その554 『地図を重ねて』
医務室に入ったイユたちは、早速シェルに印をしてもらった地図を広げる。
シェルとワイズは医務室で寝たきりなので、場所は甲板の前の廊下に変えていた。というのも、その場にはレパードが見張りについている。こういった作業は、人を巻き込んだほうが捗るだろうという判断だ。
「とはいえ、何をどうつなぎ合わせればいいのか、正直さっぱりなのだけれど……」
リュイスが、シェルの打った点と点を結んで地図を描いている。
その様を見ながら呆然とするしかないイユに、レパードが同感だという顔をした。
「地図を描いて現在位置を特定する、か。中々難しいことをやっているんだな」
地図の精度がスナメリでもらったものと異なるので、レパードの言うとおり、難しい。
「透ける紙に転写できると早そうだが……、無い物ねだりか」
そんな紙があるのかと聞いたら、あると返事があった。便利だが、職人の街ヴェレーナでなら手に入るはずだと言われても嬉しくはない。
「ですが、以前よりは手元の情報が増えています。もう少し組み合わせられそうなところを見てみましょう」
線を引き続けるリュイスの言葉に、二人は頷く。
しかしながら、暫く見ていても、一致する場所が見つからない。リュイスが描き終わったところであまり代わり映えはしない。ここが近いかと思って合わせてみても、別の部分が上手く重ならないのだ。段々苛々してきたイユは、今日も今日とて音を上げた。
「無理よ。まだ情報が足りないのよ」
とはいえ、これであと数日続けたところで終わりが見えない気がするのが事実である。
「仕方ありません。他のことを片づけましょうか」
定期計測と、現在位置を特定する作業以外にもイユたちにはやれることがある。
「勉強ね!」
半ば冗談で言い切るイユに、リュイスはあくまで真面目に返す。
「違います。それも大事ですが、そろそろ掃除をしませんか?」
いわれてみれば、ラビリがいた頃は掃除をしていた。だがいなくなってからは、それどころではなくなっている。
「言われるまですっかり忘れていたわ」
最も厨房は汚すたびに綺麗にしているし、医務室もシェルがいることから、清潔にするよう心掛けている。だから、その二室は問題ない。他の部屋も軒並み使用者が気がついて掃除しているはずである。リュイスがいうのは、廊下や誰も使っていない部屋だろう。
「夜中なのであまりうるさくはすべきではないでしょうが、やれることだけやっておきましょう」
言われてイユは頷いた。
「それが終わったら、いつも通り皆の手伝いね」
定期計測の合間にやることはたくさんある。勉強もしたいところだが、こればかりは仕方がない。それに掃除であればイユはセーレで慣れているし、好きな部類だ。少なくとも、人食い飛竜の亡骸の山を海に投げ捨てる作業よりは遥かに良い。先日レパードに頼まれてやったあれは、正直苦痛だった。あれなら、クルトの手伝いで釣りのための疑似餌を作ったほうが楽だ。
「ミスタが服を破ってしまったようなので、裁縫をお願いしたいです」
怪我をした際に破ったのだろう。確かにそれもやるべきことである。
「分かったわ」
イユは腕まくりをした。
そうやって瞬く間に、今日も夜が明けていく。一日の流れが決まってくると、時間の経過は自然と早くなる。同じ一日だというのに不思議な感覚だ。
「あとは計測器をシェルに渡して、休憩ですね」
何日も続けていると身体は夜の生活に慣れてくる。朝になると自然と眠気がやってきた。リュイスの言葉に頷きながら、医務室の扉を開ける。中に入ると既にシェルが起きていた。
「おはよう、シェル」
「あ、ねぇちゃんとにぃちゃん。おはよう」
今日は心なしか声に力がある。体調が良いのかもしれない。
「朝ご飯は食べられそう?」
「うん」
食欲はあるようで、シェルが食事を断ることはあまりない。そのことに安心しつつ、イユはバスケットから握り飯を取り出した。具材をふんだんに使えたサンドイッチ生活は幕を閉じ、今は干した魚を具材につめた握り飯だ。生臭いので嫌いな船員が多いが、イユからしてみれば臭いのわりに美味しい。それに、倉庫に干された魚がたくさんあるので、魚臭さが体についてしまい、今更な感じがするのだ。
「魚が日干しできれば良かったんですが……」
魚の匂いが苦手なリュイスが、太陽が名残惜しいとばかりに声を上げる。
「そう? 日干ししなくても魚が日持ちさせられるなら十分じゃない」
「……僕は苦手です」
リュイスは意外と好き嫌いがあるのだなと評価した。
「シェルを見習いなさい」
「いや、ねぇちゃん。これは、オレもきつい……」
ぼそっと声が上がったが、聞こえなかったことにする。
先に握り飯を食べてしまったイユは、地図をあらかじめ広げておくことにした。いつもはシェルが描きやすいようにベッドの上に地図を広げているのだ。まだ食事中のため今ベッドの上に広げるわけにはいないが、別の場所で開けておくのは問題ないだろう。
「現在位置、全然特定できないや」
広がったそれをみて、ぽつりとシェルが呟いた。
「悔しいけれど、そんな甘くはないってことね」
シェルの気持ちを汲み取って、イユは地図を睨み付ける。中々簡単にはいかないことは分かっていたが、こうも結果がでないと辛いものがあった。
「ですが、製図は着実に進んでいます」
リュイスの言葉に、イユは頷くしかない。
「あと少しですよ」
それが、どこか渇いた言葉のように聞こえて、息苦しかった。
「ねぇちゃん、思ったんだけど」
「何?」
「ねぇちゃんが、そこで製図した地図をもって歩き回れば、見つけやすいかも」
シェルのアイディアにぽかんとなる。
「私に地図を踏んで歩けってこと?」
貰い物の地図を踏む発想は今までなかった。妙なところで上品だったなと気付かされる。
「孤児院は貰い物の本でも、踏んづけるの当たり前だから……」
とりあえずと、シェルの言うとおりに動く。
「ねぇちゃん、もうちょっと右」
動いているイユ自身は、遠目に確認できないため何のことだか分からない。こんなことで急に作業が捗るとも思えなかった。
「地図の向きが逆なのではないですか?」
「にぃちゃん。そんなところ、さすがに間違えないよ」
「ですが、海流がおかしい気がして」
「ううん、いや、あっちのぐちゃってなっているところなら、あの流れでもおかしくないと思う」
シェルとリュイスの会話を聞きながら、イユはただ地図を持って歩くだけだ。それにしても、こんなところで会話が弾まれても、イユとしてはやることがない。退屈である。
欠伸をした拍子に手が動いたのは、だから本当に偶然のことである。
「ストップ!」
「止まって下さい!」
二人の声が掛かり、思わずイユは手を止めた。そして、何故かそこで、二人揃って驚愕したように固まっている様を確認し首を傾げる。
「……何よ?」
そこで聞いたシェルの言葉に、開いた口が塞がらなくなった。
「見つけたかも」
地図と合致する位置が、あれだけ苦労していたにもかかわらず、こんなにもあっさりと見つかったのである。




