったわ」
「ついでに、不足している物資も買い足しましょう」
リュイスの言葉に、胸が高鳴るのを感じる。何より久しぶりの街だ。マゾンダの近くにいながら、ちっとも街へ赴けなかったから正直、恋しい。
アグノスが喉を鳴らした。存在を主張するように、一同の間を飛び交う。
「アグノスは留守番だ。目立つからな」
がっくりと肩を落とす飛竜の姿は、心底残念そうである。
最も桜花園にいる鳥を全て平らげられても困るので、イユとしては適切な判断だと思っている。
「おっと、湖が見えてきたな」
レパードの声に振り返ると、窓の先で大きな湖がきらきらと光っていた。その湖を抱きしめるようにして桜の木の根が伸びている。飛行石が湖のなかから顔を覗かせていた。
桜の大樹が湖とともに浮かんだ島。それが、桜花園なのだ。中央の大樹は、あまりに大きくて本当に周囲と同じ桜なのかと言いたくなる。
「かなり近付いてきたね」
桜花園はどの島とも違う、自然と共生していることを実感させられる街である。
大樹の周囲には見慣れない瓦屋根の家が幾つも並んでいるが、その周囲は桜の木々に囲まれ、満開の花が咲き乱れている。そして街の前方、桜の大樹に抱かれているために街を囲う形になる湖の色は、マリンブルーに染まっていた。桜の花と対照な色をしていることもあって、とてもよく映えて見える。
イユの目は、湖に数十隻もの飛行船が停泊している様子を捉える。白い帆を立てた船がとりわけよく目立った。
「あの船は飛行船じゃなくて湖を巡回する類のものだろうね。見た感じ御洒落過ぎる」
イユの視線に気づいたのか、舵を握りながらラダが説明する。
「巡回? 何のために?」
「観光目的だろうけれど、中には停泊している飛行船を探る目的もあるかもしれないね」
怪しい船が泊まっていないか確認されているかもしれないということだろう。そうなると、少し不安になる。
「この規模の飛行船なら、心配しなくても疑われないと思うよ。小さい帆船の中には空賊まがいのことをしている人たちもいるからね、探っているのは大方そちらだろう」
そうそう『龍族』や『異能者』を探しているわけではないと言いたいらしい。確かに、シェパングは『異能者』であっても自国にいるのならば問題のない国だ。その理屈でいけば、幾ら観光客が入っているとはいえ、都度厳重に確認されるとは思えない。
「まぁ、ギルドの紋章旗がないのは怪しいといえば怪しい気がするけど」
クルトの呟きに、イユは首を傾げる。
「もう一度貰うことはできないの?」
魔物ともよく戦うギルドなのだ。幾ら大切にしていても、なくすことぐらいあるだろう。
「出来るぞ。ついでに買ってきてくれ」
「買う……?」
意外な言葉に、きょとんと首を傾げてしまった。
「そうだ。なくした場合、買わないといけないというルールだ」
さすがマドンナ。イユは心の中で、その姿を思い返す。死して尚、強かさは健在だ。
「まぁ、非正規で入手されても敵わないからだろう。結構高くつくけどな」
毎日のように絵が変わるため、偽造がしにくいのが紋章旗の特徴だ。だから、ギルド員だと証明しやすい。しかし非正規に紋章旗を売り払われてしまったら、証明にならないということだろう。
「分かったわ。セーレの名前を出せばいいのよね?」
「あぁ、その通りだ」
最も名前で管理はされているらしい。非正規で売り払ったことがばれたら、それはマドンナのことだ。当然のごとく、多大な金額を要求するのだろうなと想像した。
「さて、着水するよ。この船だと初めてだからね、全員、ちゃんと掴まっていてくれ」
ラダの指示を受けて、皆が近くのものにしがみつく。レッサからも「分かったよ」という返事があった。
船はゆっくりと大陸へ下りていく。セーレで甲板から様子を見ていたときとは、景色も感覚も大きく違った。窓に映っていた小さかった街が、気づけば大きくなっている。マリンブルーの湖が視界いっぱいに迫ってくる気がした。
そして、軽い衝撃とともに船が水へと走る。水飛沫を上げて突き進む船の勢いが、空を飛んでいるときよりも速く感じられた。他の飛行船の間を抜けて、陸に向かって進んでいく。
やがて飛行船は減速し、窓に水滴が飛び散る。今までは風に吹かれてすぐに飛んでいっていたものが、速度が緩くなったことで残ってしまったらしい。そこに桜の花びらがひとひら、窓にぺたっと張り付いた。
「無事に着いたな」
レパードの言葉で、肩の力を抜く。しがみついていたものから手を離し、ゆったりと進む飛行船に身を委ねる。横を見ると、ラダが舵を手にして窓の様子をまっすぐに見つめている。ラダの手の動きは初めての着水だとは思えないほど慣れているように見えて、何故だか無性に安心してしまった。
やがてタラサは湖に伸びていた橋のすぐ隣まで進むと、ぴたっと止まった。




