その482 『生存確認』
「おい、イユ。お前、怪我を……」
レパードは瓦礫の下から這い出ながら、イユの顔についた血を見て、声を上げた。
レパードの服はところどころが破れ、露になった肌には擦り傷が覗いている。イユの心配をするレパードを見て、イユは唇を軽く噛んだ。
「違うわ。これは私の血じゃない」
否定しながら、頬の血を拭った。しかし、どれほど拭っても、すっかり頬に染み付いてしまったようで、消えた気がしなかった。
イユは諦めて、レパードへと手を差し出した。
「それより、先に」
イユの催促にレパードが頷く。
「あぁ」
手に、レパードの温もりが伝わる。その温かさが、苦しかった。レパードもシェイクスも、イユを心配したり庇ったりする。その優しさが原因で、いなくなってしまうと思うと、胸のなかが掻き乱された。
「イユ?」
瞳が揺らいでいるイユを見てか、レパードが不思議そうな声を上げる。
「今から引っ張るわ」
イユはそれだけを答えると、片手だった手を両手にして、レパードを引っ張り上げていく。力を使えば、なんてことない重さだ。すぐに、瓦礫の外へと引っ張り出せた。
「さすがだな、サンキュ」
レパードの礼に、イユは首肯で答える。そうしてから、レパードが先ほどまでいた瓦礫へと声を掛けるのを聞いた。
「リュイス? 抜けられそうか」
イユははっとした。同じ瓦礫の中に、もう一人いたのだ。
「はい」
と小さな返事がある。胸がとくんと鳴った。続けてやってきた安堵に、泣きそうになる。
暫くすると、瓦礫の隙間から、リュイスの翠色の頭が見えてきた。
「リュイス!」
名前しか呼んでいないが、何が聞きたいか伝わったらしい。崩れた瓦礫の隙間に、三日月型に細められた瞳が覗いている。
「はい、無事です」
何よりも聞きたい言葉だった。
「俺らは近くにいたからな。マストに常にしがみついていたから、船の外に投げ出されてもいないし、マストがでかかったお陰で、良い感じに隙間ができたみたいだ」
レパードの説明は、頭に入っていかなかった。
もぞもぞと、リュイスが瓦礫の隙間から這い出てくる。リュイスの身体は、ほぼ無傷だ。それを確認して、ほっと胸を撫で下ろす。
「リュイス」
イユが声を掛けると、リュイスは手を差し出した。その手を握ると、レパードのときと同じように引っ張り上げる。
外に出ると、リュイスはほっと息をついた。
「ありがとうございます」
いつもの礼を聞けることが何よりも嬉しい。
「ところでだ」
レパードからの視線に、イユは気が付く。その鋭さは、簡単な隠し事などすぐに見抜くと言っていた。
「何?」
なるべく平静を保って、声を出す。意識しないと、声が震えてしまいそうだったからだ。
「何があった?」
レパードの質問に、イユは努めて淡々と返す。
「大蠍が最後の抵抗に、私たちの乗っている船を襲ったのよ。それで、船が墜落して、こんな有り様よ。あぁ、でも、安心して。大蠍はもう襲ってこられないから。形も殆ど残っていないのに、今もスナメリの他の船が……」
「そうじゃない」
はっきりと否定される。視線が鋭過ぎて、一歩後ろに下がりたくなった。
「お前に何があった? 分かっていないなら言うが、様子がいつもと違う」
「何も」
イユの否定に、リュイスは味方をしなかった。
「イユ、顔色が良くないです」
原因はそこにあるだろうと半ば確信した声だ。
イユはどう答えようと悩む。一言にシェイクスは死んだと言うだけだ。それは分かっていたが、その一言が意外なほどに重たい。言葉にしづらい。否、したくない。言葉にしてしまえば、現実のものとしてシェイクスの死を受け入れなくてはならない気がしたからだ。
そのとき、意外なところから声が発せられた。
「やれやれ、とんだ災難だな」
がらがらと瓦礫を崩す音とともに、少し離れたところから顔を覗かせたのは、ヴェインだった。
イユはあまりの登場の仕方に、目を丸くする。まさか、異能も使わず自力で瓦礫を抜け出してくるとは思わなかった。
「おーい、生きているかぁ?」
しかも、何やら瓦礫の山に向かって、声を掛けている。ちょうど、イユが埋まっていた瓦礫のすぐ近くだ。何も返事がないのを見てか、イユたちを振り返った。
「あんたら、殆ど無傷なら、そこの瓦礫どけてくれないか?」
「あ、あぁ」
ヴェインの言葉に、レパードが頷く。ヴェインがそこに誰かがいると確信している風なのが、解せない様子であった。
だからだろう。ヴェインが補足するように、瓦礫を指さす。
「そこにあるやつ、大砲な。大体砲手や装填手って奴は持ち場からは離れないからな」
言われたことの意味をようやく察して、イユは慌てて駆け寄った。言われてみれば、確かに大砲の先端がその瓦礫の山から覗いている。
アンナとシリエがいるかもしれない。イユはヴェインの目など気にせず、瓦礫を持ち上げ始めた。後ろで、異能を隠さないイユを見てか、頭を抱えているレパードのことなど、知ったことではない。
ヴェインは、とうにイユのことなど勘づいていたのだろう。口笛でも吹きそうな調子で、視線を外しふらふらと歩き出す。独り言のように、呟いた。
「非常事態、非常事態。だが、この速度なら、残りも……」
「その残りとやらが俺のことなら、イユの助けは不要だ」
ヴェインの言葉を遮ったのは、レンドだった。その手にある細い鉄の杖――恐らくは、船の部品の一部、を瓦礫に差し込み、押し倒すと、瓦礫が僅かに持ち上がった。隙間が出来たところで、自力で這い出てくる。
とうとう、ヴェインの口から、ヒュウっと、口笛が吹かれた。
「やっぱり、そういうしぶとさは相変わらずだな」
「お前が言うか、お前が」
ヴェインの軽口に反発してから、自嘲気味にレンドが呟いた。
「大体、無傷ってわけにはいかない」
リュイスが、あっと声を上げる。レンドが立ち上がろうとして、よろめいたからだ。
「足をやられたか」
レパードが、杖をつき足を引きずって歩いてくるレンドを見て、確認する。
「まぁ、これですんで良かったと思うことにするぜ」
イユは、彼らのやり取りを聞きながらも、覆いかぶさっていたマストを思いっきりどかした。
「……って、おいおい、そういうのまで動かせるのかよ」
少し離れたところから、ヴェインの呆れたような声が聞こえてくる。彼は、アンナとシリエのことはイユに一任したらしく、ふらふらと近付いてくるものの、焦っている素振りはまるでない。むしろ、分け入ったほうがイユの作業の邪魔になると考えているようだ。
「手伝います」
代わりに、リュイスがやってきて、瓦礫運びを手伝い始める。リュイスはイユのやり方に慣れているのか、イユが気にせず動いていても、まるで問題がない。イユが大物をどかす間に、次にイユが運び出したい大物の瓦礫が取り出しやすいように、邪魔になりそうな物から、順次どかしていく。
一方のレパードは、レンドに腕を貸しに行ったようだ。
イユは、帆をどかし終わると、そこに見慣れたクリーム色の髪を見つけた。
「シリエ!」
叫ぶが、返事がない。とりあえずと、シリエの背中から足に掛けて覆っている瓦礫を持ち上げる。すかさず、リュイスがシリエを引っ張り出した。
「シリエ! 目を覚まして!」
見たところ外傷らしい外傷はない。だが、返事がないせいで、不安に押しつぶされそうになる。それを振り払うように叫ぶのだが、シリエはピクリとも動かない。




