その527 『ギルド船にて』
「坊や、大丈夫?」
ラヴェンナは悩んだ末、気遣ってみせることにした。
スリでないなら、目的は別にあるはずだ。話をすれば、尻尾を出すかもしれない。
「あ、はい。本当にすみませんでした」
昔は、わざとぶつかってきて、痴漢まがいのことをされたこともあるが、この少年にそういう邪な心はないと思いたい。そもそも、大変不本意ながら、もうそういう年齢ではないはずだ。
「そう、なら今度からは気を付けるのよ」
にこりと笑いかけ、少年の横をすり抜ける形で歩き始める。狙いがあれば、ここで何かをしてくるはずだ。
「あ、あの!」
案の定だった。少年に引き留められ、ラヴェンナは振り返る。
「シェパングに行きたがっていると伺いました。ラヴェンナさんですよね?」
意外にも、直球で聞いてくる。話す切っ掛けが欲しかったというだけなのだろうか。
「えぇ。坊やは?」
「申し遅れました。僕は、シサです」
はにかんでみせると、不思議なほどの好少年だ。ところが、勿体ないことにすぐ自信の無さそうな表情に変わる。
ラヴェンナはその姿に、何故か昔のルインを重ねてしまった。ルインは目の前の少年ほど細身でもなければ髪も小綺麗ではないのだが、いつもどこか自信がなさそうだったからだ。心の中でルインを頭の隅に追いやる。
意を決したらしい少年、シサが紡ぐ言葉を待った。
「その、僕に雇われてもらえませんか?」
自信のなさげな所作に対し、内容は中々にとんでもなかった。
「ここが良いかしらね」
ラヴェンナは、ギルド船の一室、『清々しき朝亭』に入ると、紅茶を頼んだ。
「あなたは何にする?」
「えっと、同じものを」
シサは、遠慮がちに同じテーブルに座って、注文をする。あまりこういった喫茶店には馴染がないのか、おどおどしている。
尤も、ラヴェンナにとっては、この『清々しき朝亭』はお気に入りの休憩所だ。まず、雰囲気が良い。ギルドにありがちなざわざわとした喧噪がなく、とても落ち着いている。ギルド船の外側に面しているために、青空を展望できる窓には、品の良い白地のレースカーテンがあり、見ているだけで涼やかだ。廊下にあったものと同じギルドの紋章旗も、不思議なものでこの部屋に飾られていると御洒落に映る。点在する木のテーブルには、曇り硝子の筒に被さるキャンドルの火が優しく灯っており、影で花が表現されている細やかさだ。運ばれてきた冷たい水の入ったコップは、幾重にも捻りが入った独特のグラス。白地に乾燥した花が埋め込まれたメニュー表には、お洒落な筆記体が並んでいる。
「あの……」
早速話そうとするシサに、ラヴェンナは人差し指を立てて、左右に振った。
「気が早い男は嫌われるわよ? まずは注文したものがくるまで待ちましょう」
「は、はぁ……」
見たところ、ギルドは長くないのだろう。あまりギルド流の交渉に慣れているようには見えない。それでも、ラヴェンナの言うことを聞く気はあるらしく、大人しく口をつぐむ。
「お待たせしました」
給仕が運んできたのは、コーヒーとシフォンケーキだ。ふわふわな生地に濃厚な生クリームが相変わらず絶品の、ラヴェンナのお気に入りメニューである。朝食は小型飛行船でとったばかりだったが、それは言わないお約束だ。
まずはと口に運ぶラヴェンナを、シサも真似る。眉が顰められるその仕草から察するに、恐らく甘いものは好きではないのだろう。メニューぐらい好きなものを選べばよいのにと思うが、遠慮があったのかもしれない。見た目通り、周りに流されやすい控えめな性格なのだろうと解釈する。
「さて、お話といきましょうか。まぁ、私を雇うなんて、それなりに高くなることは覚悟してもらうけれど?」
悩んだ末、ラヴェンナは、はじめにしっかり牽制を入れておくことにした。押しに弱いなら、押したもの勝ちである。
「その……、覚悟はしています。けれど、ラヴェンナさんが、シェパングに行きたがっているとお伺いしまして」
『リストランテ・ヌーヴォ』だけでなく、別の店でも似たようなことはしている。それゆえ、ラヴェンナの噂が早くも広がっていたのだろう。相変わらず、ギルド内は情報が伝わるのが早い。
「えぇ、それで?」
話の先を促す。
「実は、僕もです」
少年は続けた。
「僕は、二人乗りの小型飛行船を持っています。勿論、近場しか乗れないものではなく、シェパングまで行けるだけの飛行船です」
一緒に乗ろうと誘われているのは分かった。
「但し、僕は道中の魔物を倒せるような腕を持っていません」
言い切るシサに
「それは違うでしょう」
と、ラヴェンナはすかさず否定を入れる。
「えっ……」
動揺の顔を浮かべるシサに、言い切った。
「あなたのその銃は、飾りなの?」
シサの腰には銃が収まっている。上着を羽織っているため、銃はぱっと見つからないが、観察していればすぐに分かる。ラヴェンナが持つものと似た形状の銃だ。
「試すなんて、人が悪いわね」
「い、いえ。そういう意味ではなくて、僕の腕は、ラヴェンナさんの腕には到底及ばないと言いますか」
見るからに動揺した顔で言われてしまっては、あまり責める気にもなれない。
「そういうことにしておいてあげるわ」
ラヴェンナは腕を組んで考えた。どちらにせよ、悪い話ではない。
「報酬は?」
利害は一致しているが、本人が護衛を希望しているならば、報酬をいただかねばならない。魔弾は無料で手に入るわけではないのだ。
「これぐらいなら、出せます」
机の上に書いた数字に、危うく目を剥くところだった。どうにか平静を装い、追加で催促してみる。
「この値なら、考えてあげる」
シサは小首を傾げた。
「ラヴェンナさんは、シェパングに行きたがっていますよね。それなのに報酬が更に必要なのですか」
押しに弱いとはいえ、限度があるらしい。
「私の戦い方は、何かとお金が必要なのよ」
そう言って、ラヴェンナは魔弾を取り出した。
「これが何か分かる?」
シサは、じっと眺めていたが、暫くすると答える。
「シェパングの技術でしょうか?」
ラヴェンナはその反応に、大方納得がいった。
「そうね。これは魔弾と言って、要するに魔法石と銃弾が合わさったものよ」
魔法石が高価であることは、誰もが知っている周知の事実だ。
「魔法石と……。それは確かに、お金が必要ですね」
シサは納得の表情を浮かべると、
「分かりました。では、その金額で大丈夫です」
と頷いてみせる。
あまりにも破格な条件での交渉に、ラヴェンナは逆に悪いような気がしてしまった。
「金額に関してはそれで交渉成立ね」
とはいえ、それを顔に出すような真似はしない。シサも、簡単にこれほどの額を提示できるのだから、問題ないのだろう。見たところ、服装も新しい。金に困る生活はしていないのだ。
「あとは幾つか確認しておきたいところがあるわね」
細かいところを詰め始まる。相手が素人である分、確認しておかないといけない部分はたくさんある。
一通り話を詰め終わった頃には、シフォンケーキを食べ終わり、コーヒーも残り僅かとなっていた。
ラヴェンナは、「これで決まりね」と手を合わせる。意外と他の面については信用できそうだったので、気分が良い。もっとも後の懸念事項は実際に見て判断するしかないから、そこは別である。
「食べ終わったら、早速あなたの船を見せてもらおうかしら」
「はい。あの……」
シサは何かを言いかけると口をつぐむ。
「よろしくお願いします」
シサは恐らく、ギルド慣れしていない。彼は聞こうとしたのだ。自身のことを何も聞かないのかと。
だが、ギルドは、その場限りの仲で終わることも多い。だからこそ、聞くことなど何もないのだが、その手の常識を知らない人間には不思議に映るものらしい。
とはいえ、それを口に出さない理性もあるようだ。
「えぇ、よろしく。坊や」
きっとこの少年もルインと同じ、偽名なのだろうと思いながら。




