その546 『ともに』
生きる楽しみ。そう言われたイユの頭には、意外にも何も浮かんでこなかった。
レパードと別れ、リュイスとともに、航海室に戻る。ラダに地図を貸してもらい、現在の地図と画面上に映っている地図を見比べる。そうした作業をしている間も、シェルのことが頭から離れない。
生きる楽しみとは何だろう。イユ自身、あまり意識をしたことがなかった。最も、娯楽のことではないだろう。シェルがカジノに行ったところで、楽しい気分にはならないに違いない。
レパードは、シェルに手紙を書くようにいったことがその一つだと言っていた。生きる目的を与えたことになると。
「生きる目的が楽しさに繋がるのかしら……」
「イユ?」
イユの独り言を耳聡く聞いたリュイスが、不思議そうな声を上げる。
「何でもないわ」
独り言を指摘されるのは、なんとなく恥ずかしい。答えたイユにしかし、リュイスは気になるのか尋ねてくる。
「ひょっとして、先ほどのレパードの言葉ですか?」
「何でもないって言ったでしょう」
そう言いつつも、話しかけてくるのがリュイスだ。
「少し違うかもしれませんが、達成感は楽しさに繋がると思います」
「達成感?」
「出来るようになったことがあると、わくわくしませんか?」
イユは自身を思い浮かべる。はじめて街に行った。はじめてお金について理解した。そうして、知識が広がり、知らない世界を旅してきた。そういったことは確かにわくわくという響きがあっているのかもしれない。
一方で、思うことがある。一人、知らない雪道を歩く孤独と不安。終わりのない世界で、雄大な自然を前に恐怖することしかできない自身の無力さ。同じ知らない世界であっても、抱く感情は別のものだ。
「誰かと一緒にいれば、確かにそうかもしれないわね」
言いながら、イユは地面に敷いた地図を見た。知らない場所ばかり載っている地図。だが、そのうちの少しは、イユもリュイスたちと旅をして知っている。
「思いついたんだけど……」
そこで一つ、提案した。
「シェル、起きてる?」
医務室に入ると、「うん」という小さな返事があった。近づいたイユは、シェルの手にペンが握られていることに気がつく。
「手紙、書いていたの?」
「まだ。……上手く文章がまとまらないや」
手紙は一つの生きる目的だと言ったが、シェルにとっては憂鬱な作業の一つだろうと、それを聞いて思った。書けないのではなく、まずシュレイアに何と伝えればよいのか思いつかないわけだ。
「シェルにお願いがあるの」
「何?」
イユはシェルの寝ているベッドに地図をばっと広げた。
「手伝って」
続けてリュイスもその奥で地図を広げる。
「へ?」
理解していないのか、シェルの反応が鈍い。
イユは自分の広げた地図を指さす。
「いい? この地図は、さっき航海室に映っていた映像をリュイスに写してもらったもの。とても古い時代の地図よ。手書きだからところどころ正確じゃないかもしれないけれど、そこは妥協して」
それからリュイスが広げた地図を指さす。
「こっちは、貰ってきた地図。今の時代のもの。ラダが言うには、模写された地図にあるこの地点と、嘆きの口のどこかが一致しているって」
「ええと?」
事情が呑み込めていないシェルに構わず、イユは続ける。
「地図がどういう風にずれているか分かれば、正しく目的地を設定できるようになるの。均一に一定方向にずれているだけなら問題ないんだけど、飛行石が長い時間を掛けてばらばらと不規則に動いているらしいから、本当にそれでよいかもわからなくて」
自分で説明しながら、ラダはなんて無謀なことをしているのだろうと思えてくる。どの飛行石もばらばらに動くのに、正しい位置など突き止めようがあるのだろうか。
「それって、答えあるの?」
同じ気持ちだったらしく、シェルがそう聞いた。
「あったら、助かるのよ。ラダ一人で操縦しないですむわ」
「はい。自動操縦ができるようになれば、ラダの負担をずっと減らせるんです」
意外と問題が大きいことに気づいたのか、シェルがじっと地図をみる。まずは作戦成功かもしれない。
「でも、ねぇちゃん。幾ら何でも、現在位置が分からないと……」
「カメラは壊れてるから見れないけれど、外に出て浮いている島や星の位置ぐらいは見てこられるわ」
イユの言葉に半ば絶句したように、シェルが言う。
「まさか、それも当ててほしいってこと?」
「勿論よ。残念だけど、レパードとレンドとミスタは見張りに出ているし、クルトは修理、ラダは操縦で、ライムとレッサは機関室に籠っているの。ワイズは翻訳の手伝いに忙しそうだし、この場で地図に手をつけられそうなのは私とリュイスとシェルだけなのよ」
無謀だ。とシェルが小声で呟いた。それでも、重傷者の自分が動かないといけない事態に、決心はついたらしい。
「うぅん、正直何からどう手をつけたらよいかわからないんだけど……、ちょっと考えてみるよ」
やった、とイユは心の中で手を合わせた。イユの提案とは、シェルにも作業を手伝わせるということである。それも、医務室で一人シェルが作業するというわけではない。
「そうして。私も一緒に考えるから」
出来れば誰かと一緒に悩み、一つの課題に取り組む。それがイユの出した答えだった。こうして、新しいことに皆と取り組むことで、生きることの楽しさが与えられるのではないかと思ったのである。
残念ながら、手紙だとシェル一人の問題になってしまう。だが、地図ならばセーレ全体の問題だ。事実、人手不足なのだから、シェルを頼ること自体もおかしいことではない。
最も、本当であれば、シェルには休む時間が必要である。可能であればリハビリをし始めることが、本来あるべき姿だろう。
しかし、医者の助言に従うつもりはなかった。無理をさせていると分かって、イユは作業を一緒にすることを頼んだ。幸い、地図の照合ならばこの場で眺めるだけでもできる。こうして一つ一つやれることを増やしていけば、シェルも居心地の悪さを感じないはずだ。
「まずは現在位置ですね。手を付けるとしたら……」
リュイスが段取りをつけ始める。そうして、照合作業が始まった。




