その489 『手続き』
「では、誓約書を承ります」
女は、それぞれが持っている誓約書と内容が相違ないことを確認すると、持ってきた木箱に、誓約書を納める。木箱に蓋をすると、今度はそこに錠を掛ける。
「ご確認をお願いします」
レパードとティスケルが、蓋を開けられないことを確認する。木箱なのだから、外を壊してしまえば意味がないのではないかと思ったが、口にはしなかった。あくまで中に入っているのはただの紙だ。恭しく扱っているものの、紙に効力があること自体、本当はおかしいことなのだと、思い直したからである。これ以上妙なことを言われたところで、理解からは、とうに手を離している。
「では、鍵をお二人に」
渡された鍵はレパードとティスケルが受けとる。これで、中身はギルドにも確認できない。
「本書類は、ギルド本部へと郵送されますが、お二人はいつでも閲覧を申請いただくことができます。その際は、お越しいただいたギルドに、鳥経由で届きます。数日いただくこともありますので、ご了承下さい。また、閲覧の際は、代理を立てていただいても構いません。ただし、閲覧が必要な場合は、ギルドも同行させていただき、書類の改竄がないか確認させていただきます」
女の流暢すぎる説明に、頭が入っていかない。ただ、たどたどしいながら、書類はギルド本部で保管されること、必要なときは閲覧申請できることを理解する。
「承知した」
ティスケルの返答に続き、レパードも首肯で答える。
「申し立てにより誓約書の違反が疑われる際は、ギルドは誓約書を閲覧いたします。その際は当事者のどなたかに同行を依頼する形をとります。必ずギルド単独での閲覧は行いませんので、ご安心下さい。また、違反が認められた際は誓約書に基づき罰則が下される他、ギルドの違反者リストに名前が挙がることとなりますので、くれぐれもご承知下さい」
「違反者リストって?」
小声で、近くにいたレンドに聞くと、
「ブラックリストだ」
と返ってきた。
「では、木箱にサインをお願いします」
木箱の蓋には、白紙の紙が二つ貼られている。そこに互いのギルドの名前を署名していく。ティスケルの字は、目を疑いたくなるほどの達筆だ。レパードの丸みのある字が、このときばかりは恥ずかしい。リュイスに代筆してほしいところだ。
「はい、確かに。では、お預かりします」
女は、木箱と一緒に持ってきた書類に、さらさらと、預かった木箱の番号と日時を記載していく。それはそれで、別に残しておくのだろう。おそらく木箱がなくなっても、すぐにどれが消えたか分かるようにするための管理方法だ。ギルドの管理が杜撰であれば、信用問題につながる。
女がベルを鳴らすと、すぐに別の人間が飛んできた。リストをその人物に預けると、自身は木箱を手に持つ。
「これで、誓約書手続きは完了です。部屋はこの後どうなさいますか?」
「長居するつもりもない。挨拶だけ済ませたらすぐに去る。あと、後ほど依頼の完了報告によらせてもらう」
ティスケルの答えに、女は会釈した。
「畏まりました。では、失礼します」
女が扉の向こう側に消える。扉が完全に閉まったところで、誰かが、「ほぅ」と、息をついた。途端に、先ほどまではなかった緩んだ空気が、室内に流れる。
「緊張しました……」
雰囲気に流されていたらしいシリエが、へなへなと崩れる。
「たかが書類のやり取りで、大袈裟よ」
アンナは、それを聞いて呆れている様子だ。
「だが、これで一段落だ。セーレの者よ。今後の関係に期待する」
ティスケルの言葉に、レパードは頷いた。
「あぁ、良い魔物の情報があればすぐに手紙で知らせる」
原始的だと思われたのか、ティスケルが訂正する。
「通信機器を使ってくれて良い。レンドなら扱えるだろう」
「そうはいっても、あれは届く範囲があるだろ」
レンドの言葉には、ヴェインが反対する。
「甘いな、レンドルド君。ここ数年で通信範囲が伸びたのだよ。国が違えば無理だが、ちょっとぐらいなら試す価値がある」
「その名前で呼ぶな! だが、そんなに伸びたっていうなら周波数だけは聞いておく」
レンドの呼ばれ方に、イユは聞き覚えがある気がした。それがどこだか思い出せないまま、レンドが周波数を聞いてメモをする様を眺める。
「メモは取ったな。それなら、一度出るとしよう。外で先ほどの職員が立ったままのようだ」
ティスケルの声に、一同は頷いた。
ティスケルの言うとおり、出入り口では女が待っていた。
「そんじゃ、ここいらでお別れだな」
ヴェインがレンドに声を掛ける。
「あぁ」
大人しく頷くレンドに、
「寂しがるなよ、レンドルド君。通信機器で幾らでも会話はできるからな」
とヴェインがからかった。
「誰が寂しがるんだ。通信機器も鬱陶しいようなら切っておくからな」
「おいおい、図星だからってそんな冷たいことを言うなよ」
「誰が図星だ、誰が」
相変わらずのやり取りに、ティスケルが呆れた顔をしている。
「イユちゃん。イユちゃんとも、お別れだね」
シリエがイユに声を掛けてきた。
「えぇ。いろいろあったけれど、あなたたちに会えて良かったわ」
今までイユは、同じ『異能者』や『龍族』でない限り、人と仲良くなることはできないと思っていた。セーレが特別なのは、『龍族』を受け入れる仲間たちがいるためだと考えていた。
だが、シリエたちのお陰で、そうでないことを知った。イユやリュイスが異能や魔法を使っても、受け入れてくれる人はいるのである。それは、今までにはない衝撃だった。今もどこかで寝首をかかれないか怯えている自分を意識しながらも、こうした出会いを体験できたことに素直な喜びを感じている自分もいる。
「あなたたちは、これからマゾンダを出て、シェパングを目指すのね」
アンナが断定する口調で、イユに聞く。イユたちがシェパングの地図を欲したから、そこから当たりをつけたのだろう。
「そうよ」
素直に肯定するイユに、アンナは頭部に巻いた包帯を少し悩むように触れた。
「……もし、困ったことがあったら、フランっていう人物を訪ねなさい。私の知り合いだから」
「フラン?」
意外なアドバイスに、イユは首を傾げる。
「えぇ。まだシェパング周辺にいるはずよ。ギルドに行けば、何かと情報は聞くでしょう」
アンナの話から察するに、フランとは、スナメリ以外のギルドにいる知り合いなのだろう。
「分かったわ」
アンナとイユのやり取りに、シリエが不思議そうな顔をする。
「意外。アンナちゃんが、そんな風に誰かを頼るようにアドバイスをするなんて」
「……ちょっとした気まぐれよ。というより、シリエ。あなた、私を何だと思っているわけ?」
失言だと気がついたのだろう、シリエがあっと自身の口を抑えた。
「はいはい、そっちもいつまでも話していないで終わろうな。報告に行けないだろ」
ヴェインの言葉に、イユたちははっと口をつぐんだ。先ほどまでおちゃらけていたヴェインにだけは言われたくないが、こんなところでいつまでも談笑するのは確かによろしくない。仮にもイユたちは『異能者』なのだ。
女がそっと腰を曲げて礼をする。イユたちが帰ると察したのだろう。
「それじゃあな」
レパードも挨拶をし、ティスケルもまた、「あぁ」と返す。
女に見送られ、イユたちはギルドの外へと歩きだした。シリエたちは、報告に行くらしく、女と残るらしい。彼らの視線を受けて、イユは手を振った。
そこで、はたと固まる。
スナメリの面々の背後から、見覚えのある人物が歩いてくるのが見えたからだ。
その人物は得意の舌で、再会早々、毒を吐いた。
「飛び出していったと思ったら、こんなところをうろうろとは、どこの野良猫ですか」




