その508 『どちらが先か』
レンドたちの報告を聞いてから、一日が経った。
今日はレパードもレンドたちと一緒に出てしまい、ワイズはクルトに呼ばれてしまったので、ミスタとイユ、リュイスの三人しかいない。レンドたちの交渉がうまくいけば、イユたちがここで土砂を撤去する必要はなくなる。ラビリが頑張って綺麗にした厨房も使われずに終わる。そう思ってしまうと、やる気がどうしても湧いてこない。
「いつもより、動きが遅いみたいですけれど、大丈夫ですか?」
リュイスに指摘されて、イユは「うっ」と声を詰まらせた。リュイスは、イユが疲れを溜めているのではないかと心配しているのだ。まさか、やる気が湧かないせいだとは微塵も感じていない。
その眩しいまでの視線を受けて、さぼるわけにもいかなかった。
「大丈夫よ」
そう言って速度を上げるものの、長続きはしない。どうしても気が重くなってしまい、速度が落ちていく。そうこうするうちに、またリュイスに「大丈夫ですか?」と聞かれてしまった。
「……大丈夫よ」
そうは答えても、リュイスは心配そうな顔を浮かべたままだ。
「大丈夫だって言っているでしょう?」
「ですが、あまり大丈夫そうな表情には見えないです。何か悩まれているのですか?」
イユは溜息をついた。リュイスには隠し事ができない。
「別に、レンドたちのことが気になっただけよ」
リュイスにきょとんとされる。
「交渉の結果が気になるのですか」
この様子だと、リュイスは何とも感じていないのだろう。
「……それ絡みなのだけど、そうじゃなくて」
言葉に悩んでいると、意外なところから助け舟が出された。
「無駄になるのではないかと、懸念しているのか」
ミスタの言葉は、イユが考えていることをそのまま表現していた。
「……そうよ」
渋々と、同意するしかない。
「えっと、つまり、土砂を撤去しても、レンドたちが交渉を進めるのだから意味がなくなるのではないかということですか」
イユは小さく頷いた。
「努力は常に報われるとは限らない」
ミスタがぽつりと返す。
「……それは、分かっているわよ」
答えながらも、そうだろうかと、イユは自問する。無駄になる可能性は最初から分かっていた。それが明確になってきたことで、やる気が失せてしまった。報われないものに手を付けても仕方がないと感じたのだ。
「……わかってはいても、無駄になったら嫌だなと思っただけ」
これではただの愚痴だ。異能者施設にいたときの作業に、イユは無駄だとかそうでないとか考えることはしなかった。だから、今感じている感情は、全て甘えからくるものなのだ。そうと分かってしまったから、思いっきりショベルで掻き分けた。
それは、土砂への八つ当たりに近かった。その勢いが契機だったのだろうか、何かが今までと違うことに気がついたのは、そのときだった。
砂を掬いあげたイユは、袋にそれを入れてから、あっと声を上げる。
天井まで積もっていたはずの砂の壁が、僅かに低くなっている。そこから覗いた照明光がいつも以上の光を送っている。先ほど感じた違いが今になって分かった。明るさが違うのだ。
「もしかして……」
気付いたのはイユだけではない。ミスタもリュイスも、大急ぎで砂を掻きわける。まるでそれに答えるように、天井に積み上がっていた砂の壁がどんどん低くなっていく。僅かではあっても確実に、一つずつ目に見える変化となって現れる。
今までは嘘のように長かった一時間が、あっという間に過ぎた。
二時間、三時間。そろそろレパードたちが帰ってくるのではないかという頃合いになって、イユはようやく自分の背程の高さになった砂の壁を目に留めた。
今までは掘っても掘っても変わらなかった山が、今ではイユが手を伸ばすと天辺に触れられるほどの高さになっている。あと少しで、全て取り除ける。信じられない話に、涙まで出そうになった。
とはいえ、出来上がった小山の先は、確認できない。その先にも一つ、山ができていたからだ。その山は天井までつくのではないかという高さまで聳えている。
もう一山、残っているのだ。
「あれは、食堂の扉でしょうね」
リュイスが小山のほう、右手手前に見える扉を示した。地図を見るに、間違いないだろう。
「そうなると、外へとつながる出口はあの辺りね」
地図を思い浮かべて、天井まで伸びた大山の左手を指す。扉は見えないが、扉の外がどうなっているのかも調べる必要があった。
たまらず、ほぅっと息を吐きだした。夢中で動かした体は、限界だったらしくぷるぷると震えている。それでも、心の中は安堵でいっぱいだった。延々と続くかもしれない作業の進捗が、目に見える形でようやく現れたのだ。たとえ、この努力が報われなくとも、今は良いと思えた。
「みんなぁ! 船長が帰ってきたよ! 夕飯にしよう!」
駆け込んできたラビリが、土砂の状態を見て、足を止める。厨房の掃除を終えたラビリだが、今日は一日ライムとともに設備の回復のため、厨房に籠っていたはずだ。それが船長の帰りを報せるということは、厨房での作業は終わり、ライムに付き合って航海室を手伝っていたのかもしれない。
「おっ、凄い! なんだか急に進展しているよね?」
振り返ったイユたちが砂だらけなのを見てか、ラビリの顔が笑っていた。
「ほら、頑張ったなら休もう? きっと頑張った分だけご飯は美味しいよ」




