その491 『恨みがましい』
本の続き。
その言葉を文字通りに受け止めてよいのかが分からなかった。というのも、ワイズには珍しくその言葉を発する顔に、苛立ちが見えたからだ。ワイズは誰が相手でも涼しい顔をしながら毒を吐く人間だと思っていただけに、意外な心持ちがした。
「悪いが、伝言なら自身で伝えてほしい。私たちは魔物狩りギルドであり、メッセンジャーではない」
同じものを感じたのだろうか。ティスケルは、『魔術師』からの依頼を拒否する。
隣で聞いていたシリエがぎょっとした顔をしている。恐れ多い『魔術師』を相手に拒否することなどあってはならないと、その表情が言っていた。
『魔術師』は本来そういうものなのだろう。イユは改めてスナメリの面々を見て、そう結論付ける。ヴェインでさえワイズが『魔術師』と知って少し警戒した顔をしている。おかしいのは、食い入るようにワイズを見つめるアンナと、動じないティスケルの二人だ。
「何、進んで伝えろとは言っていません。ただもし、僕が何か言っていたか聞かれたら、そう答えてくだされば結構です」
今更綺麗な顔をされても反応に困るのだが、ワイズは涼しい顔に戻って、にこっと笑った。砂漠に吹雪でも吹きそうな、冷たい笑みである。
「拒否権はないようだな」
ティスケルは深々と吐息をつくと、「承知した」と介した。それから、レパードをちらっと見やる。
「それではな」
幸いなのかどうか、裏にいる『魔術師』の顔は互いに知った。これ以上は、『魔術師』がいる前で余計なことを話すべきではないと、両ギルド代表は判断したようだ。
ティスケルはくるりと体を反対に向けると、ギルドの奥へと向かって歩き出す。依頼者へ報告をするためだろう。
ギルドの女も、これが退散の機会とばかりに礼をすると、イユたちからそそくさと離れていった。
シリエがちらちらと振り返り、イユに手を振る。イユも同じように振って返した。
いろいろあったが、これでお別れだ。だが、今生の別れではない。通信機器もあるし、手紙をやり取りしてもよい。こうした別れもあることに、不思議な心地がした。
「さて、それでだ」
スナメリの面々が通路の先に消えてから、レパードは深々と溜息をついた。
「どうしてお前がここにいる?」
レパードの視線の先にいるのは、ワイズである。イユは便乗することにした。
「そうよ。あれだけ魔術を使った後なんだから、倒れていると思っていたわ」
ワイズは涼しい顔を崩さない。
「あなたたちが出ていってからどれだけの時間が経ったと思っているんですか。数時間あれば目も覚めますよ」
「……倒れたんですね」
リュイスがぼそりとワイズの言動に突っ込んだ。
「なぁ、本当にこの餓鬼が『魔術師』なのか?」
いまいち信じられないらしいレンドが、そんなリュイスに小声で訊ねている。
「はい、ブライトの弟です」
「はぁ?!」
「ですが、僕たちを助けてくれています。治癒の魔術が得意で、僕も治してもらいました。多分、姉弟で派閥争いをしているのだと」
「訳が分からねぇ……」
二人のやり取りも気になるところだが、ワイズがここにいることもイユとしては気にかかる。
「一人で来たのか?」
レパードの質問に、ワイズは「はい」と答えた。
「子供の使いじゃないので、一人でギルドぐらい行きますよ」
「何をしに?」
イユが尋ねるが、
「質問したことに全て答えるとは思わないことですね」
と、ワイズは冷たく言いのける。相変わらず、可愛げがない。
「ただの野暮用です。確認したいことがあったので」
「だから野暮用って何よ」
「野暮用は野暮用ですよ」
『魔術師』に隠し事をされると、不安しか残らない。しかしイユがどれほど言及しても、ワイズはそれ以外話すつもりはないようだ。
段々苛々してきたイユと飄々とした態度を崩さないワイズの間に分け入ったのは、リュイスだった。
「きっと、魔術書が届いていないか確認していたのだと思います」
「魔術書?」
何故それが急にリュイスの口から出てくるのかが、イユにはよく分からない。
「本の続きと言われて、他に連想するものはありませんから」
リュイスの答えに、ワイズは「意外ですね」と答えた。
「考える頭があったとは思いませんでした」
ワイズなりの誉め言葉なのだろうか。リュイスは、戸惑ったような顔を浮かべている。
「魔術書って言えば、ブライトの奴が持っていたあの魔術書だろ? 姉弟でいがみ合っているっていうのに、何故それがワイズのところに届くんだ?」
レンドの言葉に、ワイズはやれやれと肩を竦めた。
「家の事情にずかずかと立ち入ります?」
ワイズは茶化すような言い方をするが、さすがのイユも騙されない。
「あんたたち姉弟の仲は、意味が分からないわ。聞かれても当然よ」
ワイズは、ブライトに呪いを掛けられたと言っていた。そのせいで、魔術を使うたびに負担がかかると。それなのに、何故、魔術書が自分の元に届くと思うのか。
「あんたは、ブライトを憎んでいないの?」
イユの質問を、ワイズはいつもの涼やかな顔で受け止めた。
「憎むとは?」
「ブライトに呪われたって言っていたじゃない。怖いとか、恨みたいとか、ないわけ?」
それは、イユが『魔術師』に抱いている感情だったが、似たようなことをされただろうワイズがブライトに抱いても何もおかしくはないはずだ。
ワイズは一瞬、顔を歪めた。それは、本当に一瞬のことだったが、ワイズが珍しく見せた本音のようだった。
「……ぼろ雑巾みたいになっている人を痛めつけるほど、僕は人として未熟ではありませんので」
「ぼろ雑巾?」
小声のように呟いたワイズの言葉を、聞き漏らすようなイユではない。
「ブライトが?」
重ねて問うイユに、ワイズは小さく嘆息した。それは諦めの表情にも見えた。今まで、ちっとも顔に出さなかった十二歳児の本音の顔だ。
「他に、何に見えますか」
イユの印象のなかのブライトは、笑っていた。にこにこと作り笑いを浮かべて、早口で捲し立てる。ワイズがいうぼろ雑巾という『たとえ』には、ちっともたどり着けなかった。
「表面と中身が違う何か」
「まぁ、間違ってはいませんね」
イユが絞り出した結論を、ワイズは否定しなかった。
しかし、それ以上、言葉を継ぎもしなかった。ただ淡々と、そういう風に見えるとだけを答えて、それ以外の話に突っ込まれまいとする。恐らくは、ワイズにとってブライトの話は禁句に近い何かなのだろう。嬉しくもないはずなのに浮かべる笑みが、内側からガラスのようにひび割れていく予感があった。
「それで、その野暮用は終わったのか」
レパードの質問は、ワイズへの助け舟だった。そして、ワイズは、当然のごとくそれに乗っかった。
「えぇ、ただもう一つありますから」
わざとだろう。肯定しつつ、話のネタを用意する周到さがワイズらしい。
イユは内心諦めた。レパードは甘すぎる。だからこそ、問題が全て中途半端になっていく。
「何よ? 複数あるわけ」
イユが問いかけてやると、ワイズは調子を戻したように、指を二本立てた。
「僕のほうは片付きましたよ。ただ、ここでミスタさんと合流する話になっています」
意外な登場人物に、イユの目は丸くなった。話に乗ってやる程度のつもりが、一気に引き込まれる。
「連絡があったのか」
これはレンドだ。
「えぇ。一通り落ち着いた後で、ラダさんとクルトさんがギルドに赴いてくれまして。今の時間にギルドで合流したいとの言伝がありました」
これで、イユたちが把握しているセーレの船員たちと再び合流できることになる。胸が熱くなったところに、レパードが疑問を呈した。
「どうしてワイズだけが? クルトたちはどうした」
「先に合流地点に向かっています。どうせあなたたちのことはばれるだろうという話になりまして」
「……信用ないわね、私たち」
クルトたちの中では、三人で飛び出ていった時点で、『異能者』や『龍族』だとばれてくる前提だったらしい。そう推測したのは、誰だろう。リアリストなクルトでも、レッサでもラダでも、はたまたラビリでも、あり得る。全員が容疑者になり得る時点で、原因はイユたちにある気がしてしまった。
「僕は、正体を暴かれたあなたたちを逃がせる立場にありますので」
これでも官吏ですからと、似合わないウインクまでされてしまった。
「……なんで捕まる前提なんだよ、お前ら」
レンドがイユたちに冷たい視線を向ける。
「知らないわよ」
イユがむくれてみせたところで、皆の評価は変わらないのが辛いところだ。
「それで、ミスタとはギルドのどこで合流だ?」
ギルドがごった返していることは、ミスタも知っているだろう。レパードの質問に、ワイズは指で示した。その先には、貸し切りの部屋がある。先ほどイユたちがスナメリと誓約書を預ける際に入った部屋だ。
すぐにイユは気がついた。ワイズは貸し切り部屋を別に借りたと言いたいらしい。恐らくは、イユが、以前スナメリで借りた小さな部屋だ。そこで合流する手はずと見た。
ワイズは、あくまでさらりと答えた。
「もう来ていると思いますよ、あなたたちが僕を取り囲んでいる間にね」
本当は、根に持つ性格なのではないかと言ってやりたくなった。




