その486 『無遠慮』
ふかふかのソファに身体を沈めると、イユは改めて周囲を見回す。豪奢なシャンデリアに、壁掛け時計。さすがに飛行船だからか花瓶などといった割れそうなものは用意されていないものの、中々に華美である。その光景を見て思い出したのは、マドンナに初めて会ったときのことだった。
インセートのギルドで、客間に案内されたときも中々に豪奢だった。そのとき、部屋を豪華にした理由を聞いたイユに、マドンナは、自身を『偉い』と思わせるための場であると言っていた。見くびられないために、そうする必要があるのだとも。恐らくはスナメリも、こういう部屋を用意しないといけない理由があるのだろう。依頼者がそれなりの立場にある人間であることが多いのかもしれない。
「とりあえず、治療薬が欲しいな」
レンドがイユの想像などお構いなくといった様子で、ティスケルに要望した。
「当て木で十分だろう」
辛辣なティスケルに、
「そりゃないぜ。こちとら大蠍を倒す契機を作ったんだ。治癒の魔法石ぐらい貰わないとやってられないってもんだ」
とレンドがねだる。
「レンド個人は何もしていないだろう」
そう言いながら溜息をついたティスケルは、ぽんとポケットからそれを投げてみせた。
「おっと」
レンドが危なげなく手に取ったのは、真っ白い魔法石だ。レンドの口元が緩んでいるので、察する。恐らく、治癒の魔法石だろう。ティスケルははなからレンドが要望すると知っていて、持ってきたのかもしれない。
それにしても、肝が据わった男だと、感じる。大体、イユたちは魔法を使ったのだ。『龍族』とまではばれないまでも、『異能者』であることはまずばれている。それでいて、平然と一人で、この四人を案内するわけだ。知り合ってそれなりに互いのことが分かっているシリエたちならともかく、又聞き或いはそれすらもないはずの人間が、そうしたのだ。幾らそこにかつての仲間がいるとはいえ、信用し切るのは難しいだろう。或いはそれだけレンドの存在は大きいということかもしれない。
「さて、報酬はいらないとのことだったが」
ティスケルは、視線をレパードへやった。
「仲間の弔いへの礼は残っている。それに対して、謝礼を与えたい」
ティスケルの懐から出てきたのは、袋だった。紐を緩めて、テーブルに並べていく。
一、二、三……、途中まで数えて、イユは諦めた。数が多すぎて、分からなくなったのだ。だが、これだけあれば、恐らく、飛行船を借りることができるだろう。そう思わせるに足るだけの金貨の量であった。
「断る」
レパードのきっぱりとした否定に、イユは思わず「なんでよ!」と叫びかけた。それが叫ばずに終わったのは、隣でイユの言動を察したリュイスが口を抑えたからである。
「何があっても、金は受け取らないか。変わった男だ」
ティスケルの言葉に、レパードは頷いた。
「俺らは、そういうものは望んでいない。分かるだろう? こういう身の上だと欲しいものは別にあるんだ」
レパードの言っていることがさっぱり理解できない。欲しかったもののはずだ。それなのに、何故断るのだろう。大蠍を倒す前の、魔法がばれたら報酬の話はどのみちチャラになるだろうと予想していた頃とは、事情は変わっているはずだ。
「なるほど、お前たちの望みを聞こう」
レパードはレンドをちらっと盗み見た。
「俺たちが欲しているものは、信頼だ。対等な関係であれば尚のこと嬉しい」
ティスケルは僅かに目を細めた。
「なるほど、手切れ金は受け付けないというわけか」
イユはその独り言のような呟きの意味を図りかねた。
「言っておくが」
レンドがそっと手を上げた。
「悪くねぇと思うぜ。たとえ、お前らが今、どんな客を相手にしてようと、な」
レンドの言いたいことも分かりづらい。ただ、この部屋の作りを見れば、偉い人間からの依頼だとは分かる。そして、その偉い人間とは大抵が『魔術師』だ。
「我々が寝返る可能性は考えないのか。報酬をちらつかされれば、隠し事などないも同じだ」
釈然としない顔のティスケルに、レパードは首を横に振った。
「ほかでもないレンドのお墨付きだ。それに、がめつい人間なら、手切れ金も惜しむことだろう」
正直、ティスケルの言葉のほうが信用できた。イユは、彼らを助けにいったが、正体を晒しても尚、仲良くなれるかといわれたら、不安が残る。彼らにとって、『異能者』は、恐怖の対象のはずだ。人々がイユを受け入れないことは、ある意味当然だと思っていた。シリエはお人好しだが、それでも、今回のことが終わったらもう二度と会うことはないと思っている。
そこまで考えて、自分の愚かさに嫌気がさした。
他でもない。イユは、二度と会うことのない相手に、命がけで仲間を巻き込んで助けにいったことになるからだ。
全く、自分で自分がよく分からなくなるというものだ。だが、『異能者』は受け入れられないだろうと思う諦念も、それでも助けたかった思いも、どちらもイユの本音なのだ。
「随分高く買われたものだ」
暗示は大丈夫なのかと言いかけたが、すぐに口を閉じた。依頼する側はまさかスナメリが『異能者』と繋がっているとは思うまい。知らなければ、進んで記憶を読むことも暗示をかけることもない。だからこそ、レパードは信頼できる相手にスナメリを選びたいと告げたのだ。
「だが、信頼というからには、片方だけが尽くすというのはあり得ない」
ティスケルのはっきりした物言いに、イユは考え事から意識を引き戻した。
「お前たちはどのような関係を望み、どう在りたいと考える」
「何かがあったとき、互いに情報を提供し合える関係だ」
レパードの宣言に、ティスケルは「ほぅ」と声を発した。
「情報だけでよいのか? 信頼というからには、助け合いは発生するものと見ていたが」
レパードは首を横に振った。
「知っての通り、俺らは訳ありだ。そんな俺らを助けにいったら、お前たちが割りにあわない」
そこは弁えていると語る。
「同時に、互いに第三者に情報を漏らすことはないこととする」
当然の答えだ。イユたちは『魔術師』に情報を漏らされたくないし、ティスケルも『異能者』と関係していると思われたくはないだろう。
「いいだろう」
ティスケルもまた、了承した。
「だが、一つ訂正させてもらおう」
はっきりと明言してみせる。
「信頼とは、与えるものではない。よって、謝礼にはあたらない」
目を輝かせたのはレンドだ。
「さすがは、ティスケル。よく分かっているじゃねえか。つまり、こういうことだろう? 『謝礼は別に用意してもよい』」
なんて太っ腹なのだろう。レンドの解釈に、イユは、思わず挙手をした。
「私、船が欲しいわ」
元も子もないイユの発言に、レンドは「よせよせ」と消極的だ。
「ぼろを掴まされて痛い目をみたいのか」
あまりにも記憶に新しすぎたせいで、イユの頬が引きつる。
「だがまぁ、確かに金は当然とするにしても、ブツも欲しいよな」
そこにレンドの同意である。
イユはすすんで提案した。
「それなら、私、あれが欲しいわ。魔物がよってこない香油!」
ロープとどちらをとるか悩んだが、飛行船もない身の上だ。香油は人にもつけられる分、便利なはずである。
「甘いな。そいつもだが、通信機器を貰う手もあるぜ。距離に限度があるが、使いようによっては意外と使える」
「なるほど。アリね!」
レパードは心底困った顔をした。
「お前らな……」
少しは遠慮しろと言いたそうだ。
「ふん、相変わらずだな」
ティスケルも、やれやれという顔だ。
「何言っているんだ。スナメリじゃ、遠慮なんてするほうがおかしいだろ。それとも、俺がいない間に、謙遜を覚えたか」
レンドの挑発めいた言葉に、「そのまさかだ」とティスケルも肯定する。
「だが、金や香油ぐらいはくれてやろう」
イユは飛び上がって喜ぶところだった。
「なぁ、リュイス。この際だ、お前は何かないのか」
レンドに振られたリュイスは、少し戸惑った顔をしつつも、はっきりと答えた。
「地図が欲しいです」
「地図?」
イユの疑問をついてでた言葉に、リュイスは頷く。
「はい。特に、シェイレスタとシェパングの間の空について記載されたものですね。シェパングの地図も、譲っていただけると助かります」
それは確かに、尤も重要な情報だった。イユは気が付いていなかったが、セーレが所持していた地図は、セーレとともに燃えてしまったのだ。
「そいつは俺からも頼みたい。できれば、国の目の届かないような航路が知りたいところだがな」
レパードの後押しもあったからか、ティスケルは強く頷いた。
「良いだろう。他でもないスナメリで製図したものがある。魔物の生息地についても載せたものだ。予備があるから、それはつけておこう」
さらりと、とんでもないものがついてきたという印象だ。魔物の生息がわかれば、そこを避けていくことができるはずである。
「破格だな」
同感だったらしいレパードの言葉に、シェイクスは――、
「情報交換が関係の一つという話だったはずだ」
と、あくまでさらりと答えたのである。




