その512 『秘密の部屋』
壁を一枚隔てたその先から、僅かな冷気が漂ってくる。数歩歩いた先に、新たな壁が見えていた。恐らく、左右に道が折れ曲がっているのだろうと予想できる。
「一応、警戒しろよ。長い間誰も開けていなかっただろうが、魔物がいるかもしれないからな」
レパードはそう周囲に注意喚起をすると、部屋の中へと先導する。右手は壁だったらしく、手で壁をつき、左へと折れていった。
すぐにレパードの姿が、僅かな影を残して掻き消える。
魔物がいたときに備え、少し遅れてイユは入った。レパードが動きにくくならないようにとの配慮だ。
レパードの背中はすぐに見つかった。同時に、薄暗く狭い小部屋がぼんやりと浮かび上がる。天井の照明光が隠し部屋にも変わらず降り注いでいる。
「書斎ですね」
後方で、リュイスの声がした。かつんかつんという足音が、後方から続けて響く。
全員入れるような広さではないと思ったイユは、「狭いから数人ずつにして」と指示を出す。そうして、レパードの背中へと向き直った。
「こいつは相当古い本だな。数は多いが、触ったら駄目になりそうだ」
先頭のレパードが、机に手をついている。書き物をするための机だろう。間接光が、机に僅かばかりの光を注いでいる。埃がひどいため、本来の明るさではないと思われた。
そして、レパードが見上げている視線の先には、本棚がある。壁一面、天井まで全て本で埋まっていた。
イユは勝手に、船にある記録は全て機械の中にあるものだと思い込んでいた。船内の地図に、飛行船の操作に関わる内容、機械の使い方といった情報――、クルトの言うところのデータベースが、古代文明の記録の保管方法だとばかり考えていたのだ。しかし、どうやら本の類いも使っていたらしい。
「どれも希少価値の高いものです。勝手に触って駄目にしないでくださいよ」
ワイズから注意が入る。レパードの声を聞きつけたらしい。
「分かったよ。どのみち古代語だ。俺には読めない」
レパードの返事を聞きながらも、イユは目の前の本棚に目を凝らした。
「本当の本当に気を付けて下さいよ。魔術書が混じっている可能性もありますから、下手に触ると命をとられます」
「いや、危険すぎるだろ。そんな本」
「『魔術師』にとって、魔術書は命ですからね。仕掛けるのが当たり前です」
「…………聞いたか? お前たちも絶対触るなよ」
物騒な会話を聞き流しながら、分厚い茶色の背表紙がずらりと並んでいるのを確認する。イユの目をもってすれば、薄暗い照明しかない部屋で、文字を読むことなど容易である。
「航海日誌……?」
それは本に書かれたタイトルだったのだが、イユが本を見て予想したと思われたらしい。
「だろうな。タイトルの文字が、どれも同じだ。この船の前の主は、几帳面だったんだろうな」
魔術書はなさそうに見えるがな。と、レパードが小声で続けた。危険と言いつつも、ワイズの声が若干弾んでいるのを感じとったようである。
「とりあえず、魔物はいないみたいですね。一旦、船長室に戻りましょう」
リュイスの声に、レパードは頷く。人が一人入ればそれでいっぱいになる幅しかない部屋なのだ。話したり相談したりするには、向いていない。
イユたちは船長室に戻ってから、まだ見ていない面々に部屋の中の詳細を語った。
「如何にも何かありそうな部屋だから、その本に何か重要な秘密が隠されてないのかな!」
わくわくを隠そうとしないラビリに、レンドが溜息をついている。ミスタは変わらず目を輝かせている様子だ。鼻高々なアグノスを頭に乗せていた。
「そうだとしても、古すぎます。よほど慎重に時間を掛けて調べる必要がありそうですね」
ワイズはそう指摘し、続けた。
「隙間時間に僕のほうで調べておきますよ」
実際、ワイズしか読み解ける人間はいないだろう。危険な魔術書があるかもしれないと言われてしまえば、他の人間に本を触る気は起きない。
「まぁ、気にはなるが、ぶっちゃけ金にならないならすぐには必要ないしな。ついでぐらいでいいぞ」
レパードは優先度を下げる発言をする。
だが、気になるラビリとしては僅かばかり不満そうである。
「ワイズの作ってくれた古代語一覧表でどうにかならないかな」
驚いたことに、危険だと言われても尚、読むつもりがあるらしい。
「残念ですが、機械に出てくる用語しか纏めてません」
「うぅ、もう少し勉強しておくんだった」
ラビリは後悔した顔だ。
そういえばと、イユは今更ながら気づく。ここには、ワイズがいるから古代語翻訳はワイズに任せているが、ラビリも『魔術師』見習いだ。勉強不足を悔いているようだが、古代語が読めずとも危険な魔術書への対処方法を知っているかもしれない。魔術の知識を得たいわけではないが、知っておくことで今後、他の『魔術師』と会ったときに言いくるめられる心配は減る。後で聞いておこうと、心に決めた。
「いや、優先度からいって、後回しにするからな?」
レパードは苦笑しながらも、ラビリに念押しをする。
自分の活躍があまり生かせなかったと感じたのか、アグノスが気に入らないというように、レパードに一声吠える。
レパードは、しかしそれには取り合わない。それを見て、アグノスは観念したように首を下げると、ミスタの肩へと戻っていった。
「それにしても、不思議ですね」
一行のやり取りを見守りながらも、リュイスはそう呟く。
「不思議?」
「はい。厨房の食糧の類は全て撤去されていて、どの部屋も生活感はなく片づけられている状態でした。でも、さっきの隠し部屋だけは、本が残っていたので……」
レンドが、「なるほどな」と感心する。
「言われてみれば、おかしな話だ。ライムの話だと、ここは格納庫の可能性があるんだったよな? それなら、暫く船を使わないから食糧の類を撤去するのは分かる。だが、本は残っているということは……」
「少ししたらすぐにまたこの飛行船を使う予定でしたが、そうはならずに、ずっと眠りにつくことになったといったところでしょうか。だから、医務室の道具類も残っていたと」
レンドの言葉の先を、ワイズが推測する形で続ける。
「もしくは、船長格の人がいなくなっちゃって、この部屋のことは誰も知らないままになっちゃった、とか?」
ラビリが想像力を働かせた。
「ギルドでもよくあるよね。船長格がいなくなったらギルドとして継続できなくなって、船も売っちゃうみたいな話」
そもそも、イユは前の持ち主のことなど考えもしていなかった。
だが、この船には歴史がある。何かしら坑道に埋もれることになった経緯が存在するはずなのだ。
「興味深い話だが、そのあたりは航海日誌とやらを読んでいくと分かるようになるだろ。推測はお預けだな」
レパードの発言に、イユは頷いた。船の歴史を紐解くのは、別に今である必要はない。アグノスに呼ばれたので赴いただけで、本当は土砂を撤去するほうが大事なのだ。
「そう考えると、アグノスのせいで余計な時間が取られただけね」
イユの独り言を、耳聡く聞きつけたアグノスが、くわっと口を開けた。
「何よ、文句あるわけ?」
イユの言葉に答えるように、吠えたてる。
「事実を言っただけでしょう!」
アグノスは止まらない。
「うるさいぞ、お前ら」
全く不本意なことに、レパードに怒られてしまった。




