その52 『渡りに船?』
銃声は聞こえなくなったが、ブライトたちは変わらず梯子を登り続けている。ブライトは足が痛むせいか顔を歪めていた。リュイスはブライトのすぐ真下にいるため様子が分からない。だが、心配そうな顔をしていることは想像に容易い。リュイスのお人好しは魔術師にも発揮されるようだ。
「で、何があったのさ」
クルトに問われ、そこではじめて船員たちに取り囲まれていることに気がつく。イユを見る目は、警戒のそれだ。
船員たちにとっては、おいていくはずだったイユが大勢の兵士を連れて帰ってきたようなものだ。今の騒動のせいで、イユのかわりに他の仲間がイニシアに取り残された可能性さえある。
どうしたものかと悩んでいると、頬に風を感じた。一拍遅れて、レパードが甲板へと降り立つ。
「船長、ちょうどいいや。今度は何があったの」
「話せば長い」
クルトの質問に苦悶の表情を浮かべ答えるレパード。イユとしても同感だ。
「ただ、発端はこれだろうな」
レパードは自身の腕のなかにある本へと視線を落とす。
改めて、厄介な魔術が掛かっていたそれを、イユも一緒に確認する。千ページは軽く越えているようにみえる分厚い本だ。柿渋色の表紙に法陣が刻まれている。その法陣は、起動した後だからか赤黒く濁った色をしていた。
「その本、そんなに貴重なの」
ブライトがずっと抱えていた本だ。今までの様子から大事にしているのはよく伝わってきている。
レパードはページを捲る。古いのだろう、黄ばんだページは時折前後がくっついてしまっている。それらを破かないようにしながら、一枚ずつ慎重に捲っている。その顔は終始理解できないものを見つめる、しかめっ面だ。
「さぁな。俺にはなんて書いてあるか、さっぱりだ」
気になったのか、クルトも一緒になって覗き込む。
「うわっ、これ古代語じゃない? 姉さんが学んでいたやつ」
「読めるの?」
思わず聞くと、首を横に振られた。
「ボクじゃ無理だね。一文字だって読めやしないよ」
「読めたら、魔術師になれるって」
声に、はっとする。振り返ると、ブライトが梯子からひょこっと顔を出したところだった。
「お前みたいにか」
「そうそう」
二人のさらっとした会話で魔術師だと伝わり、周囲にいた船員たちが一斉に息を呑む。異能者のイユですらあの態度だったのだ。魔術師本人が来た以上、彼らにとって大問題なのは間違いない。
実際、紫の髪の派手な青年に至ってはナイフを引き抜こうとして、赤髪の男に止められていた。
一方で話題の魔術師といえば、足の怪我のためにまだスムーズに登れずにいた。手すりにつかまって、あたふたとしている姿が見受けられる。船員たちの様子については気にせず、自分のことに集中しているようだ。
見かねてか、レパードが近づいていく。
正直に言うと、レパードはそのままブライトを突き落とすこともできたはずだ。実際にそういう素振りを起こしても何らおかしくはなかった。
だが、結局は仕方なさそうにブライトの腕を引っ張り上げる。リュイスのことが頭を過りでもしたのかもしれない。
「おぉ、意外と親切」
言い草が癪だったのか、レパードはブライトの頭の上に、魔術書を乗せた。予期せぬ衝撃があったようで、
「ぐえ」
と蛙が潰れるような声が響く。
甲板に伸びたブライトを見て、イユは思わずナイスな仕打ちだと頷いた。
そこでレパードは何か思うところがあったのか、再び頭上から本を取ろうとした。
だが、そのときにはブライトの指が魔術書を捉えて離さない。
暫く、取り合いになった。最終的には腕力の差でレパードが奪い取る。
「執着心凄いな」
呆れたようにレパードが言えば、
「本だから」
と意味不明の返答がされる。
「返してくれないんだ」
恨めしそうに見上げるブライトの声が、鋭さを帯びているようにも見受けられた。
「危険な魔術師に渡せるわけないだろ」
何を知ったことをと言わんばかりにレパードは告げ、魔術書をクルトに手渡した。
「やばそうなブツだからな。倉庫にでも入れておいてくれ」
やはり重たいらしく、両手で受け取ったクルトがたたらを踏んでいる。
そうこうする間に、リュイスが飛び下りてきた。途中から飛ぶことに切り替えたようだ。ブライトが万が一にも梯子から落ちることを懸念して、真下にいただけかもしれない。
翼の残滓が消える前に、ブライトに向かって、
「怪我は大丈夫ですか」
と聞いている。
真っ先に魔術師の心配とは相変わらず恐れ入る。
イユはこめかみに手をあてて唸りたくなったが、そこで周囲の船員たちも似たような顔をしていることに気がついた。
「痛い、痛い。けれど、まずは追手を引き離さないと」
「言われなくても分かっている」
レパードが船員たちに動くように指示をする。
「こいつらの件は後回しだ。あとで説明するからまずは追手を振り切るぞ」
それぞれの持ち場へと散開しだす船員に、すかさずブライトが叫んだ。
「追手のとりそうな航路とかは頭に入っているよ。手伝わせて」
レパードが冷たい目で見下ろした。
「信用しろと?」
手伝うと言って、裏切る可能性は大いにある。気づいたらシェイレスタの船に囲まれていたのでは、話にならない。
「今のところの目的は一緒のはずだよ。信じてもらうしかないかな」
怪我のせいもあるだろうが、無駄な反応のない静かな表情でブライトはレパードを見つめ返している。
「船長。お取込み中さあせん」
そうした中を割って入ってきたのは、黒いひげが特徴的な男だ。見覚えがあった。食堂や甲板で既に何度か会っている人物だ。
「クロヒゲか。なんだ」
見た目のままな名前だ。レパードと同じで偽名の類なのだろう。
「飛行石が少ないんでさぁ」
ああ、そうだった。そういう顔をしてレパードは慌てて袋を取り出す。
「十一個だ。ないよりはマシだろ」
「これも使って」
そう言って腰から袋を取り出して掲げてみせたのはブライトだ。早速役に立ってみせたとばかりの得意顔である。
「八十はある。暫くはもつよ」
とはいえ、イユとしてはその飛行石の量に、口を挟まずにはいられなかった。そもそもその飛行石がなかったせいで、イユたちが苦労したのを忘れてはならない。
「あんたが買い占めていたのね」
飛行石が手に入らなかった理由を、はっきりと思い出した。一様に店員たちが、魔術師の船が買っていったと言っていたのだ。
にっとブライトが笑う。
「追手を減らすためにちょっとね」
その台詞は、ブライトが最初から追われる覚悟でダンタリオンを訪れたということを示す。
「お前、ひょっとして俺たちが来ることを知っていたのか」
レパードの低い声にはっとする。一行がダンタリオンに向かうことになったのは、イユのせいだ。レパードの心配は、イユとブライトが組んでいる可能性にあるのだと察せられた。
「まさかぁ。正直、渡りに船で、あたし自身も驚いているよ」
さっぱりとした口調で言ってのけるブライトに、イユでさえ信じてよいのか不安を覚える。
「そんなことより、早く航海室に案内して。追手を振りほどかないと」
「どうしてお前の言うとおりに案内しないといけない」
改めて説明を求めながらも、レパードは手ぶりでクロヒゲを船内に返す。一刻も早く動かないといけない事態なのは、間違いないからだ。
「もともと、あたしの飛行船で逃げる手はずを準備していたんだよ。だから、艦隊の追跡ルートも周辺地図も全部ここに入っている」
『ここ』と言って、ブライト自身の頭を指差して示される。
「あたしが船長なら、こんな知恵袋、使わない手はないと思うよ」
イユは甲板を一望する。今朝みた大穴は修繕されていない。修理をする余裕はなかったとみるべきだ。その船で追手を振り切るには、確かに少しでも情報は欲しいだろう。
自称知恵袋に、とうとうレパードは折れた。
「わかった。なら、さっさと来い」
足を怪我したブライトとともに、一行は船内に入る。壁のあちらこちらが壊れていたり穴が開いていたりしていて、修理が終わっていないのだなと改めて感じる。その被害の最も大きい階段をのろのろと登るブライトを見つめて、レパードが、いらいらと声を掛けた。
「さっさと来い」
「けが人にその言い草?」
ブライトの擁護をしてやりたくなったリュイスが何か言おうと口を開く。
そこを別の声が遮った。
「けが人、いる?」
階段の最上段から刹那の顔がひょっこり覗く。今朝会ったばかりなのだが、何故か懐かしいと感じた。
「いや、確かに怪我はしているが捕虜だ」
「航海室まで輸送中よ」
レパードとイユの言い草を聞いて気になったのか、刹那が駆け下りてくる。
「あれ……?」
ぽかんとした顔。そこで、そうした表情をみせたのはブライトだった。目をぱちぱちさせながら、ありえない現実が起こったかのような顔である。
すぐに表情を引き締めてみせたものの、ブライトの動きを常に警戒していたイユたちには誤魔化せない。
「知り合い?」
聞くと、二人して首を横に振る。それだけでは納得されないと思ったのか、ブライトが補足をする。
「見たところ、シェパングの人でしょ? 驚いちゃって」
その程度の言い訳では、不信感は払拭されない。
レパードも同じことを感じているようで、じっと何か考える素振りをする。
「そ、それより早く上がろう? 治療なら航海室で受けるよ」
ブライトの逸らし方はあからさまだったが、事実でもある。
「仕方ない。急ぐぞ」
追及は後に回すかというレパードの独り言も聞き取る。
けれど、ブライトの口が割られるところを想像するのは難しかった。




