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カルタータ  作者: 希矢
第四章 『コノ素晴ラシイ出会イニ感謝ヲ』
49/989

その49 『ブライト・アイリオール』

「随分手間取ったな」

 銃口は一寸の狂いもなく魔術師の少女の頭へと向けられている。引き金には指があたり、いつでも撃てる状態だ。

 そうした状況にも関わらず、魔術師の少女は平然としている。

「まぁ、そんなことだろうとは思ったんだよね」

 言い方が気になった。

 続けて少女の桃色の靴が、かつんと弾くような音を立てる。

 何かの合図のように感じたイユは、はっとして地面を探る。すぐに見つかった。消えたはずの法陣が、微かに光っていたのだ。

 けれどそれを認めた瞬間には、魔術師の姿が掻き消えている。

「なっ!」

「逃がした……?」

 レパードの驚きの声を聞きながら、イユも焦りのあまり言葉を発する。

 瞬間移動。そうした魔術が可能なのか、イユには分からない。

 ただ、魔術師の少女が逃げるだけですませるとはどうも思えず、瞬時に辺りを見回して警戒する。

 結果として、その判断は間違ってはいなかった。しかし、発見が一足遅かった。

 三人の影である。シャンデリアの光に照らされて、ぼんやりと映っていたはずのそれが、突如として切り刻まれたのだ。

「イユさん!」

 一拍遅れて異変に気付いたリュイスが、声を上げる。

 その合間にも、三人の影を切り刻むかのように走った光が白く輝きを増やしていく。その光が何かの模様を刻んでいることは間違いなかった。

「法陣……!」

「へぇ、詳しいじゃん」

 後ろから聞こえた声に、背筋が凍った。振り返ろうとして体が動かなかったのだ。どれほど異能で足掻いても、既にイユの体は魔術で動きを封じられてしまっている。これではもう、魔術師の思うがままだ。

「てめぇ……」

 レパードの悔しそうな声。三人まとめて封じたとみるべきだろう。

 天才魔術師と呼ばれていたことを思い返す。なるほどと感心したくなるほどに、その実力は確かだった。イユが会ったなかでは恐らく一番厄介な魔術師だ。法陣を描き上げるのに時間が掛かるからこそ、魔術師は隙だらけなのだ。一体何時の間にここまでのものを描き上げたのだと言いたくなる。

「君たちが先に階段を下りて逃げちゃったときに描いていただけだけどね。よかったよ。さっきの本が一個目の法陣で間に合って」

 イユの心の内を読んだのか、丁寧に解説をされる。余裕のある態度だと思う一方、あくまでイユたちの様子を窺うための会話なのだろうとも感じた。

「それで、どこの国の命令できたのかな? シェパング? イクシウス? まぁ、シェパングの可能性が高いとは思うけれど」

 的外れな質問をされて、戸惑う。

「国の命令なんか、受けていないわよ」

 口に出してから、声は出るのだと気付く。イユが知っている法陣だと声も出なかった。体の動きを封じる魔術にも種類があるのかもしれない。

「まぁ、誰もがそう言うよね。でも、君たちは異能者でしょ? だから、烙印があるはずだよね」

 イユの耳が、魔術師の吐息を拾う。ぞわりと怖気が走った。続けて、指がイユの皮膚に食い込む。手袋越しだが、冷たい。袖を捲られる感覚がある。

「あれ? ……烙印が、ない?」

 随分間の抜けた声だった。

「反対側かな」

 などと言い出されて、また袖を捲られる。

「う、うーん……。どういうこと?」

 イユは、心の底から烙印を消しておいてよかったと実感する。できることならば声だけでなく、魔術師の間抜け顔も拝みたいところだ。

「何やら勘違いしているみたいだが、俺らは国の指図は受けてないぞ」

「へ? 野良なの? ……ん、あれ?」

 薄ピンクのリボンで結ばれたツインテールの髪が、視界の端に映る。興味の関心がイユからリュイスに移ったようだ。

「ひょっとして、龍族? いやいや、それなら余計に国が……」

「国が?」

 レパードの声が鋭い。

「どういう意味だ」

「うーん、ちょっと失礼」

 ところが、魔術師の少女は全く聞いていない。衣擦れから察するに、リュイスのフードを外すのに夢中のようだ。続けて聞こえてきたかつんかつんと響く足音は、リュイスの周囲を歩くように移動している。何かを探しているらしい。

「……ない。通信機器を取り付けられた形跡もない」

 ふと、リアという異能者が死に際におかしなことを言い出したという話を思い出した。『まだ機会をくれ、私はまだできるから殺さないでくれ』とは、改めて思い返してもレパードたちに密偵とばれたその場でするには不自然な命乞いだ。通信機器が取り付けられていて、魔術師と話をしていたのならば納得はいく。

「通信機器を探すなら、ついでにイユもみてくれ」

 レパードの言葉に、魔術師の少女が足を止めた。

「イユ?」

「お前がさっき袖をめくった餓鬼だよ」

「へぇ、イユって言うんだ」

 とことことやってきた魔術師の少女が、くるっとイユへと顔を向けて、にっと笑う。兎のような赤い目が、三日月型に細められた。

「あたしはブライト。ブライト・アイリオールだよ」

 この状況で自己紹介をし出す魔術師についていけそうにない。

「ふぅん」

「反応、薄っ!」

 どういう反応を期待していたのかと、呆れたくなる。肩の力が抜けかけて、気がついた。

 くるくるとイユの周りを回るブライトの視線に耐える。じろじろと見られると、異能者施設で魔術師に捕まっていた頃を思い出してしまう。あの頃のことは考えないようにと、意識する。

「ないね。爆弾を抱えているとかもないみたいだし」

 ブライトの宣言と同時に視線が外れる。

 居心地の悪さから解放されたところで、安堵する。同時に意外な心持ちがした。まさか魔術師が、素直に魔術師以外の人間の言葉に従うとは思わなかったからだ。

 とはいえ、魔術師の言葉を信じるならばという条件付きではあるが、これで一つは証明できたわけだ。自身の預かり知らぬところで、知らない間に術を掛けてくる魔術師だ。爆弾など積まれていないと言い張ってはいたものの、やはり同業者に見てもらうと安心できる。

「ついでに暗示が掛けられていないかもみてくれ」

 続けてのレパードの言葉に、イユは内心でレパードの精神的な逞しさに拍手してやりたくなった。魔術師に捕らわれた状態で、図々しく要求をする発想はイユにはないものだ。

 一方のブライトはというと、頷きかけてから慌てて首を横に振る。ボリュームのある髪がそれに合わせて左右にぶんぶんと揺れている。

「なんか良い様に使われている気がする」

「気のせいだ。頑張れ」

 レパードのてきとうな応援に、ブライトはさすがに乗ってこない。

「いやいやおかしいでしょ、いろいろと。まず君たちなんなの? 龍族二人に異能者一人の組み合わせとか聞いたことないし、どうしてこんなところにいるの」

 その疑問は、最もである。まさか弾圧されている龍族や異能者が、街の図書館にやってきて襲撃してくるとは普通は思わないだろう。

「教えてほしければ、この法陣をどうにかしてくれ」

 段々、レパードはやけになってきているようだ。それでどうにかするほど、魔術師の少女は馬鹿でも親切でもない。

「国じゃなくても命を狙われたのは事実みたいだし? ましてや魔法とか異能とか使えるんでしょ、君たち」

「殺すつもりはなかったぞ」

「銃口を向けていてそれを言う?」

 最もなブライトの言い分に、イユはきっぱりと言い張った。

「脅すつもりがあっただけよ」

 暗示の有無を確認後、魔術師をどうしようとしていたかについて口に出すつもりはない。

「それは、あんまり変わらないような……」

 ぼそっと突っ込むリュイスの発言には、聞こえない振りをした。代わりに告げる。

「あんたはシェイレスタの魔術師なんでしょう?」

「なるほど。それは知っているんだ」

 ブライトがイユの顔を覗き込んでくる。

「こいつはもともとイクシウスの異能者施設にいた」

 レパードの説明を聞いたブライトの目が丸くなり、視界から消えた。

「え? 烙印なかったよね?」

 イユの腕を再び確認し始めたのが、指の冷たい感覚から伝わる。

「消したのよ」

 ブライトは、イユの言葉に首を縦には振らない。

「そんなわけないでしょ。すぐに消せるものじゃないし。それに消せても、ひどい目に遭うから……」

 思い出して、一瞬足が竦む感じがする。それで確信した。動けなくとも、力の調整自体はできるのだ。

「戻らなければ、良いのでしょう」

「……脱走したってこと?」

 察しが良いと思いきや、ブライトは自身の発言を撤回し始める。

「む、無理無理。だってあそこ難攻不落じゃん。スパイ送り込んだけど帰ってこなかったし」

 さらっととんでもないことを発言している気がしたが、イユには関係のない内容ではある。気にしないことにした。

「普通はそう思うよな」

 ブライトに同意を求める声は、レパードのものだ。

「うん。普通はそう思うよ」

「それでこいつが魔術師の暗示にかかっていないか調べたいわけだ」

「わざと逃がされた可能性があるかもってことかな」

 ブライトは納得した様子である。

「お願いします。掛かっているか掛かっていないかだけでも分かりませんか」

 リュイスの言葉に、イユは頭を抱えたくなった。脅して解かせる予定がいつの間にか頼み込む形になっていることに気が付いたからだ。


「うーん」

 勿体ぶるように唸り出したブライトは、とことことイユの前を横切るように歩き、足を止める。そうして、くるりとイユの顔を見た。

「いいよ」

 と言いながら、はにかんでみせる。

 今までと比べると、特に何か突出した動作ではないはずだ。会話も何も、おかしなところはなかった。


 しかし、何故かその笑みに寒気がしたのだ。


 警戒を口にしようとしたイユを前に、ブライトはせっせと手に持っていた本を地面に置き、杖を腰へとしまい始める。そうしてから、一言。

「痛いかもよ」

 脅された。怖いだろうと言わんばかりの言い方に、イユは咄嗟に、

「平気よ」

 と答えてしまう。弱みを見せてはいけない。ましてや相手は魔術師だ。その意識が、イユに返答をさせたのだ。

 後悔がちらりと過るが、イユは心のなかで首を横に振る。実際、大抵の痛みならどうにかなる。何かされても、まだ対処できるはずだ。


 意識を集中させ始めたようでブライトの目つきが変わる。白い手袋をした手でイユの心臓のすぐ上へと手を当てる。何かをぶつぶつと唱え始める。

 急に息が苦しくなり、イユの体が熱を帯びてくる。記憶を覗かれたときと似ていた。

 次の瞬間、ブライトの指が体の中へと入っていく感覚がしてぎょっとする。

 ブライトの赤い目は真剣そのものだが、何を考えているのかは分からない。

 ただ、体中から痛みを感じて、急に不安が込み上げてくる。不安はすぐに疑惑に転じる。

 似ているのではなくて、これは本当に記憶を読む魔術そのものではないのかという疑惑だ。

 そもそも、イユたちは暗示の解き方を知らない。暗示を解く振りをして記憶を覗かれたとしても分からない。

 声を振り上げようとして、できないことに気付いた。

 声を出せなくしたのだとの気づきが、疑惑を確信へと変える。


 やはり魔術師は信頼できない存在だったのだ。たとえイクシウス出身でなくても、関係はなかった。どうにかしなくては、記憶を読まれてしまう。そうして、魔術師はイユの記憶を元に自分の好ましいようにこの先の話を展開していくに違いない。このまま魔術師の勝手に踊らされてはいけない。


 すぐさま、異能を使って、今足にかかっている全ての力を抜いた。

「あ、ちょっと!」

 慌てたブライトの声がする。

 体を支えていた足の力がなくなり、なすすべもなくイユの体は地面へと崩れ落ちる。この方法を思いついたのは、過去、体の自由を奪われた際に倒れたときがあるのを思い出したからだ。無理に動こうとすると動けないが、肩の力が抜けたり足が竦んだりと、力を抜く側でなら異能も効いた。

 だから試したのである。

「イユさん!」

「お前、何を!」

 二人の声がする。

「ち、違うって! ほら銃を下ろして、下ろしてって」

 手を地面に着けた状態で見上げると、レパードがブライトに銃口を向けたところだった。

 リュイスはいつの間にかイユの近くにいる。

 イユが足の力を抜いた影響か、法陣全体の効果が切れたらしい。

「あ、あたしは暗示を解こうとしただけだよ!」

「嘘ね」

 ブライトがイユを振り返る。

「知っているわよ。あんたがやろうとしたのは記憶を読む魔術でしょう」

 伸ばされたリュイスの手を借りて立ち上がる。

「どういうつもりだ」

 レパードの冷たい声がする。イユが散々向けられたことのあるあの目をしていた。

「い、いやだって。暗示がかかっているかチェックするためには必要なことだし」

「記憶を読むのがか」

「そうしないと分からないじゃん」

 完全に誤算だったらしい。慌てたように説明する様子からは今までの落ち着きぶりが消えていた。

「嘘をつくな」

 レパードの声は冷たいままだ。

「俺の知っているやり方だと、本人の記憶をだますこともできるはずだぞ」

 ブライトは少し目を丸くしてみせる。

「詳しいね。魔術師に知り合いでもいるの」

 生憎、レパードは答えない。聞かれたことだけに答えろと目が言っている。

「つれないなぁ。でも、あたしが見る記憶は改変前の記憶だから間違いないよ」

 ご丁寧に脳の中の記憶の皺をたどるのだとかよくわからない説明も付け加える。

「てきとうなことを言うな」

 レパードが威嚇してみせたが、それに対してブライトは必死に首を横に振った。

「本当だって!」

 残念なことにブライトの発言が正しいか否かは、イユたちには確かめようがなかった。

「記憶を読まれる以外に方法はないの」

 恐る恐る聞いてみる。あの感覚はできればもう二度と味わいたくないものだ。

「少なくともあたしが知っているやり方だとこれしかないよ」

「それならせめて事前に言っておくとか方法があったはずです」

 リュイスからは最もな発言があるが、ブライトは小首を傾げるだけだった。

「いやでも暗示をどうにかしてくれとしか言われなかったし?」

 言い分を聞いて、これだから魔術師は嫌なのだと言いたくなる。リュイスとレパードの顔を見やれば、互いに同じことを考えているのが伝わった。

 イユはそこで気づく。先に述べたように、魔術師の言うことが正しいかどうかはイユたちには判断できない。そして、魔術師に記憶を読むのが条件と言われたら、そうする以外に暗示に掛けられたかどうか知る手段はない。実質、イユには選択肢はないのだ。

「こいつに記憶を読まれないとだめよね」

 レパードに確認をとる。


 暗示がかかっているかどうかを調べにきたのだ。だから、そのための条件が人に自身の記憶を曝け出すことだと言われれば、そうすべきである。


 決心をしようとしたのに、そう考えた途端、体がぞくっとするのを止められなかった。

 読ませるだけ読ませて結果さえわかれば魔術師なんて消せばよいと自身に言い聞かせるが、体の震えを抑えるのが難しい。理屈では分かっても、身体は言うことをきかない。悪夢が再び押し寄せてきたかのようだ。

「そんなの、あんまりです。そこまでしないといけないんですか」

 悲しそうな声は、リュイスのものだ。

 そこで初めて、レパードが考え込む姿勢をみせた。

「おい、自称天才魔術師。お前、今少しは記憶を見たよな? それで判断はつかないのか」

「自称って何それひどーい。ブライトだよ」

 と喧しく反論するブライトだったが、銃の周囲に火花らしいものを散らされて、さすがに大人しくなった。レパードの魔法でああいうこともできるらしい。

「そりゃ、少しは見たけれど。あれだけで判断は難しいよ」

「……どこまで見たの」

 見られた側としては、気になるところだ。そうして口に出してから後悔した。わざわざ残りの二人にまで自身の過去を晒す羽目になると気が付いたからだ。

「異能者施設を脱出するところからここまで。事実だとは思わなかったよ。本当にあそこから脱出できる人がいたんだね」

 ブライトの発言に少し光明が見えた気がした。

「少なくとも魔術師に脱出させられたわけではないわよね」

 異能者施設では毎日大勢の異能者が死んでいる。そう考えると、わざわざ死ぬかもしれない異能者に暗示をかけて回っている可能性は低い。だから暗示をかけるなら、恐らく異能者施設から脱出をする直前か、それより少し前だろう。つまり、ブライトの見たという記憶の箇所さえはっきりすれば良いのだ。


 目の前のブライトは、イユを見て意味ありげな顔をした。

 戦慄が走る。今、ブライトこそがイユの運命を握っていることに気付かれたと、分かったからだ。どう答えるか楽しそうな顔が、いかにも魔術師らしい。

 そうして、ブライトはその顔のままに口を開いた。


「それは間違いないと思うよ。脱出する間際にはかけられてなかったし、第一あんなに騒ぎになっていたじゃない」


 このときのイユの心情を言葉にするのは難しい。

 まずイユを襲った感情は、戸惑いだった。決定的なことのように継ぎ足された『騒ぎ』という響きにまるで覚えがなかったのだ。イユは確かに脱走を目撃されることなく雪原へと逃げ込んだ。『騒ぎ』など起きてはいない。

 次に湧いた感情は、諦めだった。これが記憶の改変かと考えたからだ。ブライトは暗示でないと言いきっているが、イユの中の認識は違う。やはりイユは暗示にかかっていたのかと諦念を抱く。口にすべきか悩み、ブライトを見上げる。


 そこで、赤い瞳に射止められた。何かを訴えていると気づくには十分すぎるほど真っ直ぐな視線だった。そうして、ようやくブライトの嘘に気づいたのだ。

「レパード……」

 リュイスの懇願の響きが、これで十分でないかとそう言っている。

 その隣で、イユは口を噤む。

 すぐさまブライトの発言を嘘だと否定出来なかったのは、ブライトの言葉に誘惑されていたからだ。このまま嘘に便乗し暗示にかかっていないと言い切れば、イユはセーレに残ることができるかもしれない。咄嗟にそう考えてしまった。

「……細かいところは分からないってのは気になるが」

 レパードの悩む声を聞いていたら、胸の奥がチクッと傷んだ。

 分かっていたのだ。暗示がかかっている可能性を誤魔化すのは、ここまで付き合ってくれたレパードやリュイスの気持ちを無駄にする行為だ。イユは自身の気持ちだけを大事にしようとしている。それは、彼らへの裏切りだ。

 だから、イユはすぐにでも『ブライトは信用できない』と言うべきである。そう思うのだが、言葉が出てこなかった。

「まぁ、少なくともシェイレスタの天才魔術師がいる前で暗示が発動してないなら危険はないんじゃない」

 躊躇している間にも、話は進んでいる。

「自称天才魔術師、悪いが馬鹿な俺にも分かるようにいってくれ」

「うーんと、イクシウスとシェイレスタが仲良くないのは知っているでしょ? イクシウス側から見たら、あたしの存在は非常に危険で邪魔なんだよね」

「お前が危険なのは納得だな」

 レパードが茶々を入れ、ブライトは滑らかに返す。

「銃口向けている人に言われたくないよ、それ。まぁ、それで基本的に暗示をかけるときは『あたしに会ったら殺せ』ってやっているはずなんだよね」

 要するに、ブライトは有名だから、暗示にかけるならブライト狙いだと言いたいらしい。大した自信家の発言に、イユはしかし未だに何も言えなかった。そもそもブライトの発言自体、あまり頭に入らなかった。言うべきか言うまいか、ずっと思考が揺れている。

 せめてと、ブライトの嘘の意図については突き止めようと思考を巡らす。可能性として浮かんだのは、恩の押し売りだ。ブライトはこのままではイユたちに殺されると分かっている。だからイユに恩を売って助かろうとしているのだ。

 けれど、イユが仮にセーレに残ることになったとして、恩を感じてブライトを助けるつもりなどイユにはない。それほどにはイユのなかの魔術師は、切り捨てて良い存在になっている。

 確かに『先程の発言は嘘だ』と声高に叫ばれる可能性もある。だが、そのときは逆に、『命乞いからでまかせを言っている』と叫び返すだけだ。


 ――――ということは、ブライトの行為は無駄であり、イユにだけは利点があるということにならないだろうか。


「今、そのイクシウスにいると思うんですが……」

 たまりかねて突っ込むリュイスに、ブライトは大げさにがっくりと肩を落とす。それに合わせてレパードが銃口を移動させるのだが、まるで気にしていない様子だ。

 そうした彼らの様子を眺めていると、気づくことがある。いつの間にか会話の主導権がお喋りなブライトに移っているということだ。

「ここの図書館の許可を取るの本当に大変だったんだから……。交渉に交渉を重ねてうまく駆け引きしたんだよ! 命がけで来ているしね」

「だからほら、下手にイクシウス側の護衛もつけられなくて一人でいるところをこうして襲われているし」

「シェイレスタから連れてこられるだろうとか思っているでしょ?」

「あんまりたくさん連れてくると逆に危ないし。それに今は船を見張ってもらっているからね。ここは魔術師でないと対処できない場所だし」

 話はどんどん付け加えられ展開されていく。何より勝手にまくしたてるブライトを前に、イユたちは見ていることしかしていない。まるでブライトの一人芝居を見せられているかのようだ。


「いい加減にしろ」


 さすがにおかしいと気がついたのか、レパードが声を上げる。

「誰もお前の諸事情には興味ない。それより、イユの暗示の件だ」

 そこでブライトは、にっと笑った。その不敵な笑みは、見ているイユの鳥肌が立つ程だった。


「いやいや、それよりもさ」


 そうして、ブライトは動き始めた。銃口を気にした様子もなく、地面に置いたままだった本を手に取ったのだ。

「おい」

 さすがのレパードも大きな動きをされてたじろぐが、どうすればよいのかよくわからない様子で銃口だけ向けている。この動作だけでも既にこの場を制しているのが、誰だか分かった。

「どうやって帰るつもりなの? 良ければ一緒に外に出る?」

 頭を疑いたくなる発言だ。目の前で銃口を向けている相手に、親切に脱出手段を用意しているのである。

 だが、この提案者の協力的に見える発言のせいで、ずいぶんここに長居している。ただでさえ、謎の本との戦闘で時間を食いつぶしているのだ。気絶させた兵士が誰かに見つかっていたとしてもおかしくない。ここで魔術師を人質にとるなりなんなりしなければ、イユたち一行は図書館や狭い街にいる兵士たちを全て迎え討つ羽目になる。

 どこまでが計算でどこまでが素なのかわからないが、いつの間にかこの魔術師を今ここで殺せない理由ができていた。


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