その504 『危険な掃除』
次の日からも、土砂の撤去作業は続いた。
一日目に買い出しにいったラビリたちは、大量の袋を持ってきた。何でも買ったのではなく、ジェシカの屋敷で余っていたものを貰ってきたとのことだ。その袋に、皆で土砂を積みこみ、ひとまずは航海室まで運ぶ。リュイスが魔法を使ったおかげか、土が柔らかくて助かった。ミスタが『からくり拾い』にショベルを融通してもらったのも大きい。
だが、一番大きいのは、クルトだろう。クルトはなんと、ラビリがクルトの要望にあわせて買い込んできた木材をもとに、せっせと台車を作ったのだ。車輪が凸凹なのか安定感には欠けるが、おかげで詰め込んだ袋の運搬が格段に楽になった。
「この調子なら、意外と早く終わりそうね」
袋を拾い上げて台車に詰め込む。そうして、額の汗を拭ってから、イユが同意を求めた相手――、ミスタを見やる。
「そうだな……」
声に覇気がないように感じられた。既に疲労困憊なのだろう。
「鉱山にいたと言う割に、意外と軟弱なのね」
「いやいや、イユがおかしいんだ」
イユの辛辣な感想に反発したのは、当人ではなくレパードだ。午前中は一通り見回り終わったということで、手伝いをしているのである。
「本当は分かっていないだけで、結構疲れているんじゃないのか」
台車に詰め込むべく、袋を担ごうとしたレパードが、あまりの重さに手を離す。鈍い砂袋の落ちる音が響いた。
イユは首を捻りながら、レパードが落とした袋を片手で拾って台車に乗せる。確かに、異能のおかげで重さは感じないが、腕に無理をさせ過ぎてはいるかもしれない。
「まるで子供のように倒れるまでそうと気づかない人間ですし、そろそろ休憩を挟んだほうが良いでしょう」
ワイズはいつもの口調でそう言い放つと、台車の持ち手を握った。通訳は言うほど出番がないらしく、なんだかんだで肉体労働に駆り出されているのだ。
「じゃあ、早めのご飯ね」
イユが両手を合わせて喜ぶと、「食い意地だけは凄いですね」と独り言のようなワイズの呟きが返る。相変わらず可愛くない少年である。
「飯にするなら、ラビリを呼んでこないとな。ライムは航海室にいるから……」
「えぇ。航海室にいる方々には、僕がついでに声を掛けてきますよ」
そんな会話を聞きながら、ミスタがふらふらと医務室に入っていく。返事をする余裕もないのだろう。
ちなみに、医務室にはクルトがいる。売れるものの選定を終えたクルトは台車を作るに飽き足らず、今も何か工作しているのだ。寝たきりのシェルがいること、ベッドもあり快適なこともあって、食事や休憩は自然と医務室で取るのが習慣になっていた。
「それなら、私が呼んでくるわ。レパードも疲労困憊みたいだし」
疲れた顔こそしないものの、レパードも2時間近くは手伝っている。見回りの時間は最小限にして、殆どを撤去作業に回した結果だ。レパード曰く、他は順調そうだからとのことである。
「悪いが、頼む」
「えぇ」
イユは、ワイズが動かない台車を前に苦戦しているのを見て、えいやっと本体を蹴り上げた。動けば軽いのだが、動き始めが重いのだ。
「野蛮ですね」
そう言いながらも、ワイズがカタカタと台車を動かして航海室に向かっていく。それについていきながら、イユは伸びをした。
「それにしても、意外なほど協力的で驚いたわ」
ワイズの働きっぷりを、イユはそうコメントする。
「むしろ、すぐ倒れるので寝てろとでも言われるかと思っていましたが」
そう言いたいところだが、そう言える余裕がないのも事実だ。
「猫の手でも借りたいってレパードが言っていたし」
「僕が猫と同等と? 思うところはありますが、語彙力のない方が振り絞って出した言葉でしょうから気にしないでおきます」
ワイズに、「諺でしょう?」と言ったが、「それは当然分かっていて言っています」と言い返された。時折、ワイズの返しがよく分からない。
「じゃあ、あとで」
「えぇ」
ワイズとは、それ以上の会話はなかった。元々航海室までの距離だ。そこまで長くはない。
イユは一人厨房へと向かう。その途中で、足元に風を感じた。
そういえば、とイユは思い当たる。今日は厨房でラビリが大掃除をすると息巻いていた。リュイスにも手伝ってもらうと言っていたはずだ。
何をどう手伝ってもらうつもりなのだろう。こわごわと厨房を覗いたイユは、吹き荒れる部屋を裸足で駆け回るラビリに出くわした。
「あ、イユ。どうしたの?」
きょとんとしたラビリは、床に落とした布を踏みつけていた。リュイスが部屋の隅で意識を集中させて風を起こしている。その台詞はイユが言いたいと、強く思った。
「あぁ、リュイスのこと? 換気してもらっているの」
イユの元にやってきたラビリは、イユが縫った服を既に相当汚していた。
「……換気?」
風を部屋中に起こすことだとは、理解している。
「うん。実は一番右の部屋ね。窓があって、開けられたんだ」
まさか厨房に窓があるとは思わず、イユは目を丸くする。
「窓、ここに?」
「うん。開けてもすぐに坑道の岩壁があるだけなんだけどね。でも、リュイスが言うには、僅かに外の空気が流れているんだって」
イユに気づいたリュイスが、魔法の発動を止めた。風の音が一気に止む。
「つまり、外の空気を入れてこの臭い部屋をマシにしようってこと?」
確かに、埃ぐらいは飛んでいきそうだ。
「それは、昨日のうちに。実は昨日、フェフェリさんに頼んでお酒をたくさん融通してもらったの。ご両親がいないから振舞う機会がなくなったって言っていてね、持て余していたみたいだから」
いまいち話が見えない。
「えっとね、滅茶苦茶強い酒って、多少なりとも殺菌効果があるの。本当はもっともっと強いほうが良いんだけど、ないよりはって。それで、ここら辺全部窓も閉め切ってお酒まみれにして寝たの」
風が止んだせいか、心なしか酒の匂いが漂ってくる。イユの頭の中に、酒で浸水する厨房が浮かんだ。
「こうすると、カビがだいぶ取れるんだよ! 伊達に『魔術師』の屋敷で働いていないでしょ!」
自信満々に胸を張るラビリの隣で、リュイスは、
「確実に拭き取りましたよね? 残っていると危ないかもしれないですから」
と念を押している。
「危ない?」
イユの疑問に、リュイスは頷いた。
「はい。お酒は火があると引火しますから。厨房にはコンロがありますし」
イユは思わず悲鳴を上げかけた。
「ちょっと、ラビリ! なんて危ないことしてくれているのよ!」
「えっ、でもでもお酒って料理で普通に使うよ?」
自称召使いの言葉に、イユは大否定する。
「部屋を密室にして大量に酒を撒いた今と比べないの!」
そもそもお酒を料理に使うとき、ぶわっと熱い火が出ることはイユでも知っている。センが以前厨房でやっていたのを見せてもらったのだ。
よって、イユの結論はこうだ。ラビリの言うことは信用ならない。
「そんなぁ!」と嘆くラビリの声が聞こえた気がしたが、無視することにした。




