その559 『お風呂タイム』
相談の後、イユがしたことはまず、風呂にお湯を張ることだった。何せ、目的地が見えているのである。洗濯のための服の回収はリュイスに任せ、早く身支度を整える必要があった。
「イユ、来たよ」
呼ばれてやってきたクルトは、手元に大量の服を持っていた。リュイスに持たされたのだろうことは察しがつく。
「服を洗うついでに、私たちも洗うわよ」
指示を出しながらクルトのほうを振り返ったイユは、クルトの後ろにいた影に固まった。
「わぁ、凄い! 船内でお湯が溜めておけるなんて」
ライムである。豊かな金髪をまとめて結い上げ、バスタオルをもって入ってくる。服で隠れていない分スタイルの良さがはっきりと確認できた。顔は汚れているが、それは今から洗うので問題ないだろう。
「あぁ、レッサがどうせなら二人ともお風呂に入ってきていいよって」
イユの困惑の表情に気づいたクルトが、そう説明する。
「というか、お風呂に入ったままお風呂の構造に夢中になられてずっと出てこないと困るから」
クルトはお目付け役として抜擢されたらしい。
「いつもお疲れさまね」
「時には変わってくれても良いんだよ?」
そうは言うが、金髪碧眼の二人が並ぶと姉妹のように似合っている。今は裸ということもあり、服装の違いもないので余計にそう感じる。せっかくの大役を横取りするのは気が引けるというものだ。
「遠慮しておくわ」
そう答えながらも、イユは腕まくりをする。洗濯の開始である。
「とりあえず、二人とも湯舟に入って。私は服を洗うから」
二人の返事を聞きながら、イユは手元の服を洗い始める。クルトは一旦は湯舟に浸かったもののすぐに物干し竿を設置し始めた。ライムは、言うまでもなく湯舟に入って仕組みを調べ中である。
「洗い終わったものはここに干していくから言ってよ」
「助かるわ。でもそれなら、洗い物も手伝ってほしいわ」
「分かったよ」
ずっと洗っていなかったのだ。一着の汚れを落とそうと思うと、時間が掛かる。
「汚れは一日でも無視すると大変だもんね」
そう言いながら素直に洗濯し始めるクルトに、内心感謝だ。
「寒くなったら湯舟に浸かっていいわよ」
イユも定期的に風呂に戻っている。
「何かゆったりする暇ないよねぇ」
確かに洗ってばかりではのんびりはできない。休憩を貰ったという気分にもなれないだろう。
「洗い物が終わったら、ゆったりしましょう」
イユの宣言に、クルトは弾んだ声を返した。
「賛成!」
「ふぅ、終わったぁ」
絞りが甘かったのか、ぽとぽとと洗濯物から落ちる水滴を眺めながら、クルトが湯舟に入っていく。
「ちゃんと体も洗ったわね?」
「洗ったって。姉さんじゃないんだから口うるさくしないでよ」
小言が嫌だったらしいクルトの文句を聞きながら、洗濯物を絞るとしゃんと干し直す。ちゃんと絞らないと乾くのに時間がかかる。
「クルトって万能人間かと思っていたけれど、こういうところはまだまだだから」
「その評価、喜んでいいのか悩むんだけど、どっち?」
返事はしないでおいた。
「それにしても、皆が同時に裸でお湯に浸かるなんて、おかしな感じね」
あからさまに話を逸らしたわけだが、話題が興味を引くものだったのか、すぐに乗ってくる。
「シェパングだと当たり前みたいだよ」
「大昔はシェパングみたいな文化だったのかしら?」
「どうだろう。シェパングはむしろ独自文化を貫くって考え方だから、お風呂だけが特別なんじゃないかな」
イユは髪を結うと、クルトと同じように湯舟に浸かる。
「ふぅ、気持ちいいわね」
シャワーも気持ち良かったが、風呂は更に良い。水浴びともまた違う。お湯にするだけでこうも変わるものかと、感心してしまう。
「シェパングじゃ、極楽極楽とかいいながらお風呂に浸かるらしいよ」
「何よそれ」
「知らない。ただ、そう言ってた」
誰に聞いたのか、怪しいものである。
「大体、極楽ってどういう意味よ」
クルトは首を捻っている。
「さぁ? 楽を極めるらしいから、きっと何もしないことだよ」
イユは思わず水面を覗き込んだ。
「何もしなければ沈むわよ」
座り込んだイユの肩までお湯が張っているのだ。何もせずに寝てしまえば、水を飲むことは想像に容易い。
「いや、水のなかは意外と浮くらしいよ?」
「そうなの?」
「そうそう。慌てずにじっとしていると、意外と助かるって」
リュイスたちと出会って間もない頃に洞窟で溺れかけたのを思い出して、遠い目をしたくなる。そういう話は、溺れる前に聞きたかったものだ。
「それにしても、イユの肌ってすべすべだよね。やっぱり異能のせい?」
そうかもしれない。話を変えられて、イユは頷いた。
「でも、クルトも綺麗なほうでしょう?」
「まぁ、これでも若いし?」
満更でもなさそうな表情を浮かべられる。
「それを言ったら、ライムなんて説明がつかないけどさ。どうしてあんなに日頃から籠っているのに綺麗なんだろう」
「むしろ外に出ていないからかもしれないわね」
クルトの羨ましそうな発言に、イユなりに当たりをつける。何より、日頃から戦ってばかりの甲板部員たちと比べたら、肌へのダメージは少なそうである。
「体型は? あの体型はどう説明するのさ」
「体型? 知らないわよ、それは生まれつきでしょう」
悔しそうにクルトに唸られてしまった。全く、よく分からない。
「まぁ、いっか。ないものねだりしても仕方がないし」
一人納得し出したクルトに呆れつつ、干された洗濯物を見上げる。
そこで、音に気が付いた。
「そういえば、ワイズはまた船長室に籠って資料を探しているんだっけ?」
イユは思わず湯舟を見下ろす。間違いない。肩まであったお湯の位置が今は下がっていた。
「ワイズがまとめてくれる資料を見ているとさ、なんか『魔術師』っていうか、お貴族様って感じがしないんだよね。やけに庶民的なことまで理解しているというか」
「クルト」
イユは呼び止めた。だが、気づかずにクルトは続けている。
「あ、でも料理はそうでもなかったんだっけ?」
「クルト」
「ん?」
ようやく語りで忙しかったクルトの気を引いたイユは、湯舟を指差した。それだけで、クルトは理解したようだ。
「うわっ、水かさが減ってるじゃん!」
事態を共有した二人は原因を探るべく周囲を見回す。怪しいのは栓だろうが、そこにたどり着く前に違和感に気付いた。
「ライムは、どこ?」
一体いつの間に消えたのか、そこにいないのである。
「うわっ、栓抜けてるじゃん。これのせいだよ」
そこにクルトが栓の異常に気付く。犯人として思い当たるのは一人しかいない。
「うふふ、凄いよ、クルトちゃん! このお風呂のお湯も、ちゃんと巡回されるみたい」
そこに、先程までいなかった人物が、ふらふらと戻ってくる。その顔が汚れたままであるのをみて、イユはこめかみを押さえた。
「いろいろ調べたんだけど、あっちにね、機械が……」
「クルト、ここに大きな洗い物が残っていたわ」
遮ったイユの言動に気付かないのか、当の犯人は首を傾げている。
「あら、クルトちゃん。まだ洗い物中?」
「あぁ、うん。まだ目の前に大きな洗い物が残っているかな」
クルトの目が据わっていることにも気付かない様子だ。
「まぁ、これが終わればまったりはできそうね?」
「そうなの? 大変そうだけど、良かったねぇ。あ、そうだ。栓の構造もちょっと今時のものと違ってね」
構わず続けようとする犯人に、イユたちはゆっくりと近付いた。
「そんなことより、知ってる? シェパングじゃさ、こういう言葉もあるんだよ」
にこにこと笑みを浮かべる二人にも気付かないのは、さすがだと思う。
「堪忍!」
イユたちはライムに飛びかかるのであった。




