その529 『魔物の群れに』
「坊や、起きている?」
声を掛けたのは、朝日が昇り、星降る地を出てから数時間が経った頃である。
「シサ」
返事がないので名前で呼ぶと、ようやくもぞもぞと動く気配がした。
「交代の時間ですか?」
気づいていないのか、気づいていないふりをしているのか判断に悩むところだ。
「魔物よ。念のため、合図は出せるように。でも、私の指示があるまでは絶対撃っては駄目よ」
背後に、魔物の気配がある。雲に紛れて隠れているつもりのようだが、それが一体ではなく群れであることまで察せられる。よくあることではあった。小型飛行船は魔物の群れに狙われやすいのだ。彼らも学習していて、大きな船ほど墜としにくいことを知っている。
「はい」
どこか緊張した声が返る。
「振り落とされたくなかったら、しっかり捕まっていてね」
返事はない。がさこそと荷物を探る音が止まったのを肯定と受け止めて、舵を強く握った。
上空から影が落ちる。それは、人間一人を簡単に覆えてしまうほどの巨鳥の形をしている。けたたましい鳴き声が聞こえ、風を切る音がした。
「行くわよ!」
飛行機関の出力を一気に上げる。鳥が追いかけてくる気配を感じながら、空を駆け抜ける。振り返ったシサが銃を発砲する音がする。だが、動きながら魔物に照準を合わせるのは至難の業だ。殆ど当たらないといってよいだろう。
「魔物との距離は!」
実際に目で追いかけているシサに尋ねる。
「200グラド!」
シサが怒鳴り返す。あまり話すと舌を噛むからか、敬語も取っ払った必要最低限の返答になっている。
ラヴェンナは距離を聞いて、方針を変えた。この速度で走り続けると、機体が持たない。そうなるとやることは一つだ。
「50グラドになったら言って!」
声を張り、シサに伝える。その隙に周囲の雲や太陽の位置を再度頭に入れる。これからやろうとしているのは、古典的だが有効な手だ。唯一の懸念材料は、果たしてこの魔物に通じるかどうかである。
「50グラド!」
シサの声と同時に、ラヴェンナは思いっきり高度を上げた。魔物もまた、小型飛行船を追いかけてくる。
「今よ、撃って!」
しかし、魔物は動きを止めるはずだ。何故なら飛行船を追いかけた先にあるのは、太陽光だからである。目の良い魔物ほど、眩しさで目がくらむはずだった。
発砲音が響く。魔物の断末魔の声が聞こえる。
シサの腕は悪くない。幾ら的が止まっていても、この機会を逃さず撃てる人間は少ない。
だが、魔物は一体ではない。彼らは群れで行動している。
「あと何体?」
「六体です!」
話す余裕が出たとみえ、敬語に戻っていた。
一方、ラヴェンナには焦燥しかない。大型の鳥にしては、群れの数が多いのだ。
そうなると、太陽光を味方につけるだけでは、到底片がつかない。仲間が一体落ちたぐらいでは、魔物は動じない。せめて、ラヴェンナが後部座席にいればよかった。光の魔法石を使えば、幾らでも魔物の視界を遮ることができるからだ。シサにいきなり魔弾を撃たせても扱い切れないことが分かっているだけに、惜しまれる。
「無茶させるわよ」
飛行船の持ち主であるシサに断りを入れてから、ラヴェンナはそのまま高度を上げ続けた。目が慣れてきた魔物が再び小型飛行船を追う気配を感じる。飛行船に比べ小回りが利く分、魔物の動きは早い。すぐに追い付いてくる。
「二時の方角!」
何かが見えたのだろう。シサの警告に、ラヴェンナは飛行機関の動力を一気に弱めた。唐突に動力を失った飛行船は、ふわりと重力に引き寄せられる。
次の瞬間、意識を持っていかれそうになる勢いで、飛行船が落下を始めた。二時の方角から攻めてきた新手を避け、後方から追いかけてくる魔物のすぐ横を掻い潜る。すかさずシサの発砲音が響き、魔物が一体穿たれる。
魔物が振り返って追いかけようとするが、自由落下の速度には勝てない。これで魔物との距離が開くはずだ。
だが、同時に機体は海に向かって真っ逆さまだ。シサが、勢いに耐えられずに悲鳴を上げた。
「そこ!」
ラヴェンナの手は、舵をきる。飛行機関の動力を戻し、落下を止めると同時に、右へと進路を曲げる。そのままフルスロットルにし、薄い雲へと飛び込む。
「無茶苦茶ですよ!」
「発砲出来ているなら、余裕でしょう!」
シサの悲鳴に近い声に、怒鳴り返した。
後方で銃声が響くから、シサがまた撃っているのだろう。当たってはいないだろうが、牽制にはなる。気弱な少年にしては、大した腕前だ。
しかし、ここまで無茶をしてもまだ、魔物はしつこく追ってくる。
そろそろのはずだ。元々あと少しで交代しようと思っていたのだ。次のギルド船が見えさえすれば、助けを求めることができる。
だから、それまで持ちこたえ――――――、
「うわぁっ」
衝撃が機体を襲った。大きく右へと傾く。
「ちっ」
舌打ちしたラヴェンナは片手で腰の拳銃を引き抜く。傾いた原因、船の右手に飛び乗った魔物の眉間を撃ち抜いた。
「エスコートするなら、優しくしなさいっての!」
尤もエスコート先が魔物の腹の中であるならば、優しくされてもお断りだ。
片手で銃を撃った反動で、舵が大きく曲がる。薄い雲を突き抜け、青空へと飛び出た。右に旋回する機体のお陰で、魔物の姿がラヴェンナの目にもはっきりと飛び込んでくる。
「首長鳥!」
魔物の通名を叫ぶ。厄介な魔物だった。その名の通り、瞬く間に首を伸ばすと、長い嘴で獲物を喰らう。一度嘴に食われると、人間ならまず間違いなく食い千切られる。おまけに、頭が良いらしく、固い機体は狙わず、弱い人間から狙う。特に後部座席にいる人間を狙う傾向がある。操縦席から狙うと飛行船の制御が覚束なくなり、残りの獲物にありつきにくくなることを知っている。
魔物の群れが、飛行船に向かって飛びかかる。シサが発砲し、一体が落ちるが、この数では藪蛇だ。
すぐにラヴェンナは舵をいっぱいに引いた。機体が傾き、上空へと向かって飛んでいく。眩しさは覚悟の上だ。そのまま左に傾け、再度雲の中へと突っ込む。
ぶわっと白い膜へと飛び込んだ感触があった。頬に触れる湿った空気と真っ白な視界の中、舵を必死に制御する。魔物は雲にも慣れている。まだ追いかけてくる気配があった。
そうなると、次に打つ手はこれしかない。ラヴェンナは右に思いっきり舵を切る。雲を突き抜けると、今度は左へ。無理な舵捌きをしながら、雲の中と外を交互に移動する。雲により視界が狭まり、今度は日の光で視界が眩しくなる。人間のラヴェンナも嫌なのだ。目の良い首長鳥ならば余計に堪えるはずだ。それでもしつこく追ってくる魔物には、シサが拳銃で発砲する。
これでどれだけの距離を稼げたか。ラヴェンナは操縦しながらも頭の中で地図を描く。もうそろそろだ。ここからなら、目立つはずである。
「合図を!」
ラヴェンナの叫びに、シサは発砲をもって答えた。空へと弾が撃ち上がり、赤い閃光を持って合図が送られる。
『手が追えなくなったら合図をしろ』というのは、ギルドでの取り決めだ。だからこれで、ギルドが駆けつけてくるはずである。彼らがすぐに助けに来られる範囲だとも知っている。そして、何より合図の意味を知るのは、人間だけではない。
魔物たちがけたたましい鳴き声を上げて、その場に立ち止まる。首長鳥は頭が良い。それ故によく知っているのだ。このまま目の前の獲物に夢中になっていると、すぐに増援がやってくるだろうことに。
だが、増援が来る前に食べられると判断されてしまえば、そこで終わりだった。ラヴェンナがすぐにシサに合図を送るように言わなかったのは、それが大きい。襲われてすぐに合図を送るようでは、魔物は早く片をつけようとする。だが散々逃げ回り、ギルド船に近づいた今となれば、話は別なのだ。
魔物たちは、くるりと身を翻して去っていく。それを見て、ほっと胸をなでおろした。




