その485 『主船へ招かれて』
「お前たち、行くぞ」
レパードに声を掛けられる。
イユは小さく頷いた。死後の世界に思いを馳せる時間は終わりだ。今は、ティスケルの案内に従って、スナメリに乗り込むべきである。
見やれば、いつの間にかスナメリの船員たちが、瓦礫を撤去するために動き出していた。
「分かったわ」
イユは返事をして、船の入り口で待っているティスケルへと向かって歩き始める。
レパードがレンドに肩を貸しているために、どうしても速度は緩やかになる。そのため、一足先に進んでいたティスケルには、船員の何人かが質問にやってくる。
「大蠍はどうしますか?」
「あちらは、イグナ船に回収させろ。最後に討ち取ったのはあいつらだ。被害も最も少ない」
「承知しました」
控えた船員の代わりに、ティスケルに声を掛けたのはアダルタだ。イユたちのことを一瞥しつつも、今は他の仕事があるからだろう――、イユの下へは、やってこなかった。
「ティスケル、報告はどうするんだい。必要なら、うちのを行かせるよ」
「アダルタか。報告は後で良い。相手が相手だ。俺が行こう」
ティスケルが、追いついてきたイユたちを見て、足を進める。そのままアダルタに指示を飛ばした。
「お前には俺が不在の間、ここの監督を頼みたい。だが、お前の船は、被害がそれなりに出ていたな?」
「問題ないよ。シュスに任せておく」
シュスが誰だかは知らないが、信用できるのだろう。ティスケルが納得したように頷く。
「それにしても、忙しそうね」
代わる代わるやってくる船員へと指示を飛ばすティスケルを見て、イユは思わず呟いた。
「まぁ、仕事人間だからな」
イユの一言を聞き取ったらしいレンドが、返す。
「呼吸するのと同じくらい働いていないと駄目な奴だ」
「レンド、聞こえているぞ」
冷たいティスケルの言葉が振りかかって、レンドは肩をすくめてみせた。
「何だよ。仕事熱心だって誉めてやったんだろ」
「俺の耳には、俺が仕事の話しかしない頭の固い馬鹿野郎だと聞こえた」
「お前、本当は俺の話、聞こえてないだろ……」
こうしてみると、意外なほどにティスケルとレンドの距離感が近い。
再び船員たちの指示に追われるティスケルを見送ってから、イユはレンドに確認する。
「何? 仲が良いの」
レンドは「さてな」と曖昧に答えただけだった。
「着いたぞ」
イユの声が聞こえていたわけではないだろうが、どこか不機嫌なティスケルの声が再び振りかかる。
見上げたイユは、改めて目の前にある船の大きさに呆然とした。
「ここが、スナメリ……」
リュイスの感嘆する声を耳聡く聞きつけたレンドが、突っ込む。
「正確には、ギルド『スナメリ』の主船だ。俺らがさっきまで乗っていた船も、スナメリのものには違いねぇ」
改めて、大きなギルドである。イユたちが今砂漠から見上げている主船は、小さな村よりも大きいのではないかと疑うほどの大きさだ。首が痛くなるほどの高さから、マストに帆が張られていることを確認する。船が大きいからだろう。今いる場所からでも、セーレより遥かに帆の数が多いことが分かる。そこから聞こえる賑やかな喧騒に、人数の違いも感じた。それにしても、セーレよりも深い焦げ茶色の全身は、どこか老骨さを感じさせる。
「早く中に入ることをすすめよう。砂漠は、さすがに暑いからな」
一足先に甲板へと上がったティスケルから声が掛かる。イユは、甲板から砂漠へと掛かった橋を見た。セーレでも渡し板はあった。だが、渡し板と違い、橋と形容したくなるそれは、あまりにも安定していて、イユたちが乗っても全く揺らがない。それに、レパードがレンドに肩を貸しながらでも、橋を渡ることができるほどに、幅広だった。
もはや普通の坂道と変わらないそれを登りきると、見渡す限りの木の床に出迎えられる。セーレの甲板は、少し歩けばすぐに手摺に辿り着いたものだが、ここでは全速力で走ってもそれなりの時間が掛かる。ここで床掃除をしたら、一日では終わらないだろう。
「懐かしいな」
「嘘でしょう!」
レンドの感想に、イユは仰天だ。
「何だよ、その反応は。俺がこのギルドにいたのがそれほど意外か」
船員たちとの仲の良さそうなやり取りは知っているから、今更疑うつもりはない。だが、レンドの不満そうな物言いに、言い訳したくはなる。
「セーレと比べたら、明らかに違うじゃないの」
規模が桁違いだ。広さや乗船人数だけの話ではない。使っている道具も違う。伝声管の代わりに通信機器を使うところも驚きではあったが、それだけではなかったのだ。甲板を注視すると見えてくる。ロープの一本でさえ、何かが違う。
「分かりますか? あのロープ、編み方が僕らが使っているものと違います」
イユの視線に気がついたのか、リュイスが呟く。
「あぁ、複雑な編み方をしているだろ。あれで切れにくくなるんだよ」
レンドがさも当たり前のように告げるので、「ちょっと!」と声を上げたくなった。
「編み方を教えてもらえれば、セーレでも使えたでしょう!」
何故今まで黙っていたのだと責めたくなる。
「無理、無理。自分で編むとか言っている時点で話が違ぇよ。ああみえて値が張るんだよ。俺らの給金をぎりぎり払えるかどうかのセーレじゃ、出せねぇよ」
レンドのあっさりとした言い方に、イユはむくれた。
「世知辛いわ」
「そういうものだ」
レパードがしみじみと答える。
「……お前たち、そろそろ中に入らないか」
少し先で待っているティスケルが、反応に困った顔をしている。ティスケルからすれば、まるでイユたちは田舎から出てきた人間だろう。馬鹿にされないように、平静を装おうと努力する。
しかし、その努力も、船内に入った途端、崩れた。
「何よこれ!」
まず、天井が高い。そこから吊り下がった明かりは、黒いアンティーク調のシャンデリアだった。入った先は、見渡す限り終わりの見えない廊下である。そこに、一定間隔で明かりの影が揺れている。影が蔓延した地面に敷かれているのは、落ち着いた色の絨毯だ。踏んでも足音が瞬く間に吸われていく。
知らない人間がこの場面だけを切り取ったのならば、ここを屋敷の廊下だと判断しただろう。
ティスケルに続いて歩いていけば、扉の数の多さにも目を奪われる。中にはガラス張りの部屋もあって、様子をちらりと確認することができた。部屋の中に何段にも分かれた花壇のようなものがあり、そこから瑞々しいトマトやキュウリが顔を覗かせている。
「温室栽培まであるんですか」
絶句しているのはイユだけではない。リュイスの唖然とした言葉を聞いたレンドが、首を傾げた。
「セーレでも、野菜は育てていただろ」
確かに、セーレでも、センが育てているとは聞いている。だが、それと比べてしまうと、雲泥の差である。何より、先ほどの部屋は、セーレの食堂ほどの大きさの部屋が丸々充てられているのだ。
「桁が違うわよ……」
「人数が違うんだ。そんなものだろう?」
レンドはよくわからないという顔をしている。本気で思っているようだから、全く信じがたい。
「ここだ」
ティスケルの声に、一行は口を慎んだ。
案内された部屋は、応接室だった。高級感溢れるウォールナット材の丸テーブルが数脚、常磐色の絨毯の上に敷かれている。テーブルの周囲に用意された薄鼠色のソファは、布製ではあるものの、見たことのない花の模様が描かれ、見るからに高級感が漂う。ジェシカの屋敷に案内されていなかったら、耐性が殆ど付いていないイユは、くるりと回れ右をして外に飛び出たところである。場違いにもほどがあるのだ。
「てきとうに座ってくれ」
ティスケルの言葉に、足の竦んだイユたちは中々動き出せなかった。
「何やっているんだ、船長」
肩を貸りる立場のレンドに促されて、ようやくレパードが席に着く。それで、イユもやっと動き出せるようになった。




