その535 『扉を抑えて』
そのとき、イユの決意を引き留めたのは、廊下を走る足音だった。
「イユ。無事か!」
同時に聞こえてきた声に、肩の力が抜けた。いつの間にか、仲間がいることが頭の中から抜け落ちていたと気づかされる。
間もなく、レパードとミスタが廊下を走ってやってきた。ミスタの手には鉄板が抱えられている。クルトがちょくちょく備品の購入を依頼していたから、その中にあったのだろう。
「数が多いわ! 既に何体も入られている!」
炎で牽制されながらも、イユは現状を伝える。それにレパードが頷いて答えた。
「分かっている。魔法をぶつけるから、一旦距離を取れ!」
イユよりアグノスの動きのほうが早かった。アグノスがさっと身を引いたのを捉えたイユも、慌てて距離を取る。
そこに、紫電が飛び散った。爆音と閃光に、目と耳が馬鹿になる。全てが終わったときには、焦げた匂いとともに硝煙が漂っている。
言うまでもなく、レパードの魔法だ。魔物の知性も、魔法の前には無力だった。あまりにも何も残らなすぎて、イユですら一瞬呆然としてしまった。
「今だ、ミスタ!」
声を掛けられたミスタが鉄板を扉の前にばんとはめ込む。扉の枠よりも大きい鉄板だ。外から洩れていた光が一気に隠された。
「どいて。私が支えたほうがいいと思うわ」
イユがミスタと交代した途端、腕に衝撃が走った。ミスタが持ってきた鉄板に、凹みができる。一つ、二つ。魔物がぶつかってきているのだ。炎を吐かれるのも時間の問題だろう。鉄板如きでは、大して時間稼ぎができないかもしれない。
「鉄板はもうないの?」
尋ねるが、そう何枚も都合よく、鉄板が転がっているとも思いにくい。限界を感じて、イユは冷や汗をかいた。
鉄板がどんどん凹んでいく。このままでは、人食い飛竜が入り込んでしまう。
イユは、鉄板を抑えながら、記憶を引っ張り出す。鉄板がないならば、鉄板に代わるものを探せばよい。だが、それも早々簡単には見つからないだろう。
早くも、腕が痺れていた。それどころか、手に熱を感じ始める。炎を吐かれているのだと知って、イユに焦りが生まれた。焦った思考は中々まとまらない。それでも思いつけたのは、シェルのことがあったからだろう。
「医務室のベッド! 持ってこられる?」
イユが提案するより前に、医務室の扉が開いた。ミスタがいち早く気づき、レパードとともに運び出してきたのだ。
「悪いが、ベッドは持ってこられる重さじゃない。長椅子で我慢してくれ」
劣化した長椅子に果たしてどれほど持ちこたえられるかは謎だったが、直接鉄板を抑えつけているよりずっといい。皮膚に感じている熱はなるべく無視はしているが、火傷になりかけていた。
すぐに長椅子越しに鉄板を抑えつける。だが、できればもっと重たいものを持っていきたいところだ。
「手は大丈夫か? もう暫く辛抱してくれ」
「分かっているわ。ここは私一人で十分だから、早くして」
レパードに言われて、イユはむしろ二人を急かす。それを受けて二人は今度は食堂へと駆け込む。アグノスは一階からやってくるかもしれない魔物を警戒している。
長椅子越しにどんどんと衝撃が走る。それを感じながらも、イユも引き続き重りになりそうなものを考える。タラサもセーレと同じ飛行船なので、大抵の家具は括りつけられている。今イユが抑えている長椅子も同様に括り付けられていたようだが、留め金が劣化していたおかげでもってこられたようだ。同じ状況の家具が他にもあれば運んでこられるかもしれない。
「これは、いかがですか」
リュイスと合流したらしい。ミスタがリュイスとともに食堂の扉から出てくる。持ってきたのは土嚢だ。恐らく、植物を育てるときのために、幾つか厨房に土嚢を残しておいたのだろう。確かに数があれば重くなることは間違いない。一々留め金を外す手間もないので、好都合だ。
光明を感じたイユは、「ナイスね、リュイス」とリュイスを労う。
ミスタとリュイス、レパードで次から次へと土嚢を積み重ねていく。初めは足場だけで頼りなかった土嚢も数が増えれば話は別だ。やがて、扉を覆うほどの高さになると、がんがん揺らされていた鉄板がようやく大人しくなった。
イユはふぅっと息をつく。よもや、頑張って撤去した土を、今度は入り口を塞ぐのに使うことになるとは思わなかった。
「これで、どうにかなりそうだな」
レパードもほっと息をつく。
「そうですね。食堂は問題ありませんでした」
飛竜は扉を開けなかったのだろう。リュイスの報告に、更に安堵した。だが、まだこれで解決ではない。
「一階に逃げた魔物がいるわ」
イユの報告に、レパードたちの顔が引きつった。
「あいつら、飛行機関の場所も目星がついているのか?」
レパードの言葉に、イユもまた、事の重大さに気がつく。そこまで気が回っていなかったが、飛行機関が狙われたとしたら、折角動かした飛行船が墜落してしまう。イユたちは何も人食い飛竜と心中するために飛行船を動かしたわけではないのだ。
「人食い飛竜は知恵のある魔物です。ないとは言えないですね」
一緒に落ちることになるのだから、そんな手段はとってほしくはないのだが、人食い飛竜にはイユたちと違い、翼がある。可能性でいえば、あり得なくはない。シェパングで常識として覚えろと言われるぐらいだ。嘆きの口の人食い飛竜は、本当に厄介な魔物であった。
「急ごう」
ミスタの言葉に、イユたちは頷いた。
すぐに一階へと続く道を進む。扉を閉めておけばよかったと今更ながらの後悔をするが、まさか急に嘆きの口に飛ばされるなど誰も想像できなかっただろうと思い直した。
「気を付けてください!」
階段を下りようとした途端に、熱を感じて下がる。人食い飛竜だった。下りてくるイユたちを待ち伏せしていたのだ。
「こいつ……!」
腹の立ったイユは、目の前で火を吐く人食い飛竜に向かって飛び出そうとした。それより一足早く、レパードの魔法が人食い飛竜を貫く。
すぐに、先ほどまで人食い飛竜がいたところを炎が通り過ぎる。仲間を庇おうとしてだろうか、イユが飛び出していったら丸焦げだっただろう。
火を吐いた人食い飛竜は、敵わないと感じたのか踵を返して逃げようとしたが、レパードの銃に撃たれて崩れ落ちる。
イユたちは再び階段を下りる。今後も奇襲があることを考えると、生きた心地はしなかった。一階へ逃げ込んだのは何体いるだろうか。また飛び出してくるのではないかと、周囲を再三見回す。
「手分けして確認したほうがいいな」
レパードの言葉に、一同は頷いた。
「ミスタは俺と地下を。イユとリュイスは二人で一階を探ってくれ」
アグノスが吠える。自分はどうすればよいか、聞いているようだった。
「アグノスは、イユたちとともに行ってくれ」
ミスタの発言に、鼻を鳴らす。「こいつらと行くのか」と言われている気がして、イユとしても良い気分ではない。
「嫌ならついてこなくていいわよ」
そう言ったのだが、アグノスは翼をはためかせると廊下を進んでいった。
「どちらかというと、僕らが嫌ならついてこなくていいと言われているみたいですね」
「むかつくわ」
むっとしながらも、歩き出す。アグノス一体には任せられない。
「お前ら仲良くな」
レパードがそんな様子を見て、呆れた顔をしながらも廊下の分岐を進んでいった。




