その506 『厨房設備』
それから、更に二日間が過ぎた。土砂の撤去作業は、変わらず続いている。持ってきた袋は航海室に溢れかえるほどになった。おかげで、奥の会議室まで運び込む手間が増えて、時間が想定より掛かってしまっている。
「まだ噂の階段は見えないのね」
袋に土砂を詰め込みながら、イユは額の汗を拭う。こうして毎日撤去しているはずなのに、土砂が減っている気がしない。詰めた分だけ、奥から土砂が流れてくるような心地だ。
「疲れたか?」
ミスタの問いかけに、首を横に振る。不安を感じるものの、今は掘り続けるよりない。レパードの采配により、余力のある船員全員が、土砂の撤去を手伝っているのだ。今だと、レパード本人に加え、リュイスがいる。ここで自分が音を上げるのは、なしにしたい。
「レンドたちのことが気にかかっただけ」
レンドたちは昨日から頻繁に出入りを繰り返している。その度に袋を追加で融通してきてもらううえ、場合によってはフェフェリの用意した食事をもらえる。クルトが作った台車が重宝し、二人だけでもそれなりの量が運べるからだが、確実に助かっている。
「何だ。食べたいものがあったら言えばよかっただろ」
レパードの言葉に、
「違うわよ!」
と怒鳴り返す。全く、ことあるごとに食事の話だと思われているのは、不本意だ。
「レンドたちが先に当てを見つけてくるんじゃないか、気にかかっただけ」
二組に分けたということは、二つの可能性を模索するということだ。それは同時に、片方が目的を達してしまえば、片方の労力は無駄になることを指す。
「当てを当たってはいるみたいだがな。あっちも難航しているみたいだぞ」
レパードの言葉に、イユは「そう」とだけ返した。
レンドたちが進んでるのであれば、いっそのこと早急に合流したいところだ。しかし、それもまだ暫くは難しそうである。
更に数時間、撤去作業を続けていると、段々眠気を感じ始めた。欠伸を噛み殺しながら、今の状況を振り返る。
淡々と作業を続けていると、時間が早く過ぎてほしいのか、遅くなってほしいのかすら、分からなくなってくる。こんなことをしている間に、どちらの組も目的を成し遂げないまま終わってしまう気がして、焦燥感を抱く。一方で、中々終わらない現実に、繰り返しの作業がイユの身体からキレを奪う。進捗の割りに時間だけが進んでいくことに、再び苛々を感じてしまう。悪循環だという自覚はあった。
「そろそろ、休むか」
ミスタの言葉に、「でも」と返した。
「まだ、全然進んでいないわ」
袋の中を覗くが、半分しか砂が入っていない。
「いえ、休みましょう。続けても効率が悪いです」
リュイスにまで言われて、イユは黙した。確かに、リュイスの指摘通りだ。作業は中途半端だが、これ以上続けても早く終わらせることができるとは思えない。
「そうね」
もどかしい。袋に砂を詰めて運び出すだけの、単純な作業なのだ。さっさと、終わらせてしまいたい。だが、それが全く終わらない。そう意識させられるだけで、体にべっとりと疲労が纏わりつく。気のせいか、自身だけでなく周囲全体がそうした重苦しい空気に包まれている気がした。
「待ったぁ!」
その空気を霧散させ、一行のもとに駆け込んできたのはラビリだった。
「休憩の前に、見せたいものがあるの!」
何を、とリュイスに聞かれ、ラビリは大袈裟に両手を広げてみせた。
「じゃじゃーん! お酒作戦成功だよ」
酒と言えば、厨房のカビのことだろう。見せたいのは厨房らしい。既に酒を撒いてから数日経過しているが、それは、本人曰く、問題ではないようだ。
「お酒を撒いた効果でだいぶカビが減って掃除しやすくなったんだから、問題ないって」
とのことである。
「じゃなくて、見せたいから来てよ!」
顔中汚れだらけにしたラビリは、土だらけのイユ以上に汚らしい。だが、その顔には、イユにはない達成感が浮かんでいる。
「とにかく、厨房に見に来てよ! あ、汚れは落としてから来てね」
それだけ言ってのけると、ラビリは一人走っていく。他のメンバーに声掛けに言ったようだ。自分の汚れは良いのだろうかと思ったが、そこは眼中にない様子である。
一同は、暫し呆然とした後、顔を見合わせた。
「まぁ、あれほど見せたいって言うんだから、砂を落としてから、厨房に行ってみるとするか」
イユは頷いて、手についた砂を払った。
道中では、航海室からやってきたライムとワイズと合流した。ラビリの言葉に押されるように厨房へと入ったイユは、思わず足を止める。
「これは、凄いわね」
ピカピカとした光が見えるかのようだ。
イユの記憶にあったカビ臭さが、換気されてすっかり坑道の匂いになっている。湿気があるが、先ほどまで汗を掻いていたこともあって、ひんやりと冷たい空気が心地よい。
そして、調理場や流し台は見る限り、完璧に磨かれている。水が出ないのが惜しいほどだ。
「入り口で固まっていないで、ちゃんと中を見てね!」
ラビリに言われて、始めに入ったのは真ん中の部屋だ。最もカビが酷かった冷蔵庫である。
「これは凄いですね」
さすがのワイズも感嘆の言葉を発するほど、部屋は綺麗になっていた。入ってみると、意外にも広く感じる。何も置かれていないのが、逆に寂しいぐらいだ。
「早く食べ物を入れたいわね」
「そうですね」
イユの言葉に、近くにいたリュイスが同意した。
次は、厨房に入って左の部屋だ。狭い通路を縫って進む。壁には棚があり、調味料の類いが置けそうだった。ぐるりと回ると広い部屋に出る。今はがらんとしていて寂しいが、医務室に置いてあるパンや水を持ち運ぶと良さそうだ。
「ここが、一番広いよ」
ラビリの言葉に、「そのようね」とイユは返した。備蓄がたくさんできるようになっている。この船が当たり前に動いていた頃は、長い間、空を航行していることが多かったのだろう。
続いて覗いたのは、厨房から入って、右の部屋だ。窓があった部屋でもある。
「そういうことね!」
目の前の部屋を見て、合点がいった。何故、厨房に窓があるのか腑に落ちなかったのだ。その答えが、ようやく分かった。
「野菜を育てられるわけか」
レパードが驚きの声を上げる。
イユたちは、スナメリで見ていたからそれと気付けた。床には、まるで畑のように土が盛り上がり、野菜を植えられる場所が用意されている。土は、ラビリが土砂の撤去を手伝ったときに運び込んだものを使ったらしい。土の質からすぐにそれと分かった。また、壁には透明な棚が一定間隔に置かれている。そこにも、何かが植えられそうな鉢が、棚に固定される形で並んでいた。
駆け寄ってきたライムが、感嘆の声を上げた。
「お水を流せる機械みたい! 凄い、面白そうかも!」
一目見ただけでそうとわかるライムに感心しつつ、イユは詳しい説明を聞く。
壁際の棚には野菜類を一定間隔で植える。そうすると、自動で水が巡回するという便利仕様だそうだ。
「ひょっとすると、このお水の巡回先に、ここも含まれているかも」
ライムの言葉の『ここ』とは、床に広がった畑だ。確証はないようだが、あり得なくはないだろう。
「ね! 凄いでしょう! こんな良いところ、絶対、使わなきゃだよね!」
ラビリが満面の笑みで、ライムと手を合わせて喜ぶ。ライムもまた、新しい研究対象を見つけたとばかりに、きらきらと目を輝かせている。
「水は貴重なんだがな」
そんななか、レパードは、棚に流れるという水の量を想像してか、渋い顔をした。ワイズとリュイスは、便利な機械と現実を見比べてか、複雑そうな表情だ。
「うーん、そのあたりはどうしているんだろう? 大昔でも、この手の事情は変わらないと思うんだけど」
ライムが、首を捻る。言いたいことは最もだ。
「この船が、貴族が乗るような豪華飛行船だと言うのなら、幾らでも水の魔法石が手に入ったかもしれないな」
あくまで推測の一つを述べるレパード。
或いは、当時の水の魔法石の価値が低かったかもしれないとイユも想像力を働かせる。
「船の造りを見ると、貴族が乗る船ではないと思います。船長室があまりに小さいですし」
リュイスの指摘に、レパードが唸った。
「水は大昔から貴重であることは変わらないでしょうしね。魔法石についても同じでしょう」
ワイズからの指摘には、イユも唸るしかない。偶然だろうか、何も声に出していないのに、よくわかるものだ。
「うーん、そう言われると気になるかも。待って、この辺りの造りが……」
ライムは、一人、棚の端をごちゃごちゃいじりだす。
「ライム。次、行くぞ。まだ、最後の一部屋を見ていない」
「ううん。違うかなぁ。あ、ホースみたいなのがあったのかな。船を使わなくなったタイミングで外した?」
レパードの声には全く気がついていないようで、独り言を呟き続けている。これぞ、イユがよく知るライムの姿だ。
「あー、完全にスイッチがはいっちゃったねぇ」
ラビリが困った顔を浮かべた。ワイズは「何なのですか、この人」という視線を向けている。
「しょうがないよね。最後の部屋は、ライムの興味はあまり引かなさそうだから、おいて行こうか」
ラビリの提案に、一行は頷いた。
「なるほど。こうなっているのか」
厨房を入って左側の扉を開けると、だだっ広い部屋が広がっていた。ここもラビリが頑張ったらしく、一定間隔に置かれたテーブルがきれいに磨かれている。
「これは、食堂?」
イユの問いかけに、ラビリが肯定する。
「その通り。多分、こっちの扉から廊下に出られるはずなんだけど」
ラビリが指した先には、確かに扉がある。だが、ラビリの言い方から察せられるに。
「開かないの?」
イユの問いかけに、ラビリは首肯した。
「固着しているなら、開けるけど」
「いや」
イユの提案を、レパードが否定する。
「地図から考えるに、扉の奥にあるのは土砂だろう」
「うん。私もそう思って、頼まなかったの」
ラビリの言葉に、イユは惜しいなと思った。
折角、ラビリがきれいにした食堂だ。そうだというのに、今入れるのは、厨房からだけである。
「……早く、土砂をどかしたいわね」
イユの言葉に、「そうですね」とリュイスが同意した。




