その536 『人食い飛竜の罠』
イユたちもすぐに歩き始める。何より、アグノスが先行している。イユであれば人食い飛竜の炎でも避けられるが、たかだか生まれて間もない飛竜にそれができるのだろうか。世話の焼けるペットである。
長い廊下を進んでいく。アグノスの姿は既になく、休憩室の扉が見えている。左右どちらの分岐を進んだのだろう。折れる前に確認しておけばよかったが、振り返ったときにはもういなかったのだ。
「やはり魔物の気配がありますね。数は、分かりかねますが」
リュイスの発言に、警戒心を強める。イユの耳も翼の音は微かに拾っている。それがアグノスのものか、人食い飛竜のものかは区別がつかなかった。
もうすぐでT字に辿り着く。そう思ったときだった。
飛竜の悲鳴が、廊下に轟いたのだ。
「ちょっと!」
言わんこっちゃない。
イユは大慌てで悲鳴の聞こえた右へと曲がる。そこに、いると思ったアグノスの姿はなかった。
「違います! 後ろです!」
リュイスの焦った声とアグノスと思われる警告の声に、振り返る。その合間も、イユの頭からは疑念が消えない。
後ろにいるはずはなかった。今の悲鳴は、間違いなく分岐を右に曲がった場所から聞こえたはずなのだ。
しかし振り返ったそこにあったのは、人食い飛竜の吐く炎だった。
「つっ!」
辛うじてだった。舐めるようにして飛んでいく炎が、リュイスの魔法で若干軌道を逸れた。そのおかげで、頬を舐める程度ですんだのだ。
身体が震えた。リュイスの魔法がなければ、顔面から炎を浴びていたに違いない。そうなったら、さすがのイユとて傷が癒えたかは分からない。
炎の向こう側でアグノスが人食い飛竜とやり合っているのが見える。その手前で炎を吐いた魔物は、リュイスと対峙している。この現状を見てまんまと魔物に嵌められたのだと気づいた。
アグノスのふりをして鳴かれたことで、イユは相手に隙を見せてしまったのだ。
だが、嵌められたことに動揺している暇も、苛立っている時間もない。同時に、警戒すべきことに気がついた。
イユの耳は、間違ってはいないのだ。右手から鳴き声が聞こえたのは紛れもない事実である。相手が仲間でなかったというだけだ。
瞬間的に屈んで正解だった。すぐ上を滑るように人食い飛竜が通り過ぎていく。炎だと先ほどのように軌道をずらされると気がついたからか、魔物自身が向かってきたのだ。そのおかげで、反応できた。
しかし、一体どこから。
浮かんだ疑問だが、答えを探す余裕はない。
イユは目の前の人食い飛竜へと飛び蹴りを喰らわす。何せ、相手はイユを追い越していったため、イユに背中を向けている形なのだ。折角の機会を逃すわけにはいかない。
だがその隙を狙うことまで計算されていたのか、横なぎに熱を感じて一歩下がることになった。視線を横にやった先で、もう一体の人食い飛竜を確認する。その人食い飛竜のいる先、船室に続く扉が僅かに開いていた。
思わずうめき声を上げたくなる。偶然開いていただけだろうと言いたくなった。しかし、船室の扉は前回一通り確認したときに閉めたのだ。そうなると可能性は一つしかない。
人食い飛竜は、扉を開けてしまえるのだ。
それがどれほど恐ろしいことか、想像して寒気がした。相手は、魔物だ。だから、イユはどこかで相手の知性を舐めていた。いままで扉は開けられないものだと思っていた。何故なら、二階で魔物とやり合っている間、魔物は扉を開けていなかったからである。だがそれは偶然だったのか、或いは一階の扉の造りなら開けられるのか、詳しいところは分からない。
しかし、事実として、他の部屋は一々確認せず、休憩室まで駆け込んでしまった。
もしどこかの船室に人食い飛竜が潜んでいたとしたら、イユたちは魔物に挟み撃ちされる形になる。まんまと、部屋の奥へと誘い込まれた形だ。
それどころか、二階の扉でも開けられるとすれば、魔物が二階の部屋のどこかに息を潜めて潜伏している恐れもあった。そうなると以前シェルとレッサの身は危ないままだ。
人食い飛竜が再び炎を吐く。それを確認したイユは魔物に向かって飛んだ。
考えている時間は満足に与えられない。まずは気持ちを切り替え、目の前の飛竜に集中することにしたのだ。
炎を僅かに横に避け、逃げようとした魔物の姿を捉える。ちょうど壁ぎりぎりのところに後退した魔物を見て、イユは扉を開け放つ方向に開ききった。扉に挟まれる形になった人食い飛竜の、蛙の潰れるような声が聞こえる。
「扉を応用することにかけては、まだ人間のほうが上ね!」
言い捨てて再度扉を開くと、人食い飛竜の首へと蹴りつけた。
「扉はそういう使い方をするものではないと思うのですが……」
意外なところから反論が来て、振り返る。リュイスが剣を鞘にしまうところだった。残りの魔物はリュイスとアグノスで倒したらしく、アグノスが鼻高々になっている。
「だから応用でしょう?」
「いえ、その誤った使い方では壊れるだけです」
壊れると言われて扉を確認すれば、確かに閉まりが悪くなっていた。
「まぁ、それはいいとして人食い飛竜は」
話をすり替えるイユに、アグノスが疑った視線を向けてくる。居心地が悪いが、扉どころではないのも事実だ。
「えぇ、これだけじゃないですね。まだ気配が……」
リュイスが告げた途端、船室の扉が一斉に開いた。まるで合図でもあったかのようだ。イユの背後に続いている廊下、リュイスの背後に続いている廊下ともに、魔物が流れ込んでくる。
更に先ほどまでイユたちがいた下り階段のほうからも人食い飛竜が駆け込んできた。悪い想像はいつも当たるものだ。やはり、人食い飛竜たちはイユたちを挟み撃ちしてきたのである。




