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カルタータ  作者: 希矢
第八章 『手繰り寄せて』
514/994

その514 『現金な男』

「さすがに、心ここにあらずという感じか」

 ミスタの言葉に、はっとした。いつの間にか、止まっていた手を動かし続ける。

 イユは、今ミスタとリュイスとともに土砂の撤去作業をしている。医者を連れていくために、朝からワイズとレパード、レンドとでマゾンダに出ていった。船長であるレパードと、官吏であるワイズがいたほうが、医者を連れていくには話が早いと言われ、その結果の人選だ。ちなみに、イユが考えたように、シェルを担架で運ぶという話も出た。だが、本人に負担があることから、却下された。折角街から離れた場所に隠れるようにして住み着いているというのに、この船のことが別の人間にばれてしまうという不安は確かにある。しかし、シェルを医者に診せることのほうが大事だという話で決まったのだ。

「気になるなら、どなたかと交代しますか」

 リュイスの言葉には首を横に振った。シェルにはクルトとラビリが付いている。それ以外の面々も、各自の持ち場で働いていた。適材適所で分けたのだ。イユだけが、気になるからといって医務室に行くのは違うはずである。シェルが心配なのは、イユだけではない。

「……気を紛らわすためにも、集中しないといけないわね」

 自分に言い聞かせるように、呟いた。あと少しで出入口のある扉が見えてくるはずなのだ。切り替えなくてはならない。

 身体を使うことを意識しながら、夢中で作業をする。脳裏に浮かび上がってくるシェルの顔を意識しないようにと、ショベルを振りかざす。

 まるで延々に続くかのように、時間が長く感じた。

「医者を連れてきた!」

 だからその言葉を聞いたとき、鼓動のあまりの激しさに、ショベルが手から落ちた。



「なるほど、触られている感覚はありますか?」

 医者による診察が進んでいる合間も、イユは気が気でなかった。

「あるよ」

「よろしい」

 医者の診察を聞いているだけでは、さっぱり分からないせいもある。そのうえで、連れてきた医者が、無精ひげを携えたもじゃもじゃの髪の大男で、何を言っているか分かりにくいぼそぼそ声なのも、不安を掻き立てた。白衣でなかったら疑ってかかるところだ。

「……どうですか」

 一通り終わったとみて、ワイズが医者に尋ねる。振り返った医者は、眼鏡をくいっと持ち上げると答えた。

「脊髄の損傷による不全麻痺でしょう」

 さらりと言われても、イユにはよく分からない。

「それは、治るってこと……?」

 イユの疑問を聞きつけた医者の視線が、イユに向く。ぎろりと睨まれたように感じた。

「いえ、治りません」

「ちょ、ちょっと!」

 流暢に淡々と言われたので、止めたくなる。希望を絶つにも、こんなあっさりとしたやり方があってたまるものかと、動揺と戸惑いに揺れた。

「損傷した脊髄が自然回復した例はありませんよ。魔術は人の治癒力を上げるものだと聞いていますが、それなら尚のこと、治す力がない箇所を治すことは不可能です」

 さらに続けられて、がんと頭を殴られた気分である。

「あなたの言い方は、相変わらずですね。患者に勧める治療方法はあるのでしょう?」

 ワイズに問われた医者は、手で輪っかを作った。イユは意味を察して、かっと頭に血が昇る。この医者は、人を絶望に叩き落とした後、その人に金を要求しているのだ。

「この船をお見せしましたからね。どうせ要求してくるとは思っていました」

「私はないところから取らない代わりに、あるところからはいただきますので」

 言い淀むことなく告げる口は、いつもの口上を述べているようにすら見受けられた。

「残念だけど、そんな金持ちじゃないわよ」

「本当ですか? この船を見せていただいてそれはないでしょう。この船を売れば、幾らでも手に入ります。それでも金がないというのであれば、それはないのではなく、払う価値がないと決めつけているからだ」

「違うわよ! これは他の仲間を助けにいくのに……」

 慌ててイユは口を抑える。第三者に余計な情報を与えるところだったのに気がついたからだ。リュイスが止めようとしてイユを振り返ったので、気がつけた。

「そうだとしたら、その条件に対して払う価値がないと言っているわけです。でしたら、私の用は終わりですね」

 この医者は、最悪な男だ。イユは震える拳を握りしめた。言っていることに筋が通ってしまっているから、反論できない。だが、イユにとってはどちらも大切なのだ。

「足がつかない金額でよければ、お支払いしますよ」

 片づけようとしている医者を前にして、ワイズが淡々と答えた。元よりそのつもりだったのだろう。ワイズの顔には、一切の迷いがない。

「商売敵のあなたがそう言って下さるのであれば、それで結構です」

 ワイズは恐らく、街に戻ったときに持ってきたのだろう。財布から、お金を取り出して医者に持たせる。

「良いスポンサーがいて、良かったですね。お嬢さん」

「……」

 口の中で、血の味がした。

「ねぇちゃん……」

 シェルが悲しそうな顔をするのはおかしい。イユは必死に平気な風を装う。その間も医者の説明が続いた。

「脊髄は治りませんが、麻痺を免れた他の機能を使えば、ある程度の日常生活を営める程度になるでしょう。リハビリをお勧めします」

「……具体的に、どうすればいいんだ」

 レパードが睨みつけるような目を医者に向けている。イユは今になって、気がついた。レパードは今まで嘘のように静かだった。それは、既にこの医者を前にして何かがあったということかもしれない。

「まずは一人で起き上がるように訓練することです。とはいっても、一人では幾ら頑張っても起き上がることはできませんから、今寝ているベッドの角度を少しずつ傾斜をつけるように、変えていけばいいでしょう。それができるようになれば、今度は車椅子ですが、あれは高値ですからね。またワイズ様におねだりされるとよいでしょう」

 一々嫌味な人間である。ワイズにはブライトの件があるとはいえ、借りを十分作っていることは、イユも理解している。

「車椅子ぐらい、作ってみせるから」

 ぼそりと、誰にも聞こえないぐらいの声で、クルトは呟いた。それを聞いて、イユは内心ほっとする。

 医者はその後もリハビリの方法を伝授する。質問は受け付けず、淡々と告げるだけだ。イユは必死に頭の中に焼き付けた。

「では、今後ともごひいきに」

 そうして、医者は最後にそう挨拶すると、

「当然送ってくれますよね?」

 とレパードに視線をやった。レパードが溜息をつく。

「リュイス、送るついでに寄りたいところがあるからついてきてくれ。あと、レンドも頼む」

 船の中でもフードを被ったままのリュイスに気づいたのか、医者が「おや?」と声を上げる。

「怪我をしているなら診ますよ? 有料ですがね」

「結構だ」

 そんな会話をしながら、嵐のようにイユの心を掻き乱した医者が去っていく。彼はもうイユを見ようともしなかった。



「……だから、嫌だったんだよね。あの医者」

 医者の姿が消えてから、クルトが感想を述べた。

「口が悪くても腕が良ければ……、と言えないところが辛いですね」

 ワイズが残念な評価を下し、

「え、大丈夫なんだよね?」

 とラビリを不安にさせる。

「クルトさんたちに既に症状を聞いていたんでしょう。外しているようには見えなかったので問題ないと思います」

 ワイズの言葉に若干の不安を顔に浮かべて、クルトは同意した。

「まぁ、怪我をみせたときは散々だったし」

 そのときは、「もって数日でしょうね」と匙を投げられたという。

「また腹が立ってきたわ」

「だが、理屈は通っていた。君には感謝をしないといけないね」

 ラダの言葉は、ワイズに向けられている。

「いえ、これぐらいは大丈夫です。もっと請求されたらどうしようかと思いましたが」

「そのときは、リュイスに更にカジノで頑張ってもらわなきゃ……」

 他力本願のラビリの発言に、アグノスが欠伸で答える。ちなみにアグノスは、医者がいるときは奥に引っ込んでいたのだが、帰った途端、ラビリの肩に留まっている。

「……ワイズ、だっけ。ありがとな」

 イユたちの会話を聞いていたシェルが、ぽつりと礼を述べた。

「あと、ねぇちゃんたちも、心配かけてごめんな」

 何故、シェルが謝るのだろう。イユはぎゅっと口を一文字に結んだ。

「シェル……、君が気にすることではないんだよ」

 ラダの言葉に、シェルの肩が震えているような気がした。

 しかし、実際は動かない。震えることすらもできない。

「けど、オレ……」

 その上、シェルの瞳は片方しか見えていない。こんな惨いことがあるのだろうかと、イユは言いたくなる。怒りのはけ口が、どこにも向けられないから、先ほどの口の悪い医者に向いた。少なくとも、レヴァスならあんなことは言わなかったとも思ってしまう。

「生きてくれていただけで十分だ」

 ミスタが、皆の気持ちを言葉にした。

「リハビリはこれからゆっくり続けていけばいい」

「そうだよぅ。シェル君が大変なら、私が便利道具発明してあげちゃう」

 何故だろう。このときばかりは、ライムの言葉が頼もしい。

「シェルは、いつも通り、にかっと笑ってなさい。それで、さっきのいけすかない医者を見返してやるの」

「そうそう。あいつ、はじめシェルのことを助からないっていったやぶ医者だから、元気そうにしてたら悔しがるよ」

 イユとクルトの発言を聞いたシェルには、面食らった顔をされた。イユたちが少々先ほどの医者に敵意を持ちすぎていることは、自覚している。

「えっと、こう?」

 無事な片目が三日月型に細められる。包帯まみれの状況で唯一分かる変化だ。

「「そう!」」

 クルトとイユの声が重なる。

 そこを、ワイズが遮った。

「あなたたち馬鹿二人組は、さっさと昼御飯を食べてから仕事に戻ってください。起きたばかりの人間に余計な負担を強いている暇はないでしょう」

 追いやられるイユたちを見て、くすりとシェルの笑い声が聞こえた気がした。

 それが唯一イユの心を慰めるのであった。

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