その553 『竜の手も借りたい』
ぱちぱちと瞬きをしたイユの瞳には、天井が映っている。あてがわられた客室の天井は、凸凹として見えた。
トントン……
ノック音が聞こえ、身体を起こす。今まで、廊下を歩く足音がイユの耳に届いていた。それで、目を覚ましたところだった。
「どうしたの?」
すぐに声を張って尋ねる。身体はまだ休みたいと言っていたが、そういうわけにもいかないことは察していた。
「人食い飛竜の襲撃があり、扉を破られました」
リュイスの声だった。イユの想像を超えた大事に、大慌てでベッドから脱する。
バンッと扉を開け放つと、そこにリュイスの落ち着いた姿があった。てっきり非常事態だと思ったのだが、違うらしい。
「状況は?」
「既に撃退されています。扉も元に戻したので大丈夫です。ただ、ミスタが怪我をしました」
「怪我は酷いの?」
幸いにもリュイスは首を横に振った。
「怪我自体は完治しています。ワイズの魔術のおかげです」
段々言いたいことが読めてきた。
「ワイズは?」
リュイスは暗い顔で答えた。
「倒れました」
「あの馬鹿」
どうせそんなことだろうと思えてしまった自分が憎い。ミスタの怪我が酷いのであれば致し方ないとはいえ、いつも倒れてばかりである。無茶をし過ぎなのだ。
「今は医務室で寝かせています。起きる気配がないので」
「それは仕方ないわ。ということは、シフトの相談ね?」
リュイスが呼びにきた理由を当ててみる。
「はい。二人で見張るか誰かを巻き込むかも含めて相談したいです」
イユを起こさないといけないのは本意ではなかったのだろう。申し訳なさそうな顔をされた。このままではシフトを回せないのだから、気にする必要はないと思うのだが、そこはリュイスの性格なのだろう。
イユは寝起きの頭で考え始める。
今は、食事の用意をイユたちでしている。二人とも昼間に寝てしまうと食事を用意できる人がいなくなる。かといって、リュイスだけ夜間に計測させるのはさすがにリスクが高い。人食い飛竜以外の魔物も空には現れるのだ。
「クルトに料理を作らせたいところだけど」
クルトは昼間も起きているのだ。料理だけ肩代わりしてもらえば、イユたちだけで定期計測を続けられるという考えである。
「そうですね……。どちらかというとクルトは料理より計測をやりたがると思います」
確かに、クルトは計測器には興味を持ちそうだ。そうなると、昼間の料理ではなく、ワイズと同じ立ち位置に入ってもらうほうが本人としては良いだろう。
「分かったわ。それならクルトを巻き込みましょう」
ただし、その分クルトが製作に掛けていた時間が減る。それについてはクルトに要相談だ。
「最近、釣り竿とか作っていたし、きっと大丈夫でしょう」
イユは安易にそう考えていた。
「いいよと言いたいところなんだけどさ」
機関室にいるクルトの元へと赴いたものの、難色を示されてしまった。
「扉の補強作業があるからなぁ」
「そういえば、破られた扉は元に戻したとは聞いたけれど……」
シフトの話に移ってしまって、詳細を聞けていなかった。リュイスも侵入された事実しか知らないようで、初めて聞くような顔をしている。
「いや、はじめは魔物避けの香油を周囲に塗っておいたおかげで効果があったみたいなんだけどさ」
ここでもスナメリからもらった道具とクルトの工夫がよく活かされている。だが、その工夫があっても足りなかったらしい。数体ですんでいた人食い飛竜が扉を破れるほどに増えてしまった。
「破られたとなっては何かほかに手を考えないといけないじゃん? また来るかもだし」
来ないとは嘘でも言えないだろう。イユは唸った。
「確かに死活問題ね」
定期計測より遥かに優先度が高い事項であることは間違いない。
「そうそう」
頷くクルトに、イユは打診してみた。
「昼間の料理の肩代わりだけでも大きいのだけれど」
元々の自分の提案である。
「うーん、一応、機関室を三人で回しているからその仕事もあるんだよね。手伝いたいところだけどさ、ちょっと場所が離れられないから、厳しいかな」
ライムとレッサがいても人数不足であるのは、航海室と同じだ。それに、申し訳なさそうに断るクルトの目には隈ができている。クルトは隙間時間にモノづくりをしているのであって、仕事がないわけではないのだ。これは確かに人選が悪かった。
「分かったわ。他の手を考えてみる」
「正直、手が空いている人なんていないと思うよ。船長はともかく、治りたてで見張りは荷が重いってことでミスタとレンドはセットになったらしいし」
そうなると一人当たりの見張りの時間が増えるわけだ。
「確かにそうね」
レッサにライム、ラダ、シェルの四人は当然部屋から離れられない。こうなってくると、頼める相手がいない。
「アグノスは?」
思いついた残りのメンバーが他になかった。
「本気で言ってる? 一応ミスタと常に一緒に行動しているはずだけど」
クルトに不信そうな声を出されてしまうが、イユとしても単なる思いつきだ。
「バスケットにご飯を作っておいて、運ばせるぐらいはできないかしら?」
クルトは、「そんな無茶な」と声を上げている。
しかし、イユたちはアグノスがバスケットを運ぶ姿を見ているのである。言いながら、あながちできなくはない手段のように思えてきた。食事自体は作り置きをしておいて、時間がきたらアグノスに配達してもらうのだ。持ち場を離れられない面々には有り難い。或いは夜のうちに全員の1日分の食事を配る手伝いをしてもらうのも手だ。イユたちだけでは持てる量に限りがあるので、一体増えるだけでも助かる。
「物は試しです。聞いてみましょう」
リュイスの発言にイユは頷いた。
アグノスはミスタとレンドとともに、甲板の入り口の扉にいた。ミスタは怪我をしたと聞いていたが、見た限り顔色も悪くなく、元気そうだ。
「そういうわけなんだけど」
ひとまず、ミスタとレンドの二人に説明をすることになったイユは、二人の反応を窺う。
「いや、飛竜には出来ないだろ」
レンドは、クルトと似たような反応だ。
「アグノス、どうだ」
ミスタは当人に聞くことにしたようだ。聞かれたアグノスは元気よく鳴いた。どうも自信がある様子である。
「本人はできると言っている。任せてみてもよいだろう」
ミスタの発言に、レンドは呆れ切った顔をした。
「マジかよ……」
と小声で呟いている。
レンドの気持ちは分からなくもない。生意気な飛竜が、自信満々に食事を配達できると息巻いてきても、説得力はないというものだ。
イユは提案した本人ながらも、急に不安が込み上げてきた。
ちらりとアグノスを盗み見る。他の船員たちが痩せていくのとは異なり、むしろ最近腹が出てきた気がする。補給地点の島に着く度、鳥を丸呑みしているからだろう。バスケットを運ぶことはできても、目の前の食べ物を我慢できるかどうかは別問題だ。
「分かってる? 途中で食べでもしたら、すぐばれるわよ」
イユの警告に、アグノスは不満そうに鳴いた。まるで、「誰が人の食べ物をとるか」と言いたげである。
実際問題、アグノスはちゃんと全員に食事を配ることができた。イユたちが定点計測を終わらせてから朝ご飯と昼ご飯を作り置きし、バスケットに入れておく。そうすると、イユたちが休んでいる間にアグノスが食事を配りに回るのだ。盗み食いもなければ、配り忘れもない様子である。
意外にも完璧な仕事振りに、さすがのイユも認めざるをえない。アグノスは、やることはやる飛竜のようである。それどころか、朝と昼だけでなく、イユたちの起きている夜にも食堂にやってくる。
「夕ご飯は起きてから作って配ればよいわけで、そこは私たちで動いてもいいのだけれど……」
仕事と認識したアグノスはバスケットを貰うために既に待機している。やる気は十分のようなので、ここで断るほうが気が引けた。
「折角配る時間が空くのです。僕たちは、シェルが描いた地図を当てはめる作業をしましょう」
リュイスに言われて、頷く。ここ数日間でだいぶ製図が進んでいる。確かに、そちらはアグノスに任せられないうえ、急務だ。




