その551 『魚釣り』
それから一日が経過した頃には、ようやく描いていた地図が点から線になっていた。全体でいけば、ごくわずかなその地図も、パズルのピースのように部分が嵌れば見比べることができなくもない。
「とはいっても、難しすぎね」
夕ご飯を口にしながら、部分的に描いた地図にぴったりと合う場所を探す。夕ご飯の時間が、シェルとリュイス、イユにワイズの四人が集まる時間になっていた。それ以外はシフトの都合上中々揃わないのだ。
「多分ここまでは間違えてないはず、なんだけど……」
自信のなさそうなシェルに、
「平気よ。少しぐらいずれても問題はないわ」
と返しながらも、イユは唸る。さすがにたった数日間、ましてや大した島もない空での情報では位置を合わせようもない。むしろ何処とも合ってしまう。
「ちょっといいか?」
悩むイユたちの前にやってきたのは、ミスタだった。
「ラダからだ。前方に水が補給できそうな島が見えてきたらしい」
この位置だと言って、地図に印をつける。
「定期測定の時間帯だが、補給で立ち寄る」
「分かったわ」
水がなければ生きていけない。測定は後回しだろう。
「こんなことをしている間に、嘆きの口を出てしまいそうですね」
「……それはそれで、結果オーライだわ」
嬉しくないワイズの言葉を、無理やり呑み込んだ。出たら出たで、明鏡園まで自動操縦ができるようになれば御の字だ。
「それに……」
イユの視線は、ミスタに移る。
「どうした?」
「何でもないわ」
食事を配っているから分かる。全員、少しずつ顔に疲れが見えてきていた。不規則な生活に、いつ扉を破られるともしれない危機感、休みを満足に取ることのできない日々。食事も限られたもので用意しており、水も満足には使えない。全員で顔を合わせて会話をすることもないうえに、何より終わりが見えない。こうした状況では、疲れてくるのも必然だ。
「補給地点についたら、私たちも手伝うわ」
ミスタは当然だというように頷いた。
「レンドは至るところと言っていたけれど……」
補給できそうな島に着陸したイユたちは、恐る恐る扉を開けた。星が瞬いている夜だけあって、人食い飛竜が襲ってくる気配はない。島から他の魔物が飛び出してきやしないかと思ったが、それも大丈夫そうだ。ほっと息をつきながらも、甲板から島の様子を見やる。
「数日でようやく見つかる程度だったね」
そう返しながらも隣にやってきたのは、クルトだ。イユたちの様子を見て問題ないと判断したらしい。
「いざとなったらすぐに逃げなさいよ」
「分かってるって」
イユの忠告に、大人しく頷く。若干いつもよりハイになっている気がするのは睡眠不足が続いているせいだろう。気を引き締めてもらいたいものだ。
ぼろぼろになった手すりから身を乗り出すと、すぐ下に水面が見えた。それも一つではない。水溜まりと呼ぶにふさわしい小さな水面だが、見渡す限り続いている。その水はどれも澄んでいて、そのうちの一つに、小鳥が近寄っていた。水を飲んでいるところのようだ。
「鳥がいるわね」
魔物の類には見えない。大人しそうな鶯色の鳥である。小さいせいで食べるところが少なそうなのが難点だ。
「そういえばレンドは食べ物も調達できると言っていたけれど……」
レンドは休息中である。この場にいるのはミスタとクルト、リュイスにイユの四人だ。
そのとき赤い影がさっとイユの横を通り過ぎた。瞬く間に水を飲んでいた小鳥へと飛んでいく。
驚いた小鳥が逃げ出そうとしたが、既に遅かった。そのときには飛竜の屈強な爪に捉えられている。
「アグノスもいたわね」
上機嫌そうに飛ぶアグノスは既に口に小鳥を咥えている。自分の食糧にする気だろう。譲ってはくれないようだ。
「ケチ」
イユの独り言を聞きつけたのか、アグノスがぐわっと口を開く。その瞬間、小鳥が口から零れた。床に落ちたそれを大慌てでアグノスが拾う。この飛竜、意外と抜けているところがあるようだ。
「仕方ないとはいえ、小鳥が可哀想ですね」
「えっ、今、そういう感想をいうところ?」
リュイスの感想に、イユとアグノスが信じられないという顔をした。
「はいはい、妙なところで意気投合してないでまずは水汲みに行くよ。一応検査したいからさ、誰かついてきて」
クルトが呆れたように言いながら、船から降りるべく、壊された手すりを跨いで乗り出そうとする。そこで足を止めた。
「うん、意外と高いね」
飛行船は僅かに滞空した状態で浮いているのだ。ましてやこの船は二階建て、地下付きである。落ちたら無傷とはいかないだろう。
「どう降りるのよ」
「本当は、渡し板を自動で出せるはずなんだけど、軒並み壊されてるからね。とりあえず梯子しかないかなぁ」
さすがに準備のいいクルトのことだった。梯子はちゃんともってきている。ただ、水汲みをするにも一々梯子を使うとなると面倒が増えた。渡し板であれば歩けばよかったが、梯子だと両手が塞がる。水を入れる瓶を一々持ち上げたり下ろしたりする作業が必要だ。
「しょうがない。ここはボクとミスタとで共同作業かな。アグノスも見張りお願い」
小鳥を食べきったアグノスは、満足そうに鳴いている。その口に鳥の羽根が挟まっているせいで、可愛らしさの欠片もない。
「食糧はイユとリュイスに任せよう。他にも獲物はいるはずだ」
「分かったわ」
あまり広い小島ではないので、生き物がそこまでいるとは思えなかったが、イユは大人しく頷く。やることが決まったら後は行動に移すのみであった。
一行は梯子を下り、水溜まりの間を何度か通り抜ける。水溜まり以外の大地は、驚くほど白かった。それが魔物の骨なのか、たまたま偶然白い砂でできているだけなのか、分からない。余計なことは考えないようにし、突き進む。そこで、イユの視界は泉をとらえた。
「この泉は深いわね」
とても澄んでいる泉だ。覗き込むと、そこに魚影が見える。
「食べられる魚かしら?」
「まずは水を確認してみませんか」
一緒に歩いてきたミスタが水を掬う。
「はい、ミスタ。貸して」
クルトはミスタから水を受け取ると、その場で飲める水かどうかを調べ始めた。セーレにいたときは必ず持ち帰らないといけなかった水も、タラサの機械を使えばすぐに調べることができるらしい。タラサ様様である。
イユは目の前でメモリを睨むクルトを見てから、視線を魚影に移す。
「水は問題ないよ」
クルトの発言を聞いたミスタは、早速水を汲み始めた。ミスタの仕事はこの水を水瓶に入れて運ぶことだ。
「私たちは?」
魚影が見えるのだ。あの魚を食べたいところである。
「見た目より深いようです。釣りましょうか」
「いいね! ちょうど作った甲斐があったよ」
「はい。倉庫に釣り具が置いてあるのを確認したのです。先に作ったのですね」
「食べ物を手に入れられるようにするのは大事でしょ? レンドが水場と言っていたし、絶対いると思ったんだよ」
「良い判断です」
リュイスとクルトが意気投合している。
「……釣り?」
またしても、イユの知らない言葉が飛び出たなと思った。
急ぎ船内に戻ったクルトが持ってきたのは、糸と針がついているだけの細い棒だった。唖然としているイユの隣で、リュイスが水に向かって棒を振る。
「これが釣り?」
「そうそう、釣り竿って言うの。やり方はリュイスに聞いてね」
ミスタが一人水を運んでいるのを見て、クルトは大慌てで甲板に戻っていってしまった。
イユは手元に残された釣り竿を見る。それからリュイスのやり方を改めて思い返す。リュイスはこの針と糸の部分を水に投げ入れていたようだったが、それで魚を手に入れられるとは思いづらい。
「本当に、これを投げるだけで釣れるものなの?」
「はい。針の部分に餌をつけることで釣れるようになります」
魚を針で引っ掻けるのではなく、餌だと思わせることが大事らしい。確かに針の先端には、木彫りの小さな魚がある。だが、こんなものを果たして魚が間違えて口にするかは不明だ。
「疑似餌は用意しましたけれど、何を食べるか分からないのでこればかりは運です」
リュイスも自信がなさそうであった。そのうえ、投げただけでは終わらず、糸を垂らしてひたすら待つのだという。そんな悠長なと思うわけだが、リュイス曰く、水瓶を運ぶのにも時間が掛かるということだ。だからその間、待てばよいと。
「……私だけ鳥を捕まえてきたほうがいいんじゃない?」
とはいえ、周囲を見回したところ他に泉らしい場所はなかった。小鳥は探せばいるだろうが、イユたちが騒いでしまったため、軒並み姿を消している。大人しく息を殺して泉で待っているほうが、生き物が戻ってくる可能性も高いだろう。
「やっぱり、私も釣るわ」
大人しく釣り竿を貸してもらい、泉へと投げる。やり方はリュイスに一通り聞く。要するに釣り竿を投げて、待って、魚がきたら引っ張るだけだろうと、理解した。
「ん、来ました」
イユが投げ入れた途端に、リュイスの竿がぴくっと揺れた。リュイスが竿を引っ張り上げると、ぴんと糸が張る。徐々に、水面から魚影が浮かぶ上がる。
そして、タイミングを見て、リュイスがひょいっと手を動かすと、それに合わせて竿がしなった。たったそれだけで、銀色に光る魚が釣り針に掛かっていた。
「まずは一匹ですね」
初めてからそれほど時間は経っていない。バケツに浮かぶ魚は、イユの顔ぐらいはあり中々に大物だ。
続けてリュイスが泉へ糸を垂らし、殆ど待たぬ間に再び竿を引っ張り始める。続けてかかった獲物も中々に大物で、イユの腕ほどの大きさはあった。
「こいつらって食べられるのよね?」
少なくとも飲める水に住んでいることだけは保証されている。
「最後に一応、レンドに確認してもらいましょう。ここで食べ物が取れるといっていたので、ひょっとすると詳しいかもしれません」
博識のリュイスも魚の種類には明るくないらしい。イユは大人しく頷いた。人食い飛竜が毒なのは魔物だからで、きっとこれらの魚は食べられるはずだと願っておく。
そのとき、イユの手元で動きがあった。
「あ、イユの竿も動きましたよ」
リュイスに言われるまでもなく、イユは引っ張られそうになる竿を掴む。要は魚との力比べのようなものだろう。そう思ったイユは一気に引き上げようとした。
ところが、途中まで確かに重かったはずの竿が、急に軽くなる。
「あっ」
答えは明白だった。糸の先が切れている。魚は疑似餌とともに泉の中だ。
「初めてですし、仕方ないですよ」
そう言いながらも、リュイスはまたしても新たな獲物を釣り上げている。
「……納得いかないわ」
仕方なくイユはクルトのところに戻る。疑似餌を取り付けてもらわないといけないからだ。
再びリュイスのいるところまで戻った頃には、リュイスのバケツの中はいっぱいになっていた。
「僕は一旦厨房に置いてきますね」
そう言いながら、リュイスはバケツを抱えて歩き始める。重いのか、よろついている。水を汲みにきたミスタとちょうどすれ違い、会釈をしながらも船内に戻っていった。
「リュイスは相変わらず凄腕だな」
糸を垂らしたイユの隣で、ミスタが水を汲み始める。そんな中での感想だった。
「相変わらず何やらせても完璧よね」
誰かと違い、可愛げがないというものだ。イユは苛々しながら、竿を振る。
「釣りはそのやり方ではうまくいかない」
イユの手の動きがミスタの目に留まったのだろう。
「貸してみろ」
と言われる。大人しく竿を差し出すと、ミスタに見本を見せられた。
「投げ方はこうだ」
投げ方一つ取っても、大きく違うらしい。
「リュイスとはだいぶ違うのね」
「リュイスの場合は、投げ方がおかしかろうと魚からやってくる」
リュイスが規格外過ぎて見本にならないことはよく伝わった。
ミスタの指導は、続いている。
「持ち手は両手で握るなら、もう片方の手は釣竿の後ろを握る形が良い」
やってみろと言われて、竿を持つ。おかしな持ち方をしていたらしく、手の向きを直された。
ミスタから何箇所か指導を受けながら、イユは考える。ミスタが饒舌なところをみると、どうも釣りというものも浪漫の一種らしいと。
「釣りの何が良いの?」
尋ねてみると、ミスタははっきりと答えた。
「出会いがあり、駆け引きがある」
ただ水に糸を垂らすだけのことだと思ったのだが、ミスタには違うものに見えるらしい。
「魚もまた生きている。互いに生きるために、命を取り合う。そうして釣り上げた魚は――――」
イユはごくりと唾を呑み込んだ。大袈裟な言い方だと思う一方で、ミスタの語りの続きがすっかり気になっている。
「魚は?」
催促したイユにもたらされた言葉は、とても意外なものだった。
「美しい」
美しさを魚に感じたことはこれまでなかった。釣り竿を改めて握り直す。
気のせいか、泉がきらきらと光ってみえた。




