その502 『(番外)とある会話(レンド編)』
「何だよ、レンドルド君」
坑道のなかで、僅かな明かりが長い影を作っている。
影の持ち主が、小さな吐息をついた。
「早すぎやしないか。今日別れたばかりだぞ」
文句は、欠伸を噛み殺して伝えた。坑道のなかだから分かりづらいが、今は深夜にあたる。あれから、買い出しに行き、土砂の撤去を手伝い……と、いつもの航行とは違う労働が続いていた。さすがのレンドも疲労困憊だ。
それなのに通信機器を持って、こんな深夜に男と会話をしなければならない自分を思うと、我ながら憐れである。尤も、互いに周波数を合わせないと通信できないこの機器で会話が成立してしまうのは、自分のせいだ。当時からの報連相の癖が、この時間に繋げと指示してきたのがいけないのである。
(働きすぎだぞ、俺)
と、レンドは自らを叱咤する。ヴェインの予想通りに動いてしまったことが非常に解せない。
「通信機器のテストだ、テスト。動作確認は必要だろう?」
「どうだか。全く、ただの雑談なら切るぞ」
ため息をつき、切ろうとするレンドの手を、次の言葉が引き留めた。
「おいおい、随分冷たいなぁ。こちとら、心配してやっているってのに」
「……心配?」
知らず、眉間に皺が寄っている。らしくもない言葉を、らしくもない人物から聞いたせいだろう。
「死ぬなよ、レンドルド君」
無言のまま通信機器を切ろうとした気配を察したか、ヴェインが喚いた。
「待て待て待て。そう切ろうとするなって」
全く、人の心どころか、見えないはずの動きまで読んでくるとは驚きだ。
「それなら名前を呼ばなきゃいいんだ、呼ばなきゃ」
「いや何、そのほうが清い心で聞けるかなって」
この男、ふざけているのだろうか。
レンドの眉間の皺が深くなった。
「わけわからねぇよ。てかなんだ? いきなり、死ぬなよって。シェイクスのおっさんがころっと逝っちまったのをみて、不安になったか?」
「それこそ今更だ。何人、死人を見てきたと思ってる。そうじゃなくて、レンド。お前は命の価値が小さくならない場所に行きたかったみたいだが……」
ヴェインに旅立ちの理由は伝えていなかったはずだ。だというのに、まるで当然のことのように語り、そのうえでいらない忠告まで掛けてくる。
「そこは安全な場所とは限らないからな?」
いつの間に、ヴェインはお節介焼きになったのだろう。
「……知っているよ。現に、アグルは生死不明だ」
「だが、落ちついているのは、アグルが生きていると楽観しているからだ」
ヴェインは断言した。
「お前は命に価値を求めているが、そういう人間のほうがよっぽど命を投げだしやすい。数年前より遥かに危うさを感じてな」
そうした危うさには極力近づかないようにしていたのが、レンドだ。そう反発したくなる。
だが、ヴェイン相手に口で勝てるとも思えない。
「警告か?」
切り口を変えたレンドに、ヴェインはしゃあしゃあと答えた。
「人生の先輩からのアドバイスだよ」
やはり、あくまで忠告のつもりらしい。少し見ない間に随分変わったものだ。
「何が先輩だ。だったら、もう少しまともに働け」
ヴェインがさぼり魔であることはよく知っている。過去、仕事をどれだけ押し付けられたか分かったものでない。そして、そういうところはずっと会っていなくとも、そうそう変わるものではないだろうと予測している。
「おいおい、それはティスケルの特権だろ? 仕事を奪っちゃ申し訳ない」
ヴェインの言い草を聞いて、レンドは溜息をついた。このときばかりは、ティスケルに同情したくなる。
「いるよな。組織には必ず一人や二人、こういう奴。なんて世の中は不公平だと思わされる」
「働き蟻の法則って知ってるか? 働かない人間がいるということは組織として当たり前のことなんだよ、レンドルド君。……って待て待て、また切ろうと」
ぶちっとレンドは通信機器を切りたかった。これ以上雑談をしてもきりがないからだ。
「だから、何だよ。昔のよしみで、らしくもない先輩風を吹かせたかっただけか?」
「駄目か?」
意外にも真剣な声音で言われて、言葉に詰まった。
「レンドルド君ときたら久しぶりの再会に、セーレ、セーレ煩くて敵わない。そんなに肩入れするほどのギルドかと思ったら、まさかの曰く付きだ」
茶化すような口調に戻ったが、内容には笑えなかった。ヴェインははっきりと、こう告げたのだ。
「よりにもよって、『龍族』とはな」
鎌を掛けられていないか。レンドは慎重になった。
「どうしてそう思ったんだ?」
「いや、あれだけフードがはためけば、カメラに写るだろ。まぁ、さすがに気を付けていたみたいで一瞬だったがな」
何を当たり前なという口調に、レンドは呆れてしまった。よもや、今のスナメリは、船内のあちこちに監視カメラがあるのだろうか。そう皮肉ろうとして、レンドは止めた。本当のことだと気づいたからだ。
カメラがあるとなると、ティスケルが大まかな位置を読み取って大蠍のときに遠隔で指示を出していたのにも頷ける。船室にいたヴェインが、墜落したというのに大体の船員の場所を知っていたこともだ。筋が通ってしまって、レンドには溜息しかでない。
「だったら、どうなんだ?」
「背後にはあの『魔術師』の餓鬼もいるわけだろ? 随分、面白そうなことに首を突っ込んだなと思ってだな」
スナメリのヴェイン。改めて、その名を知らない人間が、ギルド内にどれほどいるのか想像させられた。レンドでさえあのときはちょっとした有名人だったわけだが、ヴェインはその先を行く。この男に、隠し事はできない。
「面白好きのどこかの誰かに触発されたんだろ」
「おいおい、あんなに言うことを聞かない奴が、離れてから殊勝になったって? きつすぎる冗談だろ」
からかう口調で返したが、あまり誤魔化せていない様子だった。
「まぁ、自分の人生だ。好きにすりゃいい」
ところが、ヴェインは、そこで「だが」と続けるのだ。
「どうせそんなところにいるんなら、こっちと変わらないとは思わないか」
何を言われているのかを察して、レンドの肩が強張る。まさかそうくるとは思わなかった。
「俺に、スナメリへ戻れと?」
「早い話がそういうことだ」
あまりに直球過ぎて、反論のタイミングを逃した。
「アグルが気にかかるって言うなら、アグルを探してからでもいい。別に急ぎでほしい返事でもないしな」
いつの間にか乾いていた唇を舐める。
「頭目は? 寝たきりの人間が許可を出せるとは思えない」
「あぁ、頭目は後で説き伏せればいいさ。ティスケルの奴は、既に了承している。お前のポストはそのまま俺の隣に確保してある」
笑って誤魔化すことができなかった。どういうわけか、ヴェインの声音は本気だった。そして、仮にティスケルの指示による勧誘だったとしても、ヴェインに心配されていることは事実だ。レンドにはそれが意外だった。
「絶対、御免だ」
だから、レンドは言い切った。
「お前のことだから知っているんだろう? 俺は、頭目にお前の夢はスナメリでは達成できないとまで言われているんだ。今更、尻尾振って戻ってこられるか」
大体な。と声を上げる。
「ポストはお前の隣って、またこき使う気満々すぎるだろ」
ぽとぽとと、坑道のどこかで水が滴り落ちる音が響く。その時間が、あまりにも長く感じられた。
静寂を破ったのは、ヴェインの笑い声だった。ククク……と、企むような笑いは、夜分に聞くにはあまりにも不気味である。
「なんだ、ばれたら仕方がないな。チッ、折角楽できると思ったのに」
先ほどまでの本音だろうと思われる口調は、鳴りを潜めていた。お茶らけたヴェインは、完全にレンドの知るヴェイン像そのものだ。
「お前な!」
レンドもまた、数年前と同じように、ヴェインに突っ込んだ。
その空気が妙に懐かしくて、どこか乾いているように感じられた。坑道のどこかで滴り落ちる水は、きっとレンドたちがいる場所とはずっと離れた遠いところからのものなのだろう。全く、渇きを癒してくれるようには思えなかった。
通信機器を切ってから、レンドはそっと溜息をついた。
本当はヴェインにはついでに、当てを聞くつもりだったのだが、余計な時間を取られただけだったと、肩を落とす。そこで、レンドは自分自身の心境に気がついた。
「ついでとはいえ、交渉できそうな当てを聞くつもりだったとか、働きすぎか、俺」
レンドは自分自身にそう言い放つと、通信機器をしまった。暫く出す予定はない。振り返る気は、さらさらなかった。




