その495 『眠れる船の内』
その後、坑道を歩き続けると、ルルル……と喉を鳴らすような音がイユの耳に入ってきた。イユは思わず足を止める。
「どうした?」
「何か音が聞こえて」
魔物のような声だった。だがそれにしては、声はどこか上機嫌で、イユの知る魔物像と合わない。
音の正体に気づいたのは、ミスタだ。
「あぁ、アグノスだ。この先にクルトたちがいるようだな」
どこかで聞いたような名前だ。記憶を引っ張り出す前に、ミスタが答えた。
「風切り峡谷で偶然飛竜の卵が割れているのを見つけてな。中にあいつがいた」
その説明で思い出した。クルトがミスタの挙動不審を訝しんだ原因になった飛竜だ。段ボールに捨てられた猫よろしく、拾ってきてしまったのだと言っていた。以前までのイユなら驚いたが、ミスタの本性が浪漫を求める少年そのものだと知った今なら、至極納得のできる話であった。
「クルトから話は聞いていたけれど、そういえばサンドリエ鉱山では見なかったわね」
「鉱山内には連れ込まなかった。あいつは狩りをしていたはずだ」
自由に放し飼いしていたようだ。勝手にどこか行くのであれば、そのうち戻ってこなくなるのではないかと思ったが、ミスタはそんなことは考えていない様子である。最も帰ってこないときは帰ってこないときで、ミスタであればそれも浪漫の結果の一つだと受け入れそうだ。
「今はクルトたちと一緒に行動しているわけか」
レパードの言葉に、ミスタは頷いた。
「あぁ。先にクルトたちと合流してもらった」
「相変わらずお前の飛竜、孵化したばっかだっていうのに、一端に働くよな」
レンドの感想を聞くに、アグノスという飛竜はどうも優秀らしい。
話をしながら進んでいるうちに、曲がりくねった坑道の先で、ゆらりと明かりが灯った。
「アグノス」
ミスタが名前を呼ぶと、その言葉に答えるように飛竜の高い鳴き声が響いた。すぐに飛んできた飛竜は、坑道の岩壁に溶け入りそうな、赤茶色をしていた。幼竜というだけあって、イユの顔ぐらいの大きさしかない。アグノスは、黄色い瞳をくるくると回すと、ミスタに向かって飛びついた。
ぺろぺろと青い舌で、ミスタの顔を舐め回している。予想以上のなつかれ具合に、イユはぽかんと口を開けてしまった。
「あ、イユたちだ。レンドもいるし。でも、遅すぎるよ」
ばたばたという足音とともに、聞き慣れた声がした。
「クルト」
音の先に視線をやると、駆け寄ってくるクルトとレッサがいる。先に待っていたのはこの二人なのだろう。
「もう、急に出ていったと思ったら、ここに来いって言われるし、相変わらず勝手すぎ」
イユは、うっと声を詰まらせた。
「……それは、悪かったわ」
屋敷に怪我人が運び込まれたとき、リュイスはイユの様子に気づいていたが、クルトはそうではない。薬の調合に忙しくしていたのだからイユの心の内など知る由もなかったのだ。クルトたちから見れば、イユはいきなり消えたようなものなのである。
「船長も船長だよ。まさかこんな場所だったと知っていたらシェルごと連れてこなかったよ」
「おい、まさかもう運んできたのか」
クルトの発言に、レパードが驚いた顔をする。
「当然じゃん。まさか、シェルだけ置いていくわけにもいかないし」
道中の魔物はラダが倒したらしい。だが、シェルを運ぶには担架で担ぐ必要があるので、レッサ一人では運びきれない。
「か弱い女子たちで交代制だよ。信じられないよね!」
ひょこっと、クルトの後ろから頭を出したラビリが、声を上げた。
「っていうか、それ、ワイズから聞いてないんだ」
ラビリの視線を受けて、ワイズは涼しい顔をする。
「見れば分かると思いまして」
考えてみれば、ここまでクルトたちを道案内したのは他でもないワイズなのだ。担架の件も当然知っていただろう。それを黙っている辺り、人が悪い。
「相変わらず良い性格しているよ」
クルトが呆れ口調でワイズを評価してから、レパードへと向き直る。
「それで、説明してほしいんだけど、どこをどうしたら、船長のいう拠点が出来上がるのさ」
クルトとラビリが壁際にずれると、ラダと白い担架が見えた。担架の上に敷かれた布の上には、シェルが寝かされているのだろう。ラダは、壁に背を当てて腕を組み、目を閉じて休んでいるように見えた。
ふと、視線に気づいたらしいラダが顔を上げ、冷たい目をレパードに向ける。
「これなら、街のほうが良かったよ」
ラダが言いたかったと思われる言葉を、ラビリが代弁した。
レパードは首を横に振る。
「俺らの正体が広がると、街にはいられないしな。俺たちには別に拠点が必要だ」
『魔術師』たちとは確かに手は結んだ。だからといって、ずっとあの屋敷にいるというわけにはいかないとレパードは言う。
「どのみち、あの屋敷にずっとシェルを置いておくわけにもいかない。そこで、ここを拠点に考えたんだ」
「だから、何でこんな魔物も出てくるようなところに」
不満そうなクルトの声を遮って、レパードは言い切った。
「ここに『古代遺物』の船があるからだ」
クルトはきょとんとしてから、周囲を見回した。
「え、どこに?」
クルトの反応も最もだ。一見すると、この坑道は、岩壁しかない普通の道だ。よく探せば異質な水色の壁があるが、違いが分かりにくい。船が埋もれているとは思わないだろう。
「入口がこの辺りにあったはずなんだが……、イユ、覚えているか」
「無理でしょう。ここのことを一切覚えていなかった人ですよ。期待するだけ無駄です」
レパードの質問に、辛辣なワイズの横やりが入る。
イユはむっとした。
「覚えているわよ」
本当のところを言うと自信はなかったが、素直に負けを認める気分ではない。
てきとうに見当をつけて、壁を睨みつける。少し歩くと、イユは惹かれるようにその場所を見つけた。
「閉じている?」
小さな宝石が、点滅を繰り返している。そこにあったはずの窓ガラスが、既に砂を被ってその姿を隠していた。
イユは再び光る石へと手をかざす。その瞬間、動きがあった。今なら窓ガラスとわかるその壁が、イユの前の前で徐々に動き始める。
「うわっ、何それ」
クルトが興味津々とばかりに、走ってくる。
「言っただろ、飛行船だ」
「いや、動くとは思わないって」
レパードの言葉に、クルトは反論した。
「私もまた動き始めるとは思わなかったわ……」
動力は切れていると思っていたのだ。窓ガラスの開閉だけは別の動力を使っているのだろうか。
答えが出ないままに、下がりきった窓ガラスを跨ぐと、青い革の椅子が出迎えた。記憶にあるものと相違ない。
「凄いですね……」
「これは世紀の大発見だな。浪漫だ」
リュイスの感嘆に、ミスタが同意する。いつの間にか、ミスタの肩を定位置としているらしいアグノスが、ミスタの頷きに合わせて、一緒になって頷いている。レンドも、さすがに予想外だったらしく唖然としていた。
はしゃぐクルトに、ラビリが船内を駆け回るのを見ながら、レパードはぽつりと呟く。
「だが、閉じていたな」
その感想に、ワイズが同意する。
「既に人の手が入ったかもしれませんね」
そうなると、この飛行船を売るという話もなしになる。
そのとき、アグノスが警戒するような声で鳴いた。
「船長。あの扉の先は?」
レンドが警戒した様子で扉の先を見つめる。レンドの耳にも聞こえたのだろう。イユの耳も確実に拾っている。物音がしたのだ。
「そこら辺の機械を触ったら開いたはずだ。先人がいるかもな」
そう言いつつ、レパードも銃を引き抜く。人ならば話ができるが、魔物の可能性もある。警戒はしておくべきだろう。
レパードたちの様子に気づいたのか、ラビリもクルトも少し声の調子を落とした。
「確かこの辺りでしたね」
ワイズが扉を開けるためのスイッチに触れる。その瞬間、どさっと金色の何かが、扉から崩れ落ちた。
「おいおい……」
レンドがぽかんとした顔をしながら、構えていたナイフを下ろす。
遅れて、レパードが声を張った。
「ライム?!」
金髪碧眼の美しいはずの女が、砂と煤にまみれた状態で、床に倒れている。服はぼろぼろで、髪も乱れていた。その姿は、一週間土砂に埋もれていたと言われても何もおかしくないほど、無残である。
「きゅうぅ……」
そして、あまりにも力の抜ける泣き声で、その女は生きていることを主張したのであった。




