その521 『夢中になる人々』
「あとは、見ての通りシェイレスタに比べるとずっと大きいから、地域によって温度が結構違うかな。まぁ、イクシウスほどじゃないけど」
ラビリが記憶を辿るように、シェパングの特徴を上げる。
シェイレスタは砂漠の大陸がほぼ全てを占める国だ。それに対して、イクシウスは雪の降る地域や霧の深い地域と環境が大きく違った。シェパングはどちらかというと後者寄りらしい。
「刹那が着ていた独特な装束があるのよね?」
イユは自分の服を鑑みて尋ねた。場合によっては衣服を変える必要があるかもしれない。
「うん。でも、そんなに着ている人はいないかな。服装は無理に変えなくていいと思う」
「独特といえば、あちらは病院を治癒院と呼んだり、学校を学び舎と言ったり、呼び方が異なる場合があります」
リュイスの補足に、ラビリが「確かに、それがあったね」と納得する。同じものに別の呼び方をつけるとは、妙な話だ。更には、それでイクシウスと差別化を図ったつもりというのが、イユのなかでは中々消化できない。
「克望については、どれぐらい知っておくべきなの?」
イユの知る克望は、円卓の朋の一人だということと、刹那を式神として扱っていたということぐらいだ。
「うーん、私も真面目な平和主義者ってことと、妹さんを亡くしてることぐらいしか知らないかな」
「妹?」
家族情報が出てくるとは思っていなかっただけに、少々意外だった。
「克望が円卓の朋になったときにね、彼の紹介記事がシェパングで発行されていたの。フェンドリック様、その手の新聞を集めててね。私は整理を手伝った関係で、偶然知っていたことなのだけど」
その記事に載っていたというのが、幼い妹の死だという。
「『悲劇の『魔術師』、爆誕! 妹の死を背負い、シェパングを善き道へ進める!』とか書いてあったかな」
「まるで人の死を楽しむみたいな書き方ね」
その文面に、妹を話のタネにしようとする筆者の意図を感じるのは気のせいだろうか。
「私もそう思ったから、覚えていたんだよ」
ラビリに同意され、イユは納得する。セーレには身内をなくした者が多い。だから、自分がこうして記事を書かれた場合の気持ちを想像できる。
「だからといって、克望に同情するつもりはないけれど」
「当たり前。自分の身内をなくしたからって、他人の家族を襲ってよいことにはならないよ」
イユの呟きに、ラビリは強く同意する。その目は鋭く、ここにいない『魔術師』を睨みつけた。
「絶対に、許されないことだから」
普段の明るいラビリとの如実な差に、彼女の怒りを垣間見た気がした。
しかし、それも一拍あるかないかという時間。
パンッと、小気味良い音とともに、両手を合わせたラビリは、そのまま伸びをしながら宣言した。
「さて、とりあえずシェパング講座はおしまい。お疲れさまでした!」
いつものラビリだ。こうした切り替えの早さは、妹のクルトよりもブライトを連想させられる。
「ちょっと時間が余ったね。どうする?」
振られたイユは、どうにか疑問を口にした。
「ライムたちは、終わったのかしら」
「行ってみましょうか。地図も返しにいきたいですし」
元々、航海室に置いてあったらしい。確かに、舵を握る人間が地図を持たなければ意味がない。
リュイスの答えに、皆が頷いた。
そうして、イユたちは航海室に向かったわけだが、航海室はたった半日で荒れに荒れていた。
「これは、酷いわ」
思わず呟いたイユに、ラダがちらりと視線をやる。
「やぁ、お疲れさま」
ラダの手元にある球体の機械が、くるくると動き続けている。
「ラダ、目を離しちゃ駄目。そこ、そこで止めて。ほら、ワイズ、翻訳して。これでプロテクトの抜け道を探れるかもだから」
ライムに注意されて、ラダはやれやれと肩を竦めていた。ワイズは鬱陶しいという顔をしながらも、翻訳に忙しそうだ。
「あ、姉さんたち。ちょうど良いところに」
クルトは、片手で手招きしながら、片手で何かを作っている。見たところ、小さなパズルのピースほどの機械を組み合わせているようだが、それが何かはよく分からない。
「地図、返して欲しくって」
クルトの要望を受け、リュイスはすぐに差し出した。
「うん、ありがと」
「地図がそれと関係するの」
早速広げ始めるクルトを見て、イユが問いかける。
「かもしれないってところ。まだ分かんないんだよね」
さすがのクルトも、古代遺物には手を焼かされているようだ。
「それはそうとして、もう一個頼まれて欲しくて」
「大好きな妹の頼みとあれば、幾つでも聞いてあげよう!」
クルトの言葉に胸を張るラビリを完全に無視して、クルトは続ける。
「医務室に置いてある小瓶に、厨房の水を入れてきてくれない? 飲める水かどうか確認をしようとしたんだけど、時間がなくてさ」
小瓶は先日買ってきたらしい。ラビリは知っているようで頷いていた。
「医務室のが大丈夫だったけど、だからって全て大丈夫とは限らないでしょ?」
最もな言い分である。
「やっぱりこういうとき、私の妹は頼りになるよね」
ラビリは誇らしそうにしているが、それを見てクルトは呆れ顔だ。
「ボクからしてみると、皆が考えなさすぎなんだよ。飛行船を動かす可能性があるなら水の安全を確認するのは当然でしょ。食べ物はともかく、飲み水がなきゃ生きていけないわけだし」
クルトは、ひらひらと手を振った。
「とにかく、そういうわけだからよろしく」
クルトの言い分は間違っていない。イユたちはすぐに、医務室にとんぼ返りした。
「ちょっと、レッサ! 何やっているのよ」
その後、厨房に向かったイユたちは、あまりの惨状に騒然となった。
折角、ラビリが綺麗にした厨房がありえないほど散らかっている。カビこそないものの、あちらこちらの部品が外され、メモと思われる紙の類いがばらまかれている。主に調理場の回りが、ぐちゃぐちゃだ。
ラビリが頭を抱えている。頑張った甲斐がないとはこのことだろう。
「うん? そんなに散らかしたつもりはなかったんだけど」
調理場でなにやら作業をしていたレッサが振り返る。その目の隈に声を失った。
「レッサ、まさかずっと作業をしていたのですか」
リュイスの言葉に、レッサは頷く。さも、当たり前のことだと言わんばかりの顔である。
「でも、まだ上手く仕組みを理解出来ていないんだ。どうもセーレと違って火を起こす仕組みから違っているみたいで。この辺りは専門外だから、面白いよ」
過去にはイユの異能にも反応していたレッサだ。イユからしてみたら、機械をさわっている時点でどれも同じなのだが、レッサにとっては未知の世界らしい。隈を作りながらも、目は死んでいない。
「こういう姿をジェシカが見たら、さすがに見切りをつけるかしら」
レッサは髪をぼさぼさにし、服を汚し、睡眠不足で青白い顔をしている。見事に格好良さからはかけ離れていた。ジェシカの好みは、恐らくはフェンドリックからきていることから、今のレッサの状態はジェシカの好みでないだろう。
「そういえば、レッサ宛ての食べ物とか渡されたなぁ。そうか、ジェシカ様の好みはレッサなんだ。食べ物は皆に分けちゃったけど、悪かったかなぁ」
イユの言葉に、はじめて知ったらしいラビリがしみじみと言う。悪かったかなぁと言いつつ、あまり悪気はなさそうな顔であった。
「正しくはフェンドリックよ」
「あぁ、それは見てれば分かるかも」
ジェシカはフェンドリックは正に『魔術師』らしい『魔術師』だから、きっと貴族らしい男が好きなのだろう。そして、着飾ったレッサも、それなりの品の良さはある。
だが、イユにとっては今のレッサが馴染みやすい。
「やっぱり機関部員は没頭癖があってこそだわ」
「その意見はどうかと思いますが」
イユの言葉にリュイスが突っ込む。そうした話を当人のレッサは聞いておらず、既に手元の研究に勤しんでいた。
「水を持ってきたわ」
航海室に戻るイユたちに、クルトは「早かったね」と空返事をする。どうにも、まだ目の前の作業に没頭しているらしい。ここにも機関部員がいたと思いながら、イユたちは部屋を片付け始める。このままでは足の踏み場もないからだ。
少しすると、レパードたちが帰って来た。残り僅かになった土嚢は、午後から再び運ぶのだと言う。借りてきた飛行ボードは、六台。レパードたちが土嚢を片付けている間に、イユたちで手分けすることになった。
「だが、とりあえずは昼食だ」
夢中になっている者たちには差し入れという形で弁当を渡す。それ以外の面々は食堂で集合だ。好きな弁当を選び、イユも席に着いた。
「ところで、ラビリ。少しいいか」
レパードがそう声を掛けたのは、皆が大方食べ終わった頃だ。何気なく席を立ち、ラビリの元へと近付いたうえでの発言である。
話を振られたラビリの手元にはイユと同じ花の蕾弁当があり、鶏の香草焼きが大事に取っておかれている。それに手をつけようと伸ばされた手は、慌てて引っ込められた。代わりに、レパードから手紙を受け取る。
「フェンドリックからだ」
「フェンドリック様から?」
驚いたラビリが、手渡された手紙を開ける。文章を目で追ったラビリは、途端に顔を曇らせた。
「何、どうしたのよ」
気にならないはずがない。ラビリの表情は、それほどまでに残念そうだった。
そして、実際に言いにくそうに告げたのだ。
「フェンドリック様から、至急戻ってこいって」
それは、唐突な別れの訪れであった。




