その550 『果ての星』
リュイスが起きてから相談した結果として、イユの案――、夜のみ定期測定をすることが大方採用された。というのも、夕方になった途端、人食い飛竜の襲撃がぴったりと止んだのである。
大急ぎで計画を立て直したイユたちは、早速甲板に出て計測作業を開始する。
「ワイズがあんなに夜間の計測作業をしたいと言い出すなんて思わなかったわ」
ワイズは食事の準備などを考慮して自身も夜に一部出ると言い張ったので、三人体制は変わらないままだった。
尤も今はイユとリュイスの二人での行動時間だ。リュイスが測定器を扱う様子を確認しながら、周囲を警戒する。
「解読作業もですが、積極的ですよね。良いことだと思います」
「まあね」
前向きであることは悪いことではないのだが、ここまで巻き込んでしまって良いのだろうかと思うことはある。口が悪いが、ワイズはシェルと同じぐらいの少年だ。ブライトを姉にもっていなければ、今頃マゾンダでのんびり官吏の業務に励んでいたに違いない。
「……それはよいとして、手すりまで壊されているわね」
話していても答えが出ない気がして、話を変えた。ワイズの話は当人がついていくと言っていたのだ。イユがこれ以上口を挟むことではない。
それよりも、魔物の被害だ。人食い飛竜はお淑やかな魔物ではない。幸い、壁や床は飛行船の材質が頑丈なもののようでびくともしていないが、カメラや手すりと言った部分は脆いらしく、壊されてしまっている。これはクルトが後で惨状を見て嘆きそうだ。
「この手すり、特別な材質のものよね? 材料は足りるのかしら」
「桜花園でどこまで調達できるかですが……、難しければ他の素材で代用ですね」
リュイスは答えながらも計測器を動かし続けている。
「人食い飛竜も扉が開かないのだから、早くに飽きてくれればいいのに」
よもや一日中攻撃されるとは思わなかった。扉の耐久性を試されていたのだろうか。破られずにすんだことを喜ぶばかりである。
「襲撃に緩急があったので、別の人食い飛竜の群れに当たっているということかもしれません」
リュイスの予想では、こうだ。人食い飛竜は何組かで群れを作っていて、それぞれ縄張りがある。タラサでの航行中、人食い飛竜の縄張りに侵入してしまい、その結果襲撃に遭っている。昼間、ほぼひっきりなしに襲撃されているのは、それだけ群れの数が多いということだ。
「学習能力がある魔物ですから、新しい個体に遭っていると言う方が自然な気がしまして」
「それは確かにね」
イユも同意をする。人食い飛竜の知恵には、苦い思いをしたばかりである。それに全ての人食い飛竜の群れが襲ってきたら、幾ら土嚢があっても扉は物量に耐えられず破られたことだろう。或いは人食い飛竜の吐く炎に耐えられず扉が焼け落ちていたかもしれない。
ぞわりと寒気を感じて、腕をさする。嫌な想像をするべきではなかった。
「星、遠くに感じるわ」
リュイスの近くに腰を下ろしたイユは、空を見上げた。少しでも気を紛らわそうとしたのだ。
尤も、人食い飛竜が昼行性とわかったとしても、この空には何があるか分からない。だから決して、気を緩めたわけではない。
少しだけ、空を眺め気を紛らわす余裕が、出てきただけだ。
「青い星が多いのね」
どこで空を見ても、全て同じだと思っていた。だが、今イユが見ている空はイユの知っているどれとも違う。青くて小さな星が漆黒の世界に瞬いている。静かな空だった。
「イユは、あの一つだけ大きく瞬いている星が分かりますか?」
リュイスに指を指され、イユは目を細める。
そこには確かに一つ、大きく光る星があった。
「あの星は果ての星といって、いつでもどこにいても、決まった位置にあります」
唯一どこから眺めても変わらない星だと言う。
「僕らが星で方角を調べるとき、殆どはあの果ての星を目印にしています。計測器も同じで、果ての星と自船の位置を覚えさせているんです」
「便利な星なのね」
明るくて目立つ星だ。とはいえ、月に比べれば小さな光である。それなのに、教えられるとそこにあることがはっきりと分かった。
「ねぇ、リュイス。他にも教えてほしいの。星の位置も暦も、私には知らないことがたくさんあるから」
文字が読めるだけでは世界は変わらなかった。未知のものが世の中には溢れている。それを自覚したから、知りたいと思った。幸い、リュイスは詳しいのだ。これは良い機会と言える。
「そうですね。時間はありますから。ただ、口頭での説明になりますけれど」
「構わないわ」
昼間のワイズの様子を思い出す。恐らくは、未知のことがあるのはイユだけではない。ワイズが料理についてまだまだであるように、リュイスにも知らないことはあるだろう。イユに至っては人より少し知らないことが多いというだけである。
「逆に、リュイスが知りたいことがあったら言って。私じゃ役に立たないかもだけれど、誰かに聞いて覚えてくるから」
イユの言葉の何が面白かったのか、リュイスの表情がふっと和らいだ。
「そう、ですね。僕の知りたいことですか……」
計測器の光に照らされた翠の瞳が、ここではないどこかを見つめている。記憶を辿っているようだった。
「カルタータを襲った『龍族』、ああなってしまった原因は知りたいと思っています」
そう呟いてから思い立ったように、
「あ、すみません。そういうことじゃないですよね。重い話をしてしまいました」
と、発言を取り消そうとする動きをみせる。
イユには、そのリュイスの態度が卑怯に映った。いつもはイユの表情を読んで、「何でもない」と断ってもぐいぐい意見を述べてくるお人好しが、自分のことになると急に逃げようとするのだ。それは不公平である。
「それでいいわ。よく分からないから、もう少し話を聞かせて」
イユの言葉に、後に引けないと気づいたのか、リュイスが「そうですね」と断念した様子を見せた。
一通り十二年前の話を聞いたイユは、背筋が寒くなった。
「その『龍族』のおかしな様子、暗示を掛けられているみたいに聞こえるけれど」
イユも掛けられていた魔術だ。ブライトを信じるという暗示だけで、記憶すら書き替えてしまえる。気が狂ったように人を殺すことも、同様に起こり得ないとは思えない。
「同じ魔術かはわかりませんが、背後に『魔術師』がいたのではないかとは思っています」
都を一夜にして滅ぼした『魔術師』がいる。それを聞いただけで、ぞっとした。
「ですが、その『魔術師』の狙いが分からないままなのです」
どうしてそんなことをしたのか分からない。リュイスが言いたいのはそこだろう。わざわざ多くの『龍族』を魔術で狂わせて都を襲わせた。そのような非道が、意味もなく行われるとは思えない。同時に、そこには、『魔術師』が魔術を掛ける負担や労力もあるはずだ。街を滅ぼすだけの価値が『魔術師』にないと、割に合わないはずなのだ。
「まさか、ただ本当に都を滅ぼしたかったわけじゃないとは思いたいわね」
嫌な意見だと思いつつも、イユは口にした。イユの知る限り、カルタータは『龍族』と人とが共存する唯一の都なのだ。『魔術師』に疎まれる可能性も零ではない。
「もし当時の僕らに余裕があれば『魔術師』側の動向を調べることもできたと思います。ですが、あれから十二年も経ってしまって……」
都が滅びたことで利を得た『魔術師』がいれば、注意深く見守ることで尻尾を掴むこともできたかもしれない。しかし当時のリュイスたちはそれどころではなかった。生きるのに必死の有様では、犯人に辿り着くこともままならない。
「分かったわ。私も話を聞いただけでは答えを出すことはできないけれど、少しでも何か分かったら伝えるから」
リュイスの知りたいことは、イユでは簡単に用意できない答えだ。そうであっても、力になりたいと思った。
『分からなかったんです。大事な唯一の家族が、命懸けで僕を逃がしてくれたのに、その優しさが踏みにじられて、何で今自分は殺されそうになっているんだろうって、思っていました』
ふと、以前のリュイスの独白が蘇った。
リュイスはいつもそうなのだ。十二年前の出来事から全てが始まっている。唐突に振り回されることになった都の壊滅と言う名の悲劇を前に、尽きぬ疑問がリュイスを絡めとっているかのようだった。
そこから自分の足で進めることができたから今のリュイスがあるのだろうが、それでも解決しないもやもやを抱えたままでいることもまた事実だ。
イユは再び空を見上げる。果ての星は場所さえ分かれば、いつでも見つけられる場所にある。しかし、リュイスの追う謎は、あんなふうに明るく光ってはいないのだ。




